紫紺の竜
紫紺の竜
名を呼ばれた気がして、リヴァイはそっと耳をそばだてた。
どこかで、気のせいだとはわかっていた。一人きりの部屋で、それも余人が寝静まった深夜だ。しばらくは呼吸を潜め、やはり雨の音しか拾えないことを確かめると、全身から酒気を追い出すように深く息を吐く。
不意の音や振動に反応してしまうのは、もう体の奥深くに染み付いた習慣だった。が、ここ最近のリヴァイの感覚は、無意識に埋没した防衛反応とは別の理由で研ぎすまされている。それは特定の感情によるものであり、もっというと、――特定の人間に向けられたどうしようもない希求のためだった。
目をつぶり、開き、手の中に収めたものを見下ろす。
黒地の金属に艶々と紫の光が走る、円環の半分。昼間、ハンジと立ち寄った市場で売られていた腕輪の、二匹で一つをなしていたうちの片方。興味を惹かれて買い求めたハンジが今夜の宴会に持ち込み、ひとしきり席を賑わせ、それ以上の喧騒のなかに置き忘れていたものである。
偶然、本当に偶然、目の前にこの片割れを見つけたリヴァイは、「ハンジに返してやらねば」と手に取り、顔を上げ、ぱちりとかち合った瞳のなまめかしさにらしくもない忘我に至った。は、と気がついた時にはすっかり時針が進み、仲間どもは酒に塗れて意識を失い、ハンジはいなくなっていた。
曖昧な意識ながら片付けに没頭していた形跡があったので、馬鹿騒ぎの残滓を完全に始末して部屋に戻り、そこでようやく、ポケットにあるこの片割れに気付いたのだった。
故意に持ってきたわけではない。しかし一番に思考に上ったのは、腕輪を売っていた男の『奇妙な縁』という言葉だった。馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う。リヴァイは心底信じていなかった。これを買うに至った理由がひとえに「面白くて」だったハンジもきっと同様だろう。
そう。「面白くて」だ。
興味を掻き立てられ、好奇心を刺激され、その湧水が尽きない対象ならば、ハンジと言う人間は簡単に目を輝かせて手に取ろうとする。リヴァイに対してもそうだった。リヴァイ自身も由来のわからない非常人じみた力を「研究したい」と言い出して、リヴァイのすぐそばで、地面の下から来た人間が到底浴びたことのないような笑顔を振りまいて、散々、その放熱でリヴァイの心身を溶かしつくして。
ある時、急に弁えた顔になった。
相変わらず巨人に対しては底なしの知識欲を見せながら、リヴァイの私的な部分にまで食い込ませていた指だけを、そっと離していったのだ。
怒るに怒りきれなかった。
腹のどこかで「ハンジが望めば」などと甘いことを考えていたリヴァイに、そんな資格はない。わかっている。わかってはいるが。
巨人に肉薄するハンジの体を引き戻して叱りつけた時、「何かを得るかわりにあの子たちに齧られたとしても、それが兵団の役に立つならちっとも怖くないよ」と笑っていた意味が、今度は男として手を伸ばそうとするリヴァイの足に深く釘を打つ。
今は距離を置いて自分を見つめるあの瞳に、覚悟もなく近づいて、果たして「俺を他から分けろ」と願わずにいられるのか。
独占は排他と表裏一体だ。
リヴァイの欲望はきっと、ハンジの思考や信念を侵食する。
それでいてリヴァイは、声を聞けば姿を探し、近くにいれば熱を探し、目を見て触れられれば、そこにハンジの気持ちを探してしまうのだ。迷っているくせに、こうしてハンジの私物の片割れを手にして、明日には交わされるだろう他愛もない会話のことを考えている。
気を引こうとしている。独り占めにしたいとごねている。
子どもじみた、頑是ない欲望だった。
「……」
酒には強いはずなのに、何がどこにどう回ったのか、くらりと眩暈がする。深々と椅子に座りなおしたリヴァイは、手に持つ紫の光をどこかに置かねば、と腕をあげ、――どこにもたどり着けぬまま、意識を失った。
**
すぐそばで動く気配に、リヴァイは弾かれるように立ちあがった。すぐに距離をとりながら、〝何か〟の存在を察知した後方に身構える。視界の正中に捉えたものを認識した瞬間、リヴァイの警戒は驚愕になった。
「……ハンジ?」
「んん……? あれ、えっ!?」
「なに、やってんだ、お前……」
訊ねている途中からもう、何かがおかしい、と再び警鐘が鳴りだす。素早く見渡したかぎり、リヴァイがいたのは自身の部屋ではなかった。だがよく知る構造ではある。おそらく調査兵にあてられる普通の部屋の一つだろう。というか。
今しがたリヴァイが飛び起きた椅子のそばにある、微妙に汚れて見えるベッドの上にいるハンジ・ゾエこそがこの部屋の主である、と考えるのが妥当だとわかっていた。わかっていたが、リヴァイは正直、それどころではなかったのだ。
ハンジの下半身が、壁の中にすっぽりと埋まっていたからだ。
「オイ……」
言葉が続かない。どう見てもどう考えても異常な状況だった。リヴァイは自分の部屋にいたはずだし、そういう罰でもないかぎり人間が半身を壁に埋められることはない。そして何より、目の前にリヴァイがいるのに、ハンジがそれを無視するはずがなかった。
ハンジは当然ながら壁に嵌った状況に困惑しているらしく、そこから逃れようと必死で藻掻いている。リヴァイは、その紅茶色の瞳の動きを注意深く観察する。そうして、自分の存在がハンジの意図一つで消されているわけではなく、そもそもまったく認識されていないらしいことをすぐに悟った。そんなこと、現実では起こりえない。
が、『夢』というにもおかしな話だった。
これほど自由に動いて考えられる夢など過去に見たことがないし、これがまったき脳の作り出した虚像だとすれば、ハンジを壁のオブジェたらしめているのはリヴァイの潜在意識だということになる。どんなシュミだよ、とうんざりする。
現状で一番掛値が高いのはこの『夢』だとして、あとは薬による幻覚か、世界のほうがおかしくなってしまったかだ。
「……まさか」
何が「まさか」なのか、リヴァイの理解が追いつく前に、それよりも圧倒的に奇妙な状態のハンジのほうがハッと気づいたような顔になる。壁に埋められるような心当たりがあったらしい。ハンジならありうるかもしれない、と少し思ってしまうのが嫌だった。
奇劇の観客席に無理やり座らされた気分のリヴァイは、とりあえず他にできることがないか、と意識を周りに移す。その時だった。
「だとしたら、……あっ!?」
届いた声に、ぱ、と視線を引き戻される。てっきり腰から下は〝埋まっている〟のだと思っていたハンジが、壁の向こうにある下半身を気にするように、後方に顔を向けていた。ひどく狼狽え、必死で逃げようとするように藻掻きながら。
「っぃい? えっ? あっ」
「……ハンジ?」
「や、ちょっ……うええっ!」
ハンジは、ひときわ大きく叫んだかと思うと、眉尻を下げて、何かを厭うように目元を歪ませた。その頬が、耳が、額が、じわじわと赤くなっていく。
つ、と。冷たい錐が、リヴァイの腹に刺し込まれる。
「……や、いやだ。やめて……!」
「ハンジ」
「んっ……!」
とうとう漏れた悲痛な、そしてか細く高い女の声に、リヴァイは観客席からあっというまに飛び出していた。ベッドに乗り上げ、目を固く閉じて震えるハンジに手を伸ばす。
「っ!……なんだ?」
肩に触れた瞬間、皮膚に走る未知の刺激。痛いとも熱いともつかないそれに反射で手を離し、けれど変わらず涙を湛えて首を振るハンジの姿を見下ろしたリヴァイは、『再び観客側に戻る』という選択肢を当然のように握りつぶした。
何かできないかと壁に手をつき、ハンジの腰が埋まる個所を観察する。やはり腰と壁のあいだに隙間はなく、元からそう造ったかのようにぴたりと嵌りこんでいる。引っ張っても抜けはしないだろう。右腕を顔の左側に思いきり引き、力を込めて壁に肘を打ち込んでみる。が、案の定傷一つつかない。
「あっ! ぁんっ、んっ、んぐ……ぅっ」
「っ……チッ。なんなんだこの悪趣味な夢は」
そうこうするうちに、壁の向こうでハンジの下半身に向かって行われている何らかのふざけた行為が激しさを増してきたらしく、そこから続く上半身が、どう、とベッドに突っ伏する。身悶える背中の動きに合わせて、普段からハンジがよく着ているシャツに筋肉や骨が浮かび上がる。
あたかもそれは、後ろから誰かに犯されているような皺と陰で。
指先まで冷えていたリヴァイの胸に、溶けた鉄のような、どろついて不快な熱が起きる。
「ハンジ」
「や、ぁ……だめぇ……」
ハンジの前にまわりなおし、シーツに擦りつけられるその顔を覗き込む。押し当てれてズレた眼鏡のそばにはここも赤く染まった瞼が震え、時折それが薄く開き、潤んだ瞳を覗かせる。噛みしめられた唇の隙間から、本当にかすかに、色の乗った吐息が漏れる。びくびくと背筋や肩を震わせ、しっとりと汗を滲ませ、首や指先に血の気を上らせる、その全身。
「……お前」
悦んでるのか、と。望まずとも湧いた言葉に、リヴァイの感情を抑制する部位が、壊れそうなほど血流を増す。いつのまにか、拳をきつく握りしめていた。掌に爪が食い込んでいる。それをほどけるだけの理性が、今のリヴァイにはかき集められない。
ハンジの痙攣の感覚が短くなる。息が声に、喘ぎに変わっていく。
「ぁ、あ、っ、イッ……!」
ぐ、と背中が丸まる様を、リヴァイは温度のない眼で見ていた。想った女が、他人の手で好き勝手に弄られ、上り詰めていく様を。殺してやりたい。あっけなくそう思えた自身に、深く失望しながら。
ハンジは達したのだろうか。ふるふると震えながら、どこか不満げに目元を歪めてもいる。男の欲を煽る顔だった。不意に、そのふっくらと濡れた唇が開く。
「リ、ヴァイ……」
「——あ?」
名を呼ばれた気がして、リヴァイは思わず耳をそばだてていた。気のせいだ、と思おうとして、けれど目の前の女が鼻を啜りながら、再び同じ音を発する。
「ううぅ……りばい、ごめん……君に、こんなこと……」
「ごめん」とはなんだ。どうしてハンジは、リヴァイを認知していない状態でリヴァイを呼んで、さらに謝るなどするのか。
ぞわ、と背筋が粟だった。この馬鹿げた脳内劇が、結局はリヴァイがリヴァイ自身を喜ばせる目的で作られたのだとしたら。ハンジが女として心を寄せる相手は、当然リヴァイしかいないはずだ。「こんなこと」をするクソ野郎の役目だって、他の誰かに譲ったりはしない。だったら。
「お前、……俺に犯されてんのか」
ひくつく口角から、は、と自嘲の息が漏れた。
回りくどくて、どうしようもなく低俗で、ハンジの尊厳を当人の預かり知らぬところで犯す、最低な夢だ。
「……だったら、拒んでんじゃねぇよ」
リヴァイはもう一度、夢の像に手を伸ばした。指先のほんのわずかな範囲でハンジの頭頂部の遊び毛に触れ、その距離に留まる。高密度の粘液を掻くような抵抗のあと、やはりピリピリと痺れが起きたが、それだけだ。痛みはない、と確かめたリヴァイは、不明の壁を通り抜けるために、ぐ、と力を籠めた。
「うひゃっ!」
さり、と髪の毛に触れた瞬間、ハンジが、まったく不意を突かれたように声をあげた。
「! な、に……っ?」
困惑して周囲に視線をさまよわせているが、相変わらず、目の前に塞がる存在は一切捉えない。かえって好都合だ、とリヴァイは思った。まっすぐ斬りこんでくるような視線にさらされることなくハンジに触れられる。リヴァイに犯されて喘ぐハンジを眺められる。欲に塗れた姿を見られて失望されるなんてこともなく、好きなだけそばにいられる。
したい、と思ったことそのままに、リヴァイは手を滑らせた。ハンジの汗に濡れたこめかみをくすぐり、熱い頬を両手で包む。掌から伝わる熱と感触はすぐに体の芯へと届いて、リヴァイの足が地につきつづけるための重しを、さらさらと溶かしていく。液状になったそれがどこに降りて行くのか。意識するまでもない。
人差し指で耳をくすぐれば首を竦め、顎を揉めば息を漏らす。正体不明の存在に触れられたハンジは、最初こそ怯えた表情を浮かべていたが、すぐに露出した部分全てを赤く染めて、震えながら目を閉じた。それはどう見ても受容の態度だ。
リヴァイに都合のいい、素直でいやらしい女の姿だ。
「ん、んっ……あ!?」
壁向こうの存在も何を感じ取ったのか攻め方を変えたようで、ハンジの身悶えが一層激しくなった。リヴァイは、乱れていく衣服に便乗してその胸元に手を突っ込み、弾むような肉の感触を楽しんでから、下垂の最下部で膨らむ粒を指先で捏ねてやった。捩って逃れようとする体にしつこく手を這わせながら、服の上からでもわかるほど固くしこった小石のようなそこを、丹念に弾きまわす。
「やだ、だめっだめ! 両方はだめ……!」
片方ずつならいいのか、などと、野暮な突っ込みをしている余裕もなかった。涙を振りまくハンジの様子から、不可視であるはずの光景が容易に想像できる。壁向こうのリヴァイは。いや、リヴァイなら。ハンジの深部を知る前に、散々っぱら自分の存在を誇示して、ハンジに求められることを求めるだろう。手に取るようにわかる。
ハンジはシーツを掴む拳をきつく握り締め、関節を白く浮き立たせて、かわりに唇を綻ばせた。
「ぅ……りばい、」
「ハンジ」
「リヴァイ……」
名を呼ばれるたびに、生皮を剥がされるような心地になる。ハンジが求めるのは、背後の男の思惑どおり、頭を撫でてもやれない男のことなのだ。
「はやく、きて……、っっっ!」
「……っ」
軋むほど奥歯を噛みしめても、リヴァイは嫉妬に漏れる唸り声を止めることはできなかった。ハンジが喉を詰まらせるのと同時に、その肩がぐっと竦みあがり、背中が丸まる。この緊張は胎内に異物が侵入した証だった。
「ーーっ! ぁ、っあ。ぐ……っ」
衝撃に突っ伏して耐える表情を、身をかがめて見届ける。そこに苦痛はないか、できれば緩やかにリヴァイを感じて、悦びを見出してやくれないか、と。けれどそんな願いも、リヴァイ自身に踏みつぶされる。
「んっ!ぁ あ゛! あっや まっ、でっ!」
馴染むまで待てなかったのか、それともハンジの腹が早々に強張りを解いたのか。性急に蹂躙が始まった。蹂躙と言っても差し支えないほどその攻めは激しかった。気遣いも何もない強さで前後に揺さぶられ、押し出されるままに濁った声を吐くハンジは、一見すれば目をそむけたくなるほど哀れだ。
吐息を吸えるほど肉薄しなければ、瞳で燃えるその情欲にはけっして気づかないだろう。
「……無理やりされるのが好きなのか?」
問いながら、無意識に手の甲に触れていた。すると、全てを拒むように固まっていたそこが、何かを探すように指を開いて、宙に向けられる。応えてやる以外、リヴァイは選べなかった。それしかできないからだ。
厚く湿った掌を、ぎゅう、と握りしめた瞬間、ハンジが堰を切ったように叫んだ。
「リ、ヴァイ、っ! うえ、ふっ」
「大丈夫だ、ハンジ。ここにいる」
「りばい、りあい……!」
苦悶の表情がハンジの限界を教える。リヴァイは、届く範囲のすべてでハンジに口づけた。細まった眼の焦点が、一瞬だけ確かな像を捉えた気がしたものの。それはすぐに固く閉じられる。
「ぃ、あ゛っ、~~っ!」
ハンジの頭の中が、真っ白な無になる瞬間も、戻ってきてからの最初の一息も、リヴァイはすべて、記憶に刻むように見つめていた。
眠っていた自覚はなかったが、いつのまにか瞼を降ろしていたらしい。俯いていた首を持ち上げ、瞬きを繰り返したリヴァイは、しかしすぐにうんざりと目を細める。
「……またか」
つけたばかりのランプ。光のない窓辺。感じられない筋肉の強張り。認識できるもののすべてに、昨夜からの時間の経過は一切ない。まだだ、とリヴァイはすぐに悟った。まだ夢の中にいるのだ、と。
だとすれば、この部屋の中にはまたしてもハンジがいるのだろうか。今度こそは自由を得た体で、まっすぐにリヴァイを捉えるハンジが。淡い期待を抱きながら素早く室内を見渡したリヴァイは、しかし、視界に飛び込んできた〝それ〟を脳で精査する前に、もう盛大に顔を歪めていた。
壁に、人間が嵌っていた。それはもうすっぽりと。まったくもって最悪なことに、その人間の腰から上は壁の向こうに行っていて、下半身だけがリヴァイの部屋にあり、リヴァイに尻を向けていたのだ。
「なんっなんだこの夢は……」
とりあえずは椅子から立ちあがり、ベッドを横目に、壁の前に立つ。
尻は少しだけ膝を折り曲げてはいるものの、足裏を地面につけて自立していた。よくよく見ていればわずかに上下を繰り返し、こんな状態でも確かに生きている人間なのだと主張してくる。リヴァイはさすがに頭を抱えそうになった。
先ほどまで見ていたものを鑑みれば、この尻が誰のものであるかは明白だった。
その場に立ち尽くし、考える。どうするべきか。何をすべきか。リヴァイが自分自身に望むのは、一体何なのか。
ぐっと眉根を寄せて思考に沈んでいたリヴァイをせっついたわけでもないだろうが、それまでどこか意識半ばだった尻が、突然、びくりと跳ねあがった。当然のように異常な状況に困惑しているらしく、壁から逃れようと藻掻き始める。かと思えば、何かに勘づいたようにまたぴたりと動きを止めた。リヴァイの脳内で、「まさか」と幻聴が響く。
「……」
もしもこの尻が予想どおりハンジのものなら、そして先ほどまでリヴァイがいた向こう側の一連を再現しなおしているのだとしたら。これから起こるのは、起こる、ということだけを確かにした、リヴァイが知っていて知らないことである。
とりあえず、この状態の尻をして好き勝手が許されるなら、〝リヴァイ〟がまず行うことは決まっている。
手を伸ばし、その丸く張った双丘に置くこと。さらに開いた掌を表面に這わせて、視覚で捉えた形や質感を、触覚でも味わうこと。一も二もなくこれだった。
もういい、とリヴァイは思った。生身のハンジの前でならいざ知らず、自分の頭の中だけに出来上がった都合のいい世界で、柄にもなく紳士ぶる必要などあるはずもない。もういい。我慢しなくていい。
再三唱えていると、自然と全身に力が漲っていく。それはあまりにもすがすがしい性欲だった。両手で尻を撫でまわし、嫌がっているのかふるふると揺れる肉をつまんでからかい、指の背で脚のあいだの膨らみを押し込むように撫でてやる。夢の中にもかかわらず、得られる感触はひどく生々しい。ほどよい弾力と湿った熱が、リヴァイの頭を急速に馬鹿にしていく。
普段から馬を駆り地を蹴り宙を掻く脚はしなやかに鍛えられた筋肉を纏っており、その動きを司る腰も尻も弾けそうなほど張り詰めている。ハンジの姿を盗み見る時、この尻にいやらしい妄想を押し付けることはなかったと言えば嘘になる。何度か世話になったこともある。本人にはけっして言えないことだ。
さて、五指を限界まで広げ、二つの肉をわしづかみ、存分に揉みこもうとすると、それを制限するような服がすぐに邪魔になった。一考もなく、リヴァイは尻を裸に剥きにかかる。
手を腹のほうに回し、ズボンの留め具を一つ一つ外し、緩んだ布を手繰って下着ごと引きずり下ろす。途端、久しく嗅いでいなかった女の匂いが、むわ、と鼻をついた。健康的な色味に光る肌。まろやかな輪郭。そして視線を逃れるように閉じられた脚のあいだからふっくらと覗く丘。尻を「ハンジのものだ」と思いながら脱がした脳は、目の前に現れたそれらも当然「ハンジのもの」として認識した。リヴァイの腹底に、火と油が急加速で投身する。
床に躊躇なく跪き、下から女の陰を覗き込む。穴を守る肉襞はすでに赤く血を溜めていて、隙間にはてらてらと光を湛えている。いっそ腹立たしい気持ちで、リヴァイはそこに指を這わせた。
くちゃり。
「チッ、……なんでこんな濡れてんだよ。なぁ」
まさか気遣いもなく尻を揉まれて濡らしたわけじゃないだろう。リヴァイの都合のためにというなら余計な世話だ。叶うなら俺が濡らしてやりたかった、と唇を噛みながら、それでも中に指を進める。
ハンジの膣は狭かった。ひくん、ひくんと震えながら指を包みこみ、びっしょりと濡れてはいても経験の浅さを示すように締まって拒んでくる。無意識に湧いた唾液は喉に流し、指を二本に増やす。空いた手で逃げようとする尻を抑え、浅い所から始めながら、できるだけ優しく中を拓いていく。
緊張こそしていたが、どこからこんなに染ませているのか、ハンジの中は指を掻くように動かすとそれだけでこぷこぷと愛液を零し、リヴァイの手首まで貪欲に濡らした。膨らんだ襞に触れなどすればあからさまに全体が轟いて、そのたびに締め付けが心地よい強さに堕ちていく。腹側の奥までの一帯は特に好きらしい。ずりずりと長い間隔で圧して進むたびに体液の嵩が増えるようだった。
さっさと指を抜いて別のものを挿入れたい、という下種な欲望に耐えるために、リヴァイはわざと外側の尻にちょっかいをかける。が、逆効果だった。素直に跳ねて、敏感に中を締めて、かえってリヴァイの欲望を苛立つほどに煽ってくる。
どこからそうなっていたかも曖昧なまま、股座の膨張が進む。早く解放してくれと訴えてくる。冗談じゃない。どこで終わるかもわからない夢なのだ。擦って出すだけの良さよりも、鮮明な記憶のほうがあとあと自身を慰める時の助けになるはずだ。
そんな考えでもって脚のあいだを見つめていたせいか、気づけばリヴァイは、ほとんど触れてしまえるほどそこに近づいていた。
ちょうど指先に感じる締まりが切迫になっており、どこかで止め時を探していた。穴から指を引き抜き、下がろうとする尻をすぐに掴んで固定し、狙いを定めて、ふう、と息を吹きかける。そして濡れそぼった場所に吸い付いた。
丘の全体を下から上に舐めあげ、舌に乗る味に喉を鳴らす。もういちいち疑問に止まったりはしないが、ハンジに関することだけは現実のように感覚器官を揺らしてくる夢が浅ましかった。いよいよ繋がった時にはさぞやリヴァイを悦ばせるのだろう。
それまでに、感じられるだけハンジを感じたい。
上の口に似て厚みのある唇をべろべろと舐めつくした後は、尖らせた先端で中に入り込み、硬く保ったまま頭を動かし、溢れてきたものを音を立てて啜る。尻はよく喜んだ。その反応の先に、リヴァイは刻んだばかりの記憶を重ねる。
顔から首まで肌を赤らめて、汗を滲ませて、限界まで潤んだ瞳で、されることの一つ一つに嘘偽りなく喘ぎを漏らして。何度も何度も、上ずってふやけた声でリヴァイを呼んでいた。
思い出すと簡単に気持ちが高ぶって、どうせ聞けないのに「もっと呼ばせてやる」と考えてしまう。舌に代わられて空いた指を潜り込ませ、濡れた下生えと袈裟のあいだから陰核を探り出す。わざと触らなかったわけではないが、そこは放置を責めるように勃ちあがっていた。リヴァイの指先にもぷりぷりと反抗してくるせいで制圧に熱が入る。二本の指で挟んでしごいてやると、尻がこれ以上ないほどくねってリヴァイの我慢を叩いた。
そういえばハンジは、「両方はだめ」と言っていた。前のほうでは自分が胸を可愛がってやっているのだろう、とリヴァイはあたりをつける。そのまま攻めを続けていると、尻が細かく痙攣しはじめた。小さな絶頂をいくつも迎えているらしく、リヴァイが何もしなくても内腿にはたらたらと愛液が垂れ続け、中は収縮をやめようとしない。
リヴァイもそろそろ限界だった。遊ぶにしても万が一のために下でやるべきだ、と口を拭いながら立ちあがる。戒めを解き、もったりと重たい陰部をさらけ出そうとした時だった。背中に、不意に熱を感じた。
「っ……」
質量を伴ったそれは、けれど気配も実体もなく、在るのか無いのかのあいだをさまよいながらふわりとリヴァイの体に沿いつく。何かに、背後から抱きしめられている。
ぞくぞくと背筋を上ってきたのは、危険に対する警戒ではなく興奮だった。夢の中なのだ。リヴァイに害をなすものが現れるはずがない。むしろ耽溺を待望されているらしい。首筋に吐息をかけられるような錯覚まで感じて肩が跳ねたが、ぐ、と耐えてどうにか屹立を取り出す。
先走りごと握りこんで何度か扱き、逸る気持ちを抑えながらハンジに触れさせる。この期に及んでも終わりを迎えるのが惜しくて、リヴァイはあちこちに自身を擦り付けた。ぬるぬると軌跡で汚れていく肌を見て噴出させたい自身を慰めるが、それを責めるように、またも腹をなぞられる。
「あ、っ」
思わず声を漏らしていた。調子に乗ったのか、不明の存在はさらにリヴァイの胸を弄り、首を這い、耳にまでのぼってきた。触れられた箇所が余さずぞわぞわと粟立ち、腹底で燃える火に薪をくべる。
「は、っ……クソが……」
一度決壊すれば、あとはもう早かった。膣口に性急に尖頭を押し当てる。
「……ハンジ」
名を呼んだのは自分のためだ。醒めれば跡形もなく消える夜を、少しでも記憶に残しておきたかった。リヴァイは屹立を一気に中へと突き入れた。
「ッ!ぁ、は」
ほんの少しの抵抗のあと、包まれ、舐めしゃぶられる。ハンジの中は予想以上に凶悪だった。いくらなんでも理想を込めて描きすぎだ、と顔を顰める。むしろこんな穴だったら危険すぎる。
「クソ……本物も、こんなんだったら、承知しねぇぞ……」
徐々に上り詰めるなどもう無理な話で、最初から我欲を真ん中に置いた攻め方になってしまう。優しくしたいという想いは、けれどハンジも悦んでいた、という都合のいい記憶に押し流されていく。リヴァイは獣じみた呼吸で腰を動かしていた。
「はぁ、……っハンジ、ハンジ、」
逃げを打つ尻を掴んで抑え、肉がたわむほど下腹を打ち付ける。時折抜ける直前まで引き、奥まで押し込み、衝撃で接合の隙間から飛び散る愛液を進んで受け止める。直接接している箇所だけでなく、体中の神経をざわざわとくすぐられる。夢の中でさえ女を抱くのは随分久しぶりで、しかもそれが、短くない日々で想っていた女なのだ。リヴァイの忍耐は早々に根をあげた。
だめだ。もたない。
壁に両手をつき、壁の尻が足を浮かすほど押し付けて叩き込む。気持ちいいだとかなんだとか、そういう線さえ遠くなる。中に出したい。ハンジの中に。
リヴァイの頭を占めるのは、ただそれだけだった。
「つ、くそ、はっ、ぁ゛、ハンジ、っ……出る、でる」
パンパンに膨らんだ陰茎が限界まで穴を広げ、戻ろうとする動きを振りきって奥を突き上げる。ここが一番奥だ、と覚えた脳が、ひときわ強く打ち付けた瞬間、陰嚢から精液を送りこんでいた。
「はんじ、はんじ、っ」
体が鋭く痙攣する。そのたびに芯を快感が突き抜けて、自分自身が溶けてハンジの中に流れ込んでいるような気分になった。
「……ハンジ」
しばらく中の動きに感じ入る。温かくて、蠱惑的で、リヴァイが達したあとも貪欲にしゃぶってくる。腰を小さく前後させれば、中に出したものがかき混ぜられる感触が伝わってきた。引き留めるように吸い付いてくる中に煽られながら、リヴァイは腰を引いた。陰茎を抜きとり、呼吸を整えながら周囲に意識を伸ばす。
予想に反して、この夢はまだ終わりを迎えはしないらしい。リヴァイが現実に戻されることもなければ、尻も変わらず壁に嵌ったままで、どれが何かもわからない体液に濡れて、ガクガクと余韻に震えている。
一向に訪れない終焉に見切りをつけたリヴァイは、犯したばかりの脚の隙間に目を落とす。
広い骨盤をうっすらと浮き上がらせた腰の窪みが、部屋の薄明かりに影を作っている。
身を屈め、その張りのある凹凸をぢゅっと強めに吸うと、小さな鬱血ができあがった。
そのまま、リヴァイに叩かれて赤く染まった肌に痕を残していく。
腰から尻の一等柔らかい部分、そして脚との境目まで降りたところで、むっと生っぽい匂いが鼻をついた。ふと惹かれたリヴァイは、尻たぶを指で抑え、広げた膣口を覗き見る。さすがに無礼だったかと思い至ったが、腿の内側をとろりと伝い落ちた濁りに気遣いはすぐに飛んでいってしまった。
つるつると地面に向かうそれを追い、身を屈め、ついでのように反対側の太腿の汚れが少ない部分に口づける。小さくざらついた赤をぼうっと眺めていると物足りない気分になり、また、そのすぐ隣にまた吸いつく。
次はその下、その斜め下、と進んでいって、膝の裏の窪みに到達し、ふくらはぎの丸みに軽く歯を立て、脚を持ち上げて腱に舌を這わせる。
完全に無意識だった。口元まで持ち上げた足の先を見て、揃った指の並びを見て、まったく正気ではないが、気づいた時にはそれを口の中に含んでしまっていたのだ。
その瞬間、驚いた脚が力を込めて、引き寄せるのではなく後ろに蹴り出す動きをした。リヴァイの口を振り切った爪先たちがついでのように頬を引っ掻いていき、夢に目覚めて初めて、リヴァイの体が痛みを得る。
「っ……は、ちっとも大人しくなんねぇなこのケツは」
動物的な本能とでもいうのか、傷と痛みが熾火になっていた情欲に油を注ぎ、リヴァイの瞳の色を変えた。立ち上がって再度尻を捕まえ、血の色でめかし込んだ丸みを撫でる。ひときわ濃い色の谷間に緩くとも立ち上がりなおしたものを押し当て、亀頭の首元でゴリゴリと穴をいじってやると、リヴァイの陰茎はあっさり息を吹き返した。
ハンジの下半身が何かに気づいたように緊張したが、もう遅かった。リヴァイは、窄まった場所——膣のほうではなく尻のほうの穴——めがけて、手を支えに、屹立を捩じ込んでいく。
「っぐ……ッ!」
一番太い部分に差し掛かったところで、腹に力を込めて一気に突き入れた。強烈な締め付けに急所を握られ思わず全身に汗が浮くが、ぷるぷると固まりながら震える尻を見れば余裕が戻ってくる。あられもない箇所に肉を埋められ限界まで広がった穴が、固まった尻ごとひくひくと震えている。夢にさえ見たことのない光景だ。眉間を豪速の小石で撃ち抜かれたような気分になる。
無茶なことをすればいい加減醒めるだろうと思っていた虚像は、しかしリヴァイに続きを許してくれた。現実ならけして怪我なしには済まないだろう無体もこの尻は受け入れて、もうぐにゅぐにゅと未知の動きでリヴァイを翻弄しようとしている。
本当に、どこまでも都合のいい夢だった。
両手で尻を掴み、中の感触を楽しみながら腰を動かす。じっくりと引いては突き入れ、先ほどとは違うように悦んで咥え込む中に応えてやる。
壁の向こうで、ハンジは一体どんな顔をしているのだろう。リヴァイに尻を犯されて、しかも悦んでいる。実際の尻の感触を外側から見る冷静さはあるのに、今は見えないハンジの声や表情を想像しただけで、ぐっ、と陰嚢が固くなった。
ここで出したってすぐに回復するんじゃないか、ハンジも応えてくれるんじゃないか。そんなことを考えたリヴァイは、すぐに攻めを射精を見据えた強さに変えた。
「っは、後ろにも、たっぷり出してやるからな……」
こうなったらとことんやってやる、と。
熱が突き抜けるままに吐き出し、噴き出すあいだも打ち続け、わななく尻を撫でて褒めて、「気持ちがいいな」と教え込んでいく。前も後ろも貪欲な穴を持った壁の尻は、いつまでもリヴァイを食い締めて、ついぞ離してくれなかった。
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はっきりと望んだ瞬間にこれだ、と。覚醒に追いやられたリヴァイは思った。
雨は明け方に去ったのだろう、窓から見える外枠にはいくつも水滴がぶら下がり、室内に満ちる暗澹な思考を掃き清めるように朝日を乱反射させている。
リヴァイは目元を覆い、深々と溜息をついた。椅子の上で夜を明かした背筋がバキバキと嫌な音を立てるが、それどころではなかった。
ひどい夢を見たものだ。
大義の影に押し込んで見ないふりをしてきた、見せないようにしてきた欲望を、そうしようと思った意義を踏みにじられながら、面白おかしく突き付けられた気分だった。最悪なのは、リヴァイがそれをしっかりと愉しんでしまったことだ。
ハンジを啼かせる存在にたやすく敵意を剥き出しにして、その存在が自分だとわかった途端、今日まで保ってきた理性を「もういい」とたやすく放り投げて。心底愉しんだ。幸福を感じた。
ハンジの前ではもう、昨日までと同じ眼はできないだろう。確信がある。昨日よりもずっと容易く、その体を想像の中に引き込んで、裸にして、違うふうに笑わせて、泣かせて、自分に縋らせるはずだ。まったきリヴァイの脳内だけで起こすことだとしても、その脳を持つのは現実に生きるリヴァイであり、ハンジに接するリヴァイである。
気づかれてしまうかもしれない。気づかれて、ハンジがもしもそれを拒まなかったら。今日まで互いが築き上げてきたものも呆気なく壊れてしまうかもしれない。
なんにせよ、リヴァイは動き始めた『今日』に乗らなければならなかった。顔を洗おうと洗面台に立ち、鏡を見て違和に気づく。
頬に覚えのない擦過傷があった。寝ているあいだに引っかいたのだろうか、傷は赤く腫れて熱を持っているようだった。首を傾げつつ、患部に触れた瞬間。
――別に、壊してもいいんじゃないか。
リヴァイの頭の中に、唐突に声が響いた。壊してからもう一度作り直せばいいのだ、と。ハンジを名実ともにリヴァイのものにして、逆もまたそうなった上で、二人の精神も肉体も完璧になるように作り直す。それが続くように共にあればいい。
言葉にするだけなら簡単だが、途方もない労力を要するだろう。調査兵にはいつだって時間が残されていないし、誰もその正確な刻限を知らない。限られている、ということだけがわかっている現実の中で、互いを選ぶ代償を作り上げなければならない。
リヴァイはけれど、それで構わないという気持ちになっていた。ハンジが相手なら。ハンジが自分を相手として選んでくれるのなら、そのために背負うものの重みさえ親しんでやってもいい、などと。柄でもないことを考える。
互いを呑んで一つになる。その幸福に、苦しみが勝つことはない。
問題は、そう、〝ハンジが受け入れてくれるかどうか〟だけだ。
そつなく身支度を終えたリヴァイは、扉の前に立ち、一度だけ他人の前では決してしないような深呼吸をした。顔を上げて外に踏み出す。
振り返って、そこに何かを探すなんてことはしなかった。