緑黒の竜
緑黒の竜
「あれ? さっそく失くしちゃったか?」
部屋に戻ったハンジが不完全な腕輪に気づいたのは、宴が終わってから二十分後、着替えを終えたその時だった。
夜通し降り続ける様子の雨を憂い、カーテンの隙間から黒々とした空を見て、なぜか唐突に存在を思い出したのだ。すぐさま椅子の背にかけていた服を探り、ポケットから出てきた物に首を傾げる。
緑のリュウが一匹。片割れをなくした半端物だった。あちこち叩けど掻けど見回せど、もう一つの光はどこにも見当たらず、ならば酒の場に置いてきたのかと記憶を辿りなおす。
二つに分けた腕輪は、同席の女性陣にさんざんもてはやされた後、緑のほうだけはハンジの元に戻ってきて、もう片方は――そのあとすぐに男ども数人が会話に割り込んできたので、所在が曖昧になった。
闖入集団の中にはリヴァイもいて、どう見ても絡まれて連れてこられただけの彼は、それでも大人しくハンジの斜め向かいの隙間に詰め込まれていた。
静かな表情で喧騒に参加する、ちょうどその手元に、もう一匹のリュウが置かれていなかっただろうか。どこかの時点で、彼の目が艶めかしく光る紫に留まらなかっただろうか。
大量に酒を飲んだわけでもないのに、ハンジの記憶は不思議と曖昧だった。頭の中が霧がかったようにぼやけている。リヴァイの手は、あの片割れに触れたかもしれない。摘まんで持ち上げて、胡乱に眺めて、それからハンジのほうを見たような気がする。
それともこれは、ハンジが「もう片方を彼が持っていたなら」と願うために作りだした、架空の記憶なのだろうか。奇縁とやらが結ばれることを望んだ結果の、淡い幻なのか。
「……」
急に全身が重たくなる。一旦ゆっくり考えよう、とベッドに座り込んだ途端、ハンジの頭がくらりと揺れて、支える間もなく枕に突っ伏していた。
その手には、緑のリュウが握られたまま。
**
床や机やくたびれた寝台によく馴染んだハンジの感覚器官は、覚醒の瞬間からもう、頬に触れる清潔なシーツに異常を見出していた。
瞼を開け、目だけを動かし、ズレた眼鏡のレンズを通して可動域の限界まで周りを見回す。少なくとも、部屋の壁は見慣れた兵舎のものだ。
弛緩した体を動かそうとしたところで、近くに何かの気配を感じて固まった。どうやらそれは、ベッドから多少離れた位置にいるらしい。動向を探りながら、慎重に起き上がる。
「……リヴァイ?」
ハンジがいたのは、兵士にあてがわれるごく普通の私室だった。縦長の室内の最奥にハンジのいるベッドがあり、そこから二メートルほど手前に、背姿でも見間違えようがない男が立ち尽くしている。なぜか、じっと壁を見据えながら。
どうして、と呆ける。
兵士たちが寝に戻る棟は男女で別々であるし、ハンジは確かに自室に戻ったはずだ。意識を完全に失くしたまま、どこにあるかも定かではないリヴァイの部屋に来れるはずがない。
混乱しそうになったハンジは、すぐに『夢』の可能性に思い至った。
覚醒してからも意識の一部はどろりと濁りつづけ、視界もどこか薄桃色に染まり、シーツや衣服の感触が疎ましく思えるほど肌が敏感になっている。なのに、匂いはいっさいしない。
これが現実なら、ハンジの体になんらかの異変が起こっているわけだが、果たしてあのリヴァイが、そんな状態の仲間をベッドにほったらかしにするだろうか。呼びかけにも答えず、肩が動くほどの呼吸を繰り返しながら、ただ壁の一点をじっと注視するなどありえるだろうか。
夢の中だと思えば、彼らしくない行動にも納得はできる。
とりあえず、ハンジはベッドから脚を下ろし、よろめきながら立ちあがった。
と、高くなった視界に妙な物が映り込んだ。目を瞬かせたハンジは、そこで初めて異物の存在に気づく。どうやら机の陰になって見えていなかったらしい。部屋の中には自分とリヴァイしかいないと思っていたが、もう一人いたのだ。
正確に言えば、一人の半分が。
「お……お尻!?」
リヴァイの目の前の壁、彼の腰より少し下の位置に、なぜか人間の下半身が生えていた。
ぐったりと脱力したように見えるそれは、床に足裏をつけて膝が折れるくらいの脚の長さで、骨盤の広がり方から見て女のようだった。穿いているのはおそらく兵団指定の白いズボンだが、そんなものでは馴染みを見出せないほど荒唐無稽な光景だ。
唖然としていると、それが突然ジタバタと動きだした。思わず「ひぃっ」と情けない声を喉から漏らしてしまったが、何とか「どうやら生きているらしい」と観察に移る。
大きな穴に嵌ってそうなったというわけでもなさそうで、最初から計画して施工されたかのように壁板がくり抜かれ、そこにぴったりと埋まっている。到底あり得ない事態に思考がどこぞに抜け落ちそうになるハンジだったが、リヴァイの手がすいと伸びて、あろうことか丸く張ったその尻を撫ではじめたりなどしたので、先に感情の器があふれてしまった。
「ちょっ、ちょっとリヴァイ! いくら夢でもやっていいこととまずいことがあるだろ!……あっ、違うか!?」
あくまでハンジの夢で起こっていることなので、厳密には「させていいこととまずいこと」になる。そうだとしても、なぜ自分はリヴァイが壁から生えた謎の存在にセクハラする姿を夢になど見ているのだろう。まったく意味が分からない。
とにかく止めなければ、と大股で近づき、結構な勢いで手を伸ばす。――が。
「! いってぇ!」
リヴァイの肩を掴んだ瞬間、経験したことのないような感触が走った。思わず飛び退ったハンジだったが、ピリピリとしたその刺激は収まらず、直接触れた手のひらから腕にまでじんわりと広がっていく。咄嗟に「痛い」と叫びはしたが、痛みよりも痺れて力が抜けてしまうような感覚だった。
実感を伴う未知だ。愕然とするハンジに対して、リヴァイは振り向くどころか気づいてもいない。
刺激に耐えればその体には触れられるだろうが、軽く押しただけでも岩のように重い反発があったので、動かすことはできないろう。意を決して近づき、リヴァイの視界に入るように覗き込むが、やはりその目はハンジを捉えない。ただじっと、尻だけを見つめている。
つまり、まったく干渉できないということだ。
「そんな……! ここで黙って見てろって言うの?」
部屋の扉に駆け寄りこじ開けようとするが、溶接されたように動かない。窓に走っても同様で、おまけに外は底なしの穴のように真っ黒だった。
ゾッと背筋が震える。助けを求めて振り返った先では、リヴァイが両手で熱心に尻を揉んでおり、また慌てて顔を伏せる始末だ。
思いきって自分の頬を強く叩いてみるも、痛みどころか、先ほど感じたような痺れさえ生まれなかった。完全に八方塞がりだ。
背後から衣擦れが聞こえてくる。脱いでいるのか脱がしているのか定かではないが、どちらにしろ、いよいよ直視が困難な状況になってきているらしい。
知り合い以上に想っている男が、信じられないような行為に及ぼうとしているというのに、止めることができない。ハンジの作り上げたものが、ハンジの思うとおりになってくれない。ハンジの夢なのに。
「……夢。そうだ、これは夢だ。本物じゃない」
何が起こってもナニが起こされても、現実に影響するわけではない。ハンジ一人が胸に収めて、誰にも明かさずにいればいい。
調査兵の熟練度とは、技量はもちろん、把握と覚悟までの距離がいかに短いかということも指す。兵士として中堅に差しかかろうというハンジも、この夢によって被るであろう損害の大きさを『限りなくゼロ』と定めた後は、すぐにそれを『ゼロ』に近づけようと頭を切り替える。そうして、「目が覚めるまで潜っていよう」とベッドに戻ろうとしたとき。
背後から、くちゃり、と。深いぬかるみを表すような水音が聞こえてきた。逃避もむなしく、ハンジはあっというまに聴覚を奪われる。
「チッ、……なんでこんな濡れてんだよ。なぁ」
被せるように発せられた声を、リヴァイのだ、と認めた瞬間、引き寄せられるように振り向いていた。
奇妙な夢の中に放り込まれ、一人ではどうすることもできない状況に耐える今、知己の声がどれだけハンジを安堵させたことだろう。が、そんな安堵もすぐに打ち砕かれた。
当の言葉を発したリヴァイが、すっかり裸に剥いた尻の前に跪き、あろうことかその脚のあいだに思いっきり指を挿し込んでいたのだ。
「うわああっ!」
驚いて叫んでしまったが、今度は目を逸らせなかった。
衣服を剥ぎとられた下半身は、至るところに立体機動を行う者特有のベルト跡を残していた。やはり調査兵だったらしい。
鍛錬と経験の深さを裏付けるように筋肉をまとい、且つところどころに女の肉も柔らかさも残して、パツンと張った丸い尻や太腿、引き締まった脹脛から足首にかけて、妙に肌を艶めかせている。
陽の光を逃れた生白さの中で唯一、血の色が沈着して濃くなった箇所に、リヴァイの手がしっかりとかかっていた。ビクビクと暴れる尻をもう一方の手で抑えつけながら、膣口に埋めた中指と薬指で中のものを掻き出すように動かしている。さきほど彼がぼやいたとおり、そこは分泌された体液ですっかり濡れきっていた。いじくるリヴァイの手首にまで粘性の光が伝うほどだ。
じゅぷっくちゅっぱちゅっぷちゅっ。
溢れんばかりの欲望を表すように、下品な音がひっきりなしに届く。
「やだ……」
耐えきれずに耳を塞ぐ。けれど、ハンジの目は音源の一人と半分に釘付けだった。
リヴァイの横顔はどこかうっとりと夢見がちで、熱心に手淫を施しながらもう片手で尻も弄り、徐々に、濡れそぼった場所との距離を縮めていく。指を抜いて空っぽになった穴をまじまじと見つめたかと思うと、ふう、と息を吹きかけ、驚いた尻が小さく跳ねたのを合図に、一気にそこに吸い付いてしまった。
「……っ!」
見ているだけのハンジが、なぜか同じ場所にじくりと感覚を拾う。それほどリヴァイの口づけは熱烈だった。
抵抗して逃れようとする尻を両手で形が変わるほどわしづかみ、顔の半分以上を埋めながら、嫌がるそぶりにも構わず陰部を舐めまわす。平べったくした舌で下から上へと何度もなぞり、ほどけた隙間に固くした先っぽを捩じ込み、指でしたのと同じように、あるいはこれからすることの宣言のように、膣口に抜き差しを繰り返す。
途中でじゅるじゅると音を立てながら愛液を啜りまでしていて、もはや一個師団相当とまで噂されている男の姿はどこにもなかった。単なる雄の肉欲だけがそこにあった。
ハンジは、やはり目が離せなかった。心臓を掴まれたも同然だった。
黒く艶めいた髪と白く丸い尻を掻い潜り、リヴァイの瞳が見え隠れする。熱く懸命な光を湛えた鋭さが、ハンジに芯を斬りつける。
この夢が覚めた後、現実ではリヴァイのただの仲間であるハンジが、けっして見ることの叶わない光だ。それはつまり、ここでなら叶うということ。
溺れるリヴァイに近づき、恐ろしいまでの没頭を見下ろす。奇妙な状況への困惑だけがゆるゆると溶け消えて、まるで、壁の尻がハンジのものであるかのような錯覚に陥っていく。
逃げも隠れもできない自分の尻に、リヴァイが淫らのかぎりを尽くしている。その様子を、別の視点から見ているような気になってきたのだ。
「! ん、や……」
尻肉をつかんでいた右手が動いたかと思うと、するりと脚のあいだに潜りこみ、とっくに尖りきっていた陰核を指で挟んで揺らしだした。ハンジの同じところもじんと疼き、思わず腰を引いて息を吐く。
リヴァイは執拗だった。尻が特に反応する場所があると、狙いを定めてそこにばかり熱と圧を加えた。ハンジの体も脳も、リヴァイってそういう攻め方をするんだ、と勘違いを積み上げていく。
「あ……」
何をきっかけにしたのか、リヴァイが口を離し、ベトベトにまとわりつく体液を拭いながら立ちあがった。そうして、今度は自身の衣服に手をかける。これから何がはじまるのか、考えるまでもなかった。
考えるより前に、ハンジは手を伸ばしていた。動く肩に触れて、ピリピリとした感触に身を竦ませ、けれど今度は触れつづける。やはりその体は地面に根が生えたように重たかったが、感触はまごうことなき人のそれだった。温かく、柔らかく、筋肉と骨の駆動を感じる。
最初こそ神経を焼くようだった痺れは、次第に心地よい振動じみた刺激になり、気が付けばハンジは、目の前の背中に身を寄り添わせていた。
胸から腹にかけて、確かな熱と感触を得る。リヴァイを抱きしめている、と錯覚するには十分なほどに。求めるままに、ぴったりと体をくっつける。
「っ……」
なぜか、リヴァイが全身を硬くした。肩越しに覗き込んだ横顔は何かに耐えるように目を閉じている。
「リヴァイ……?」
届かないことをわかっていながら、すぐそばで囁く。と、今度は肩が大きく跳ねた。かと思えば時を取り戻すように動きが再開して、リヴァイが性急に自身の秘部を明らかにする。
「……!」
背後から覗くハンジは、位置的に露出したモノの全貌を拝むことは叶わない。それでもリヴァイがしごく手の輪から赤黒い先端が覗いたり隠れたりするのを捉えて、もはや条件反射のように脚のあいだをせばめた。夢だとは思えないほど腹の中が疼き、体温が上がっていくのがわかる。
壁の尻ほどではないが、リヴァイのそこも十分に逸る気持ちを溜めていたらしい。先走りを分泌してにちにちと粘ついた音を出している。上向いたそれが導く手によって角度を変え、隙間に近づき、ついにぴとりと接触する。
けれど、すぐには挿入に至らない。リヴァイは膨らんだ陰唇に亀頭や幹裏を擦り付け、表面にたっぷりと愛液をまぶし、陰部の周りにそれを塗り広げて――寄り道をしはじめたのだ。
息を乱して戯れに夢中になる姿を、リヴァイにしがみつくハンジも、共に揺れながら恍惚として眺める。
「……お尻が好きなの……?」
もちろん応えはないが、必要ないほど明らかだった。
尻の谷間に陰茎を押し付け、ぎゅ、と両側の肉をわしづかんで挟み、ぐにぐにと捏ねて自身を苛む。尻が嫌がるのも無視して後孔に触れ、裏筋で揉むように擦り上げる。食いしばった歯の隙間から忍耐を漏らし、なのに本懐は遠ざけて、いきり立った欲の解放を先延ばしにしている。
リヴァイの発する熱に当てられながらも、ハンジは次第に、もどかしい気持ちになっていく。
早く。早く、君の決壊が見たい。
縋りつくだけだった手を、リヴァイの体の前にまわし、するりと腹筋を撫であげる。
「あ、っ」
リヴァイが、思わずといったふうに声を漏らした。きっと偶然だろう。けれど想う男から発せられた艶めいた音に、ハンジの欲望は簡単に加速した。
今度は両手を使って、腹から胸にかけて撫でさする。盛り上がった胸筋を掌ですりあげ、シャツの上から小さな粒を引っ掻くと、リヴァイははっきりと体を震わせた。ハンジがハンジとして認識されることはないが、こうして悦ばせることはできるのだ。わずかな影響だとしても、今のハンジには大きな幸福だった。
興奮のまま、両手で乳首を弾き、首筋に口付け、耳に息を吹きかける。引き締まった腰にすりつける下半身だけは自分のためだが、それ以外ではリヴァイを煽ることに夢中になった。
「は、っ……クソが……」
小刻みに震える体が、前屈みになって小さな快感を耐えようとする表情が、可哀想で愛おしい。リヴァイからいっさいの施しを受けていないくせに、ハンジの感覚のすべてが喜んでいる。
高ぶる気持ちのまま、指を、ほったらかしにされて泣いている男根に這わせた時だった。
「……ハンジ」
「っえ?」
名を呼ばれた。と同時に、リヴァイが陰茎に手を添え、散々弄られて真っ赤になっていた膣口にずぶりと亀頭を埋める。そうして、突然の暴挙に跳ねる尻を抑えて一気に挿入してしまったのだ。
「ッ!ぁ、は」
「え、……っえ? リヴァイ?」
うろたえるハンジを置いて、ようやく結合を果たした二つの体が緊張する。壁の尻は脚を縮め、爪先を丸めて入り込んできた異物の衝撃にぶるぶると震えていた。対するリヴァイも、ぐっと背中を丸め、口を開けては漏れる声を押し戻すように噛み締めていた。背後のハンジを意識する様子もなく、ただひたすら、繋がった場所に意識を集中させている。
だったら、どうしてハンジの名を呼んだのか。
「クソ……本物も、こんなんだったら、承知しねぇぞ……」
「ほんもの……?」
潰れた肺から掬い出したような、苦しげな呟きが聞こえてくる。じっとりとこめかみに汗をかき、半ば焦点をなくした目をして、顎をあげて肩を上下させるリヴァイは当然ハンジの知る男ではない。尚且つ、ハンジが知っている〝男〟でもない。
行為に没頭する男が、どれだけ無防備な表情を晒すかなんて、そもそも経験の少ないハンジは知らなかった。惑乱する。これは夢、のはずなのに。
「はぁ、……っハンジ、ハンジ、」
リヴァイが腰を動かし始めた。上擦った声に確かにハンジの名を乗せて、胸元に撒き散らしながら。背後にいるハンジを認識していないなら、彼は今いま自分が犯している尻をこそ「ハンジ」だと思っている、ということになる。
「……っああもう、ばか!」
感情を爆発させたハンジは、一度は離した体をまた強くリヴァイに密着させた。
ばか、は自分に対してのものだった。
頭のどこかでは夢だと思いながら、負い目と欲情のあいだで中途半端に揺れている。どちらも選べないハンジに、下卑た幸福が背中だけを見せているのだ。
ばちゅばちゅと下品な音を響かせながら、夢のリヴァイが必死に尻を責め立てる。両手を女の骨盤に添わせて腰を掴んでいたのが、徐々に激しさを増し、尻が埋まった壁に手をついてほとんど叩きつるように欲を打ちこみはじめた。打たれた側の尻はたわむ肉を戻す暇もないほど弾みつづけ、真っ赤な肌に体液を飛び散らせる。痛々しくすら感じる見目にさえ、ハンジの羨望は募っていく。
「リヴァイ……ねぇ、私はここだよ……?」
ガクガクと揺れる体に寄り添いながら、あちこちに唇をくっつけ、手で触れ、苦しく囁く。けれど届かない。リヴァイの視線は、自身によってぐちゃぐちゃになっていく尻に注がれている。それをハンジだと信じてやまない目に、届かないハンジの穴もかき混ぜられる。
「っ、くそ、はっ、ぁ゛、ハンジ、っ……出る、でる」
「うん、うん……いいよ……出して」
「はんじ、はんじ、っ」
首を無理やりに近いほど伸ばして、汗ばむ頬にキスをした。
リヴァイの眉間が狭まり、全身が限界まで固まったかと思うとそこから何度も鋭い痙攣が起こる。切なげに顔を歪めたリヴァイの吐精を最後まで見守った後、ハンジはその肩にペタリと顔の半分をくっつけた。
リヴァイの息に撫でられ、血の流れに震え、筋肉の動きに揺らされる。彼は確かに、ハンジの触れられる場所にいる。
「……ハンジ」
溺れきったその声を、意識を。現実でも得られたら、などと願ってしまったせいか。眦から一粒、涙がこぼれていた。
今度こそ、頬に触れるのは慣れ親しんだシーツの感触だった。瞼を開ける前にもう「現実なんだ」と悟ったハンジは、起き上がる前に小さく鼻を啜る。叶わぬ夢へのくだらない妄執を振り払い、勢いよく起きあがろうとして、——腰に、妙な詰まりを感じた。
「んん……? あれ、えっ!?」
うつ伏せの顔を動かし、背後を見て仰天する。ベッドに寝そべっていたのはほとんど頭だけで、胸から下は宙に浮き、なぜかすっぽりと壁に嵌っていたのだ。
足のほうにはきちんと動いている感覚があり、膝を動かせば壁に当たり、爪先が床を押す感触もあった。
ハンジの部屋の隣はもちろん別の女性兵の寝室なわけだが、そのあいだには建材の幅があるはずである。が、腹に感じるのはごく薄い壁を突き抜けているような圧迫だけで、そのくせ、抜け出そうとしてもびくともしない。本当に、押せど捻れど、まったく動かない。
絶望して青くなりかけたハンジは、しかしすぐに近似の記憶を引っ張り出した。今の今までどっぷりと浸かっていた夢の内容を思い出したのだ。
「……まさか」
辺りを見回す。まごうことなきハンジの部屋だ。先ほどと違って誰もいない。灯りが点されており、物の輪郭や色が見える程度の明るさがある。一見して変わったところはないように思えたが、首を捻って見上げた窓の外は、やはり飲み込まれそうな暗黒だった。
ハンジはそこでようやく確信した。自分はまだ、夢の中にいる。
「だとしたら、……ひっ!?」
理解と同時に、壁の向こうにある尻に〝何か〟が触れた。動いた拍子に偶然ぶつかった、などという軽さの接触ではなかった。明らかに人間の手とわかるものが、ハンジの尻の丸みに沿って、するりと表面を撫でおろしたのだ。
誰かがいる。壁の向こうに。そしてハンジの尻を撫でまわしている。おそらく、性的な目的で。ちらりと頭を掠めた像は、背中に冷や汗を浮かせるには十分だった。そんなはずはない。あってはならない。
ジタバタともがくうちにも、二つに増えた誰かの手は無遠慮に尻に触れつづける。手のひら全体を使って、左右の丸みを円を描くようにこね回し、一番肉の厚いところを結構がっちりしっかりとわしづかんで。その上、もぎゅもぎゅと揉みはじめた。
「っぃい? えっ? あっ」
かつてこれほど明らかに尻を揉まれたことがあっただろうか、いや、一度もない。そう断言できるほどの熱の入り方で、壁の向こうにいる誰かが、ハンジの尻を揉みしだく。尻の持ち主が承知していない行為を堂々と強行している。
これもかなり最近、いやもう直前と言っていいほどの過去に、似た光景を見た気がする。
頭の隅に芽生えた予想が、ハンジの背筋を震わせた。
「や、ちょっ……うええっ!」
尻を振って逃れようとすると、無体を働く手が今度は腹側に回りこむ。そうしてあっというまに戒めを解き、履いていた服を下着ごとずり下ろしてしまった。
服の上から肉の形を変えられるというのも羞恥を駆られるものだったが、いきなり服を剥かれるよりはまだマシだった。外気に触れた肌がぷるりと震えることもどうにもできず、ハンジの頭は嫌な熱でいっぱいになる。自由のきかない状態で、下半身を露出させられて、誰かの目に晒されている。これから何が起こるかもわからない。いや、わかりたくない。
「……や、いやだ。やめて……!」
祈りも虚しく、尻たぶを指で抑えられ、脚のあいだを割り広げられる。十中八九、陰部を見られているのだろう。さらに拙いことに、ハンジは想い人の痴態を夢に見たばかりだった。中途半端に上り詰めた体から染み出すものを、綺麗さっぱり拭いさる断絶もなかったのだ。
当然のように、くちゅり、と膣口に触れられ、濡れ具合を確かめるようにねっとりとかき回された。
「んっ……!」
するすると撫でられると、自分のそこが血を溜め膨らんでいたことを意識させられる。おまけに水瓶のごとく液体を溜めていて、無礼な指がそれを利用しないはずもなく、すぐに二本目が差し込まれる。ぬちぬちと膣壁がこすられだした。
「あっ!ぁんっ、んっ、んぐ……ぅっ」
正体不明の存在に無遠慮に犯されて、なのに嬌声と紛う声を漏らす体が忌々しい。夢だからだろうか、痛みなどはまったく感じない。なのに都合のいい感覚だけは貪欲に拾う。
ハンジはシーツに顔を埋めて必死に口を抑えた。頭から背にかけてがカッと発熱し、シャツの中では胸の粒が勃ち上がる。どうして、なんで、と自身の反応を詰りながら、意識はどうしても下に集中する。
指は浅い場所でしばらく遊んでいた。遊んでいたと言っても遜色ないほど同じ箇所に、何度も、何度も違うふうに触れて、そのたびに跳ねる尻をもう片方の手で散々に弄んだ。
この手にあえて感情を見出すならば〝愉悦〟だ、とハンジは唇を噛む。ハンジの体が竦む箇所を探り当てたとわかると、途端にその攻めに力がこもり、喜んでいるのだ、と嫌でも察する。
恥ずかしくて死にそうになったが、夢なら死ぬ前に目覚めてほしい。やめて、やめろ、醒めろ、と唱えてみても状況は一向に変わらず、ただ指だけがハンジを苛むために中に進んでくる。
「や、ぁ……だめぇ……」
膣の腹側、陰核の裏側から奥までの一帯を、すりすりとしつこく甘くこすられる。不自然な体勢とはいえ大人一人の抵抗を抑え込めるだけの力はあるくせに、指先は優しさだけを載せて動くから腹立たしい。ハンジのいいところを早々に暴き、そこばかりを同じ速度で攻め立ててくる。
拘束された状態で快感を逃すすべなどない。耐えることなど、できるはずがなかった。あられもない場所が、ハンジの意思を無視して狭まっていく。
「ぁ、あ、っ、イッ……!」
達しそうになって、けれどそれは叶わなかった。指が重たい引きずりを残して抜けていき、かわりにハンジが指を噛む。次に起こることをほとんど確信していたからだ。
ぱくぱくと収縮を繰り返す入口に、ふう、と息が吹きかけられた。身悶えしながらも、胸に広がるのはとてつもない諦念だった。
ハンジはこの、些末で、それでいて最高に羞恥を煽る行為を知っていた。見たくないと思いながら、そんなことをしでかした男をそばで見ていたのだ。
「リ、ヴァイ……」
ここはまだ眠りの中で、しかも宴の夜に見た夢とひと繋ぎ。
だから、壁の向こうにいる無礼で助平な人間が、ハンジが先ほどまで身を寄り添わせていたリヴァイだなんて。それ以外の可能性などありえないと言えるほど自明のことだった。
脚のあいだに柔らかい熱が吸いつき、ハンジに、これまでと違う刺激を与え始める。ああ、リヴァイの顔が埋まってるんだ、とすぐに理解する。
唇でくすぐられ、舌でほじられ、口全体ですすられる。脳内で記憶と合わさった触覚は、その柔さ硬さ熱さのすべてを正しくリヴァイからのものと置き換えていく。
「ううぅ……りばい、ごめん……君に、こんなこと……」
まさか前科一犯から継ぎ目なしに罪が加わるとは思わなかった。けっして普段からこんなことを望んでいるわけじゃない。第一ハンジが望んだなら、こんな壁などない形で、正面から――。
「うひゃっ!」
罪の意識から抱え込んだ頭を、不意に、誰かに撫でられた気がした。驚いて顔を上げるが当然部屋にはハンジ一人で、壁を隔てた向こうにリヴァイを置く状況も変わらない。しかし、
「! な、に……っ?」
そわ、と頭皮が粟立ち、こめかみから耳、頬に、やはり奇妙な心地よさが走る。まるで、目に見えない何かに愛撫されているかのように。
困惑するハンジの両頬が温かい何かに包まれ、耳の固い部分をくすぐられ、顎筋を揉まれる。構えも何もない無防備が、好き勝手に、甘くいじられる。は、吐息を漏らしたのは、けして陶酔のためではなかった。そのはずだった。
「ん、んっ……あ!?」
そうこうしているうちに、後ろのほうではリヴァイの指が陰核を挟んでこすりだした。慌てるハンジの鎖骨にも透明な熱が下りてきて、下を向いて質量を増していた胸のふもとを、きゅ、と絞ってくる。そうして、ひときわ強い圧が、固くしこっていた粒をつまんだ。
「やだ、だめっだめ! 両方はだめ……!」
神経の高ぶりが涙を浮かせる。むずがるように首を振りながら、けれど逃げられず、心のどこかでは本気で逃げたいと思っているわけでもなく。だからハンジは、必死で身悶え喘ぐことしかできない。
上と下の固くしこった部分を攻められ、我を忘れて体をくねらせる。尻を振り、胸を揺らし、正常な頭なら媚を売っているようにしか見えないとわかるだろう姿態を、前と後ろの無法者に晒しだす。
小さな爆発をいくつか過ぎたところで、小休止のように背後の攻めがやんだ。そうして、ぜえぜえと息をつくハンジを嘲笑うように、今までと比較にならないほど重たい物量が押しつけられる。
「っ……」
ハンジは、やはり知っていた。これが何であるかを。ハンジがびしょびしょに漏らした体液を共有するかのようにぬるぬると擦りつけられて、「今からコレをお前の中に挿入れるぞ」と訴えられているのだ、ということを。
実感として与えられるその宣言は、脳神経が焼き切れそうなほどいやらしかった。後孔に固いところを圧しあてられて、皺を伸ばすように撫でられ、思わず膣の入口ごと締めてしまう。
「ぅ……りばい、リヴァイ……」
もういい。もういい、から。君のことが欲しいって、ちゃんと認めるから。
「はやく、きて……、っっっ!」
恥ずかしいほど大きく開閉を繰り返していた穴に、つぷ、と固いものがあてられて。次の瞬間、奥まで一気に突き入れられた。
「ーーっ! ぁ、っあ。ぐ……っ」
相変わらず痛みはなく、しかし重たい衝撃に貫かれ、ハンジは無意識に体を丸めていた。爪先を縮め、肌まで浮き上がってくる痺れに耐える。けれど、喉にまでのぼってきた叫びを逃そうと大きく息をついたのがまずかったらしい。
呼応してわずかに力を抜いた膣の中で、いきり立った陰茎がその緩みを〝受け入れられた〟と取ったのか、ハンジが落ち着くのも待たずに動き始めたのだ。
「んっ!ぁ あ゛! あっや まっ、でっ!」
硬くて重たい物が、もはや内臓を削る勢いで打ち込まれる。衝撃の分散を逸したハンジの中は、かえってそれをきつく食い締める。出て行くものに引きずられ、入ってくるものに押し込まれ、ひたすら翻弄される。自分の反応さえ何拍も遅れて脳に届き、届いたものが起こす快感に、また全身を犯される。繰り返し、繰り返し。
ぼろぼろと涙を流しながら、きつく固めていた拳に、ふと、宥めるような熱を感じた。ハンジは半ば無意識に掌を開き、縋るように宙に向ける。すぐにしっかりと握られる感触があった。抱きしめられている、と錯覚するほどの安堵が、そこから流れ込む。
「リ、ヴァイ、っ! うえ、ふっ、りばい、りあい……!」
名を呼ぶたびに、腹の奥底が緩やかにほどけていく。突き入れられる先端を迎えて、もっと、もっと、と飲み込もうとする。根元から最深部までが轟くように締まって、出て行かないでと食い止めて。
穴以外はほとんど人形のように揺さぶられ、ぱかりと開けた口から馬鹿みたいに声と涎を垂らしながら、ハンジは達し続ける体に泣き叫んだ。
「ぃ、あ゛っ、~~っ!」
ばちん、と。これ以上ないほど広く強く他人の肌を打ち付けられたあと、温かいものが中に染みていくのを感じた。「中に出されてる」とわかったのは、放出した男自身が、ぬるついたそれをかき混ぜるように腰を動かしたせいだ。
「ん、う、ぅ、っあ……」
とてつもない質量がずるりと抜けていったところで、固まっていた背筋も崩れた。激しく攻められたという実感はあったが、不思議なことに、骨身を削るようには沁みてこない。いや、夢ならむしろ正しいのか。ぐったりと弛緩したまま、どこか心地の良い疲労感に身を浸す。
じきに覚醒するだろうと思っていた。壁の向こうにいたハンジは、リヴァイが達したところで一旦意識を失くし、反対側のここに連れてこられたからだ。
夢が終わる。最低な夢が。
朝を迎えたハンジは、罪悪感を腹底に押し隠したまま何食わぬ顔でリヴァイの前に立ち、この先を過ごしていかなければならない。そう思っていたのに。
「……んやっ、なに……」
尻に触れる何かが、ハンジの意識を無理やり引き戻した。ぱちぱちと瞬きを繰り返してみても現実はいまだ姿を見せず、壁に埋まったままの下半身も解放される気配がない。おまけに、リヴァイの指が、再び粘膜に触れていた。
膨れきった敏感な襞を指で広げられ、揉まれ、頭に一気に血が上る。
「うっ……」
羞恥に腹が力んだせいか、中からとろりと精液が漏れてくる。挿し込まれた指がさらにそれを掻き出すように動くものだから、ハンジは精いっぱい顔を顰めた。
おかしい。夢が終わらない。この先のことは見ていない。
リヴァイがハンジの中に精を吐き出して、それ以降は転換したはずの場面が続いている。ここからさらに何をされるのか、ハンジは知らなかった。
二度目の挿入がくるのかと身構える。だがハンジの予想に反してその手が腰を掴むことはなく、かわりに、尾てい骨のあたりにチクリと摘まれるような刺激があった。最初は爪か何かが当たったのかと思ったが、同じ刺激が何度も、少しずつ場所を替えながら続く。
困惑するうちに、力強い手が弛緩した両脚をぐいと押し開き、腿の内側にまた小さな刺激を残した。温かい吐息に舐められたことでようやく気付く。
リヴァイが肌に吸い付いているのだ。
そのまま腿周り、膝の裏、と舐められ吸われ、いくら欲望を反映した夢だって少しやりすぎじゃないのかと自分が空恐ろしくなる。精の吐け口としてならまだしも、ハンジの体をも可愛がるようなことをリヴァイにさせているのだ。顔向けできないにもほどがある。そんな自責の一方で、興奮を抑えきれない。
脹脛に歯を立てられて、馬の脚のように持ち上げられ、足首に浮く骨に舌まで這わされる。啄んで遊ぶような感触がどうしようもなく心地よい。穏やかな愛撫にうっとりと沈みかけるハンジの足を、熱い手が後ろに引き、持ち上げて、
「……ひょわっ!?」
突然、足先が何か柔らかいものに包まれた。足首を手でつかまれたまま、親指とひとさし指をその何かでくるくるとくすぐられる。
「や、やだ!」
さらには指と指のあいだをぞろりと撫でられ、一転して神経を逆立てたハンジは思わずリヴァイの拘束を振りほどいていた。力を込めた脚がおそらくは彼の体のどこかに当たり、一時だけ接触がなくなる。
向こうにいるのがリヴァイだと知らなければいくらでも暴れていただろうが、彼だと知ったうえで、初めて拒絶らしい拒絶をしてしまった。慌てるハンジの肌の上に、けれどリヴァイはすぐに戻ってきた。
足への執着はもう晴らしたのか、また尻の肉を掌全体でわしづかみ、谷間を広げながら少しだけ位置を下げて、――新しい熱を、ひたりと押し当ててくる。あ、とハンジが疑問に思うよりも早く、尻の窄まりに固い先端が押し付けられた。
「え、っえ……あ、だめ」
比喩ではなく、めりめりと肉を割るような感触。経験したことのない衝撃に、しかも重たく継続するそれに、全身がかつてないほど緊張する。
嘘。嘘だ。
リヴァイが、まったき排泄のための後ろの穴に挿入しようとしている。違う。ハンジが挿入させようとしているのだ。ようやく追いついた理解が、かろうじて残っていた理性を一瞬で焼け野原にする。
「や、やだ! いやっ、なんで! やっ……あ」
がむしゃらに暴れるがもとより壁に嵌った身、しかもリヴァイの手がこれ以上ないほど強くハンジを捕えており、結局、なすすべもなく貫かれた。
相変わらず痛みはない。なのに未通の穴を犯される恐怖と苦しさだけははっきりとハンジの脳に伝わり、ほとんど狂乱状態になる。
「いやだ! リヴァイ、止めて、やめっ、……んうう゛っ!」
どこまで開かれていたかも定かではない道程を、ことさらこれだと示すように、太くて固い熱がいきなり激しく打ち付けられる。張り出した部分で、壁を擦ってくる。抜けていくそれの激しさに、内側の肉がめくれるような錯覚を抱く。リヴァイとハンジの肉がぶつかるたびに体内に鈍い音が響き、そのたびに火種が積みあがっていく。
「あ゛っ、あ゛っ! んぐ、っやら、っ、ぁあ!」
全身を激しく揺さぶられ、ハンジは濁った悲鳴を上げた。嫌だと思うのに、意思に反して穴は熱くなっていく。
リヴァイの一部が掠めたことによって、「ここがお前のイイところだ」と知らない箇所を突きつけられる。慈悲もないほど擦られ圧されるのを歓ぶ中が、別個の生命体が呼吸するように、ぎゅう、ぎゅうと彼を締め付ける。
ばちばちとぶつかる間隔が短くなっていく。ハンジは無意識に膝を折り、快感を得る場所にリヴァイを誘導していた。自分ですら気づいていなかった。ひたすら声をあげながら、脳のわずかな部分以外はとっくに「きもちいい」と叫んでいることにも、まったく自覚がなかった。
「いく、っいく! いっ、ちゃう、っ……!」
あられもない宣言を耳にして、その宣言どおりに達して、ようやく「おしりできもちよくなっちゃったんだ」と自らの状況を観て。
最後にハンジの全身に沁みたのは、後悔ではなかった。
浅ましく汚いだけの、ただの幸福だった。
**
「はっ……!」
息を止め、神経を研ぎ澄ませる。
腕から胴、腰、脚から爪先までを動かし、そこに寝起きの気怠さ以外感じないと確かめたハンジは、弾かれるように起き上がった。
室内は明るかった。夜中の雨に塵を洗われた空気が、朝の光をいくぶんか清涼にしながらハンジに届く。まぶしい、と思った。夢じゃない、とも。
「……なんって夢を見てるんだ、私は……」
ベッドに座り、思わず頭を抱えこんだ。
残念ながら昨夜の記憶は不必要なほどに鮮明で、下半身にもわずかだが、本当に男を受け入れたような痺れがある。かといって実際にあったことだとは思わない。人間の想像力は計り知れない、そうため息をつくだけだ。
数分身悶えていたハンジは、けれど足を踏み出さないことにはどこにも行けないことをよくよく知っていたので、観念して身支度を始めた。
顔を洗い、兵士になるための纏いを用意し、服を脱ぎ、それらのどこかしこにも、夢との共通項を見出さないよう薄目で事を成していく。――と、
「あれ、なんだこれ。……ぶつけちゃったのかな」
ズボンを穿こうと持ち上げた脚の内側に、小さな痣を見つけた。腫れもないため内出血だとはわかったが、患部は今しがたできあがったかのように赤く色づいている。覚えのないそれに首を傾げるものの、鳴り響いた時鐘にすぐに意識を奪われた。そろそろ朝礼の時間だ。
数秒もかけることなくベルトを装着したハンジは、上着をひっつかんで部屋から飛び出した。
主を失くして静まり返った室内に、あの緑の光はなかった。