大は少を兼ねない
大人リヴァイ×中学生ハンジ
大は少を兼ねない
大人リヴァイ×中学生ハンジ
1.
正直なところ、ハンジの恋人は、ハンジのことがそんなに好きではないのだと思う。
せいぜい「少しは好き」程度。
恋人になるまでの二年間、現恋人ことリヴァイ・アッカーマンはハンジにとって、学生寮のお隣さんで同級生で、良き友人であった。
料理の腕がピカイチ、そして病的に清掃と清潔にこだわる性分だった彼は、「最低限の衣食住が確保できればそれで十分」をモットーに生きるハンジをことあるごとに私刑にかけた。
ハンジもハンジで、普通の人間なら恐れ慄いて彼に従うところをそのモットーをまったく撤回しなかったので、二人は毎日のように一緒にいて、毎日のように同じことを繰り返した。
ドン引きする周囲をよそに、ハンジはその付き合いを悪くないと思っていた。リヴァイは時折食料を恵んでくれたし、衣服も提供してくれた。水道ガス光熱費の節約に協力してくれたし、住まいを間借りさせてくれたことさえあった。
施しを与えていたのだから、彼のほうだってきっと、少しは好き、くらいに思ってくれていただろう。
だからリヴァイに「俺と付き合え」と言われた中学三年生の春、ハンジは深く考えることなく「いいよ」と頷いた。二人が過去に積み重ねたものを吟味すれば、断る理由なんて一つもないように思えたからだ。
そこに恋人としての好意を見出だすことなど、ハンジは全くしなかったのだ。
「……あがったか」
「うん」
金曜はエッチの日。下校したあと十八時には一緒にご飯を食べて、腹が落ち着いたら片方ずつ風呂に入る。行為が終わったらハンジが先にシャワーを浴びて、扉から半身を出した彼に見送られて自室に戻り、歯を磨いて寝る。
それで終わり。
付き合って一週間で初めてのエッチを済ませたリヴァイとハンジは、それ以降なんとなく時間のある週末に行為を重ねるようになった。それなりに手間暇をかける夜が同じように二度、三度と続けばもう習慣となってしまい、毎週淡々とこなし続けて本日で八回目である。
ちゃぶ台の上にコップに注がれた麦茶が置いてあった。ガラスの表面の汗をかく直前の湿り具合は、リヴァイがハンジの風呂上がりを狙って淹れてくれたものに違いない。
ハンジは洗ったばかりの頭をタオルでかき回した後、麦茶を一気に飲み干した。冷たくて香ばしい液体がつるつると喉を滑り落ち、体内から表皮までをゆっくりと冷やしていく。
(さっきまでと逆だ)
などと、ちょっとあからさまなことを考えてみる。ハンジの中にはさっきまで、リヴァイの下腹から突き出たものが埋まっていた。そして絶えず熱を生みながら、内側からハンジを焼き尽くそうとしていた。
……のに、
「それ飲んだら帰れよ」
背を向けたまま、リヴァイが言う。手元が見えないので何をしているかはわからないが、大方行為の後片付けでもしているのだろう。
Tシャツの下の未熟な背骨と白い肌はいつも、ハンジが体表からエッチの名残を消した瞬間によそよそしくなる。早く帰れ、と声に出さずに訴えてくる。
ハンジは畳の上に寝転がった。どさり、という音にリヴァイの動きが止まる。
「ねえ……泊まってっちゃダメ?」
初めての提案だった。今日に至るまで、口に出すどころか思いつくことさえしなかった。けれどリヴァイは振り向きもしない。
「ダメだ。帰れ」
「なんで?」
「……布団が、一組しかねぇだろ」
「ふーん」
さっきまで眠るよりも激しい行為をしていた布団も一組だったのだが、それとこれとは違うのだろう。そうか、と一人納得し、ハンジは勢いをつけて起き上がった。
「じゃ、また明日ね」
「、おい待て」
「見送りならいらないよー! すぐそこなんだから!」
リヴァイの部屋を飛び出し、五秒もすればそこはもうハンジの領域だ。ワンルームの室内は灯りをつける必要もなく、玄関から入ってすぐに布団へ辿り着くことができる。この短さはありがたい。リヴァイとの行為は毎回一度挿れて出すだけにもかかわらず、ハンジをひどく疲れさせた。
その日もどうにか眼鏡を外して枕に顔を埋めると、ハンジの体はすぐに眠りの砂に飲まれはじめた。
……本当は、あのまま隣で眠れたら一番楽なんだけど。
しょうがない。
ハンジの恋人は、ハンジのことがそんなに好きではないのだ。彼の行動の至るところにその根拠を見つけることができる。
エッチが終わった後の素っ気なさはもちろん、最中だってなるべくハンジに触ろうとしないし(これはたぶん潔癖だからだ)、土曜から次週の木曜までの彼の態度は恋人関係になるまでのそれとまったく変わりがないのだ。
リヴァイを責める気は毛頭なかった。ハンジだって「いいよ」と答えた時、そこに感謝や妥協や打算がなかったわけではない。「なんだって私を恋人なんかに」と疑問に思いはしたが、エッチを求められた瞬間にそれも氷解した。
要するに、お互いが少しだけ良い人生を送りたいがために身近な存在に寄りかかったという、それだけのことだった。
だから、そう。ハンジの恋人が、ハンジのことをそんなに好きでなくともなんともない。お互い様だ。イッツオールライト。
むしろ「少しは好き」程度なら、掌にお釣りを握り込んでいる状態とさえ思うべきだろう。
──なのに。胸のなかにふと、冷たい風が吹いてしまう。
温くて圧のある睡魔に全身が浸かりきる瞬間、ハンジは小さく肩をすくめた。
**
瞼を通して感じる朝日が好きだ。
リヴァイと恋人同士になってからは特にそうだった。
朝が来れば、ハンジは夜の変に粘ついた気持ちを綺麗さっぱり消すことができた。消した顔でいつもどおりに笑えば、リヴァイもいつもどおりに軽口を叩いてハンジに向かって来てくれる。
今日は土曜日だ。天気も良さそうだし、早朝の散歩がてら町内の自販機の釣り銭を漁りに行ってもいいかもしれない。お腹が空いたらリヴァイの部屋の扉を叩いて朝食をねだる。うるさい、と挨拶がてらの一発をかわして彼に対面。これで完璧。
次第に薄くなっていく眠気の端を掴んで遊びながら、そんなことを考えていたハンジの脚に、──不意に、何かが絡まった。
「ーーッ」
ぎゅう、と全身が固まる。心臓が一度だけ大きく跳ね、そこを境に全力で脈を打ちはじめる。皮膚という皮膚からぶわりと冷たい汗が噴き出す。
ハンジの腿の辺りを跨ぐように、熱くて、重たい何かが乗っかっていた。
脚だ。ハンジは直感した。
大人の脚だ。ハンジのものじゃない呼吸の音もする。腹をぐるりと囲むものを感じる。これは腕?
誰かいる。布団の中に。眠るハンジの後ろに。
急激に冷たくなっていく手を握りこんで、震える肺で大きく息を吸う。ハンジはそして、大声で叫んだ。
「っーーリヴァイッ!」
「……るせえ、まだ寝てろ……」
「へぁっ?」
返答は、今まさに不審者がいるはずの背後からだった。と同時に、ハンジに絡みついていた腕と脚が、より一層きつく巻きついてくる。
そこで限界だった。
「ぎゃあああ! リヴァイ! リヴァイ助けて!」
ハンジは今度こそあらんかぎりの声をあげ、がむしゃらに体をばたつかせて戒めから逃れた。被さるものをどうにか跳ね除け、布団の外へと転がり出る。何も考えずに飛び出してしまったハンジは、玄関とは反対側に位置する窓に思いきりへばりついてしまった。
「あうっ……!」
窓の鍵を開けて顔を突き出して、隣室のリヴァイを大声で呼ぶまでに何秒かかるだろう。リヴァイは出てきてくれるだろうか。いつもの大騒ぎだと思いやしないだろうか。
間に合わずに不審者に引きずりこまれたら。もしかして殺されたりなんかしたら。
昨夜のあの背中が、ハンジが思い出すリヴァイの最後になるのだろうか。眼裏に(一応は)恋人の(はずの)顔を描くことすらできなくて、激しく震える指で何度も錠に触れながら、ハンジは叶わない逃亡にとうとうしゃくりあげた。
「……ハンジ?」
せめても、とその声を思い出す。
「りゔぁ、りゔぁい……!」
「おい……俺はこっちだろうが。さっきから何騒いでんだクソメガネ」
そう、リヴァイがハンジを「クソメガネ」と呼ぶ時の、あの→↗︎↗︎↘︎↗︎のイントネーション。メガネにクソってどういうセンス──
「え?」
「あ?」
またもやハンジは直感した。
背後から呼びかけてきた声を、その主を、ハンジは知っている。
恐る恐る体の向きを変えたハンジの前に、果たして〝彼〟はいた。
「デカくない?」
「小さくねぇか?」
ほとんど同時に発した台詞で、二人はほとんど同時に互いが互いに抱く違和を理解した。
「お前、ハンジだよな?」
ハンジにそう訊ねた不審者、もとい暫定不審者は、布団を被ったまま肘をついて起き上がっていた。その姿を、ハンジは左から右にとくと眺める。
まっすぐな黒髪。特徴的なツーブロックの髪型。悪い悪い目つき。笑みの角度まであがらない硬い口元。
これは、どこからどう見ても。
「リヴァイ……」
敷布団からはみ出しそうな長さの、脚。
「リヴァイ……?」
「今どこ見て疑いやがったてめぇ」
「やっぱり違う! 誰なのあなた! なんで私の部屋にいるの! なんでそこで寝てるの!」
「お前の部屋?」
リヴァイによく似た暫定不審者が、そこで初めて周りを見回した。ぐるりと視線を巡らせる間に五回ほど「汚ねえ」と呟いたことで、ハンジはますます〝彼〟の正体がわからなくなる。
「デカい」と言うのは、単純に体の大きさのことではない。〝彼〟は隣人のリヴァイにそのまま齢を加えたような、そういう姿をしていたのだ。対して〝彼〟も、ハンジを訝しげに見つめ直す。
「……おい、歳いくつだ」
「じゅっ……じゅうよん」
「ここは寮か、中学の」
ふ、と目を伏せた〝彼〟は、それから「いま何月だ?」と呟いた。この部屋にカレンダーはない。ハンジは素直に「六月」と答えた。
「じゃあ、もう付き合ってた頃か」
「うえっ?」
頬がカッと熱くなる。主語が抜けていたが、言い方からしてリヴァイとハンジの関係についてに違いなかった。どうしてそこで、そこに言及するのだろう。しかも過去形ではなくて過去完了形だった。まるで未来から来たリヴァイの言葉のように。
「どういうこと?」と訊ねようとしたハンジを、〝彼〟の薄い色の瞳が──リヴァイと同じ色の瞳が捉える。
ハンジは確信した。
〝彼〟は、リヴァイだ。
大人のリヴァイは、わりと寝汚かった。
目の前のハンジと自分が今いる場所と時間とを把握すると、もう一度布団に寝っ転がってしまったのだ。仰天したハンジは思わずにじり寄り、「また寝るの?」と訊ねていた。他にもっと聞くべきことがあったのだろうが、怠惰な行動への衝撃が勝った。
「土曜だろ」
「今日? うん、土曜だよ。なんで?」
「いつも昼まで寝てるから、だりぃ」
「えっ、昼まで!? リヴァイが!?」
「なに言ってんだ。お前がいつも、」
そこで一度言葉を切った大人のリヴァイは、寝転がったままハンジを見つめて、それから平坦に続ける。
「お前がいつも寝かせないんだろ」
「……リヴァイを? 私が?」
「ーー金曜の夜」
金曜の夜。
昨日も金曜だった。昨晩も、金曜の夜だった。
大人のリヴァイは「いつもハンジが寝かさない」と言った。ハンジが知る金曜夜の習慣はアレだ。けれどハンジが昨晩一緒にいたのは、大人じゃないリヴァイだ。
──もしかして。
「昨日……〝大人の私〟とエッチしたってこと?」
「ああ」
「もしかして、毎週してるの?」
「特に激しいのは金曜だ」
なんてこったい。ハンジの頭は熱で頭蓋の形さえ変わりそうだった。思考が追いつかない。
つまり、今ハンジの目の前にいるリヴァイは、隣に住む同級生のリヴァイが突然変異で大きくなった姿ではないということだ。そういえば体に合ったTシャツとスウェットを着ている。意図せず成長したならピッチピチかビッリビリになっているはずだ。というかそもそもハンジの布団で目を覚ましたりしない。
そして彼は、〝大人のハンジ〟を知っている。あまつさえ、毎週決まった曜日にエッチをしている。それも、特に激しいのは、だ。特に激しくないのは金曜の夜じゃなくてもしているということだ。
「……ねえ、今いくつ?」
「二十二」
「私たち八年後もエッチしてるの!?」
「そうらしいな」
天井を仰いでいた大人のリヴァイが、片肘をついて体を起こした。掌に頭を載せ、じぃっとハンジを見つめる。ハンジも八年の歳月を湛えるその顔を見返した。
この人は私と同じことを考えている、という予感とともに。
「これって、夢?」
「あり得るな」
「どっちの? あなたの? 私の?」
「俺の夢だと思うが、お前はどうだ?」
「私は私の夢だと思う」
「決まりだな。二対ゼロでこれは夢だ」
この意味のわからない結論の出し方は確かにリヴァイだ。ハンジは頷いた。突然成長したリヴァイが現れたと思ったら、ハンジの知るリヴァイとひと続きの性格を有していた。そして記憶もだ。ハンジの脳が作り出したリヴァイ像に違いない。
──理想の姿かは、わからないが。
大人のリヴァイも同じように思ったらしい。「なんでガキの姿なんだ」とかなんとか言いつつ、ハンジの腕をとる。手首を、分厚い掌が包む。夢なのにひどく温かい。
「四月の、八日だったな」
「なにが?」
「お前と付き合いだした日」
ぱかりと開いた口が、そのまま戻らなくなる。
まただ、この人またハンジとの恋人関係を話題に出した。付き合ってまだ二ヶ月とはいえ、現実のリヴァイは一度もそんな話をしたことがないのに。どういうことだ。ハンジの深層意識が、リヴァイに恋人の自意識を求めているとでも言うのだろうか。
「お、覚えてるの?」
「ああ。初めてセックスした日も」
リヴァイはハンジを目と手で繋いだまま、さらに言った。
「……痛がらせた」
「やめて」
限界だった。彼をリヴァイだと認識する前に感じていた恐怖よりも、強くその場から逃げたい気持ちになる。
付き合い始めた日も、初めてエッチした日も、リヴァイが初めて挿入ってきた時の痛みも、ハンジはちゃんと覚えていた。金曜夜の習慣だって、何かに夢中になると時間どころかすべてを忘れてしまうハンジがそれだけは覚えていた。エッチの回数は言わずもがな。蔑ろになんかできなかった。
けれどハンジが蔑ろになんかできないことを、リヴァイは知る由もないのだ。知らせる勇気もない。だからリヴァイは何も知らないはずだった。
変に粘ついた気持ちが最高潮になる夜を、いつだって朝の光で浄化していたのに。最後の最後で自分の夢がメタメタに攻撃してくるなんてあんまりだ。
「大人の私のこと聞きたい。聞かせて」
ハンジは話題を変えた。なんせ自分の成長した姿だ。もっとも純粋な理想と素直な欲望で描かれているに違いない。
リヴァイは一つ頷いて言った。
「俺とのセックスが大好きだ」
「なんでだよおおおおおぉ!」
純粋な理想と素直な欲望に裏切られて身悶えるハンジを、リヴァイが握ったままの腕を振って落ち着かせようとする。「なにも悪いことなどない」と言い聞かせる優しさで。
「嫌いなよりはずっといいだろう……少しヤりすぎる気もするが」
「や、やりすぎる?」
なんだそれは。なにをどうやり過ぎるのが自分の理想の姿なのだ。リヴァイが初めて気まずげに目を逸らした一瞬、ハンジは危機感を覚えて制止の声をあげようとした。しかし間に合わない。
「金曜はだいたい、部屋に入ってすぐ玄関でする」
「っひ」
「ドアに押し付けられて犯されるのが最高に滾る、らしい。俺もだが」
なんて?
いや聞き返したくない。もう聞きたくない。
「風呂で何回かやって、軽く飯を食べて、あとはもう気絶するまでだ。朝起きたらお前が上で腰振ってたこともあった」
聞きたくないって言ってるのに!
そこで声が出ていなかったことにやっと気づいたハンジだが、リヴァイは妙な熱を込めて朗々と続けた。
「一番酷かったのは去年のお前の誕生日だ。一ヶ月間セックス拒みまくって、日付が変わった瞬間俺に跨ってきた」
「ひぃぃ」
「俺は寝てるあいだに腕を縛られてた。ついでにちんこの根元も縛られてた。リボンで」
リボンはそんなところに結ばれるために生まれてきたわけじゃない。断じて違うはずだ。その時リボンが放り込まれただろう闇に、ハンジも同様に放り込まれる。が、リヴァイはやはり止まらない。
「あの夜は辛かった……目の前で前も後ろもびしょびしょの穴晒して、散々俺を虐め抜きやがった。やっと解きやがったと思ったら、アイツなんて言ったと思う?」
「知りたくない!」
「『プレゼントに濃い精子いっぱいちょうだい❤︎』だ」
「うわあああぁ! それもう正気の沙汰じゃないよ! なんでそんなことになっちゃったの!?」
「さあ?」
「さあ!?」
大混乱のハンジに対して、リヴァイは「なぜそんな質問をするんだ?」という疑問の表情で見返してくる。
──『なぜ?』
口を噤み、呼吸を整えてなんとか脳にエネルギーをまわす。これはハンジの夢だ。質問を受けて生まれたハンジの回答にこそ、質問の意図──ハンジの望むものが隠れている。
しかし、先に答えを示したのはリヴァイだった。
「なんでって……二人でイイと思ったことをしてきたから、じゃねぇのか」
「……変なところにリボン結ばれて、辛かったのも?」
「そうか。俺の夢だから俺が言えなかったこと言わせようとしてんのか」
リヴァイがまた意味のわからない結論を出してしまった。それで納得しているので、ハンジはなにも言えない。
「あの時は言えなかったが」
喉を詰まらせ、それでも観念したように目を伏せる。ハンジの腕に触れている手は、ずっと優しくて温かい。
「濃い精子ぶちまけて、お前を孕ませたかった」
そう思うほど良かった、と。
大人のハンジがそうであるように、大人のリヴァイも、ハンジとのエッチが大好きだった。