目に映るもの、すべて
とある憲兵とハンジの話
目に映るもの、すべて
とある憲兵とハンジの話
1.
「あの分隊長、どうも女みたいですよ」
扉に手をかけた瞬間、背後で部下が囁いた。声色から滲み出る油のような喜色が何を期待しているかなど、わざわざ聞き返すまでもない。「しばらくどっか行ってろ」とだけ残し部屋に足を踏み入れる。
傷んだ木の床が重たい体を責めるように軋み、部下の返答をうやむやにした。
扉を閉め鍵をかけたところで、薄暗い室内でじっと俯いていた女が顔を上げた。目が合って数秒。これから起こることを察したのかその身体が小さく強張った。
女の名は、ハンジ・ゾエという。
つい先頃までは『兵団』の体をなしていた調査兵団で分隊長を務めていたが、今は犯罪者の一員だ。
粗末な椅子に縛り付けられ、窓を塞がれた狭苦しい部屋に押し込まれた女は、それでもまだ、ここに連れて来られた時の烈しい気配を保っていた。緊張に固まった姿を眺めながらゆっくりと近づいていく。
驚いたことに、女は泣いていた。
よく見れば片側の頬が赤く腫れていて、俺がここに来るまでに殴られただろうことが簡単に知れる。こちらを睨み上げる目つきは多少は気骨を感じるものであったが、汚れたランプの明かりが浮かびあがらせた頬は涙でまんべんなく濡れていて、全体的になんともちぐはぐな光景だった。
「さて」
隅に転がっていた木箱を女の前に放り投げ、適当に腰を下ろす。女は椅子の肘に括られた腕をほんの少しだけ動かし、時間をかけて拳を握りしめた。視線は相変わらず強いままだ。
「ハンジ・ゾエだな」
「そうだけど」
返答は早かった。「そんなこと隠しても仕方がない」ことをよくわかっている冷めきった声だった。同時に「なんでいちいち確認してんの?」という、こちらに対する冷たさも感じられた。
俺は安堵した。
ぐちぐちと無駄な問答をするのが嫌いなのはこっちも同じだ。こんな仕事はさっさと済ませるに限る。
「口を割らずに痛い目見て死ぬのと、洗いざらい白状して苦しまずに死ぬのと、お前はどっちがいい?」
状況が示すとおり、女の行く末は俺の掌の上にあった。選択肢を示すように手を翻して見せるが、女はさして興味もなさそうに「あがいてちょっとでも長生きする方」と返してくる。己の立場を理解していない、いかにも思い上がった言い方だ。俺は大袈裟に肩をすくめて返す。
「念のため言っとくが……そっちを選んだ場合、お前が有益な情報を吐くまで徹底的にやらせてもらう。いいんだな」
「忠告をありがとう、親切なんだね。口答えするたびにぶん殴られるんじゃないかってビクビクしてたんだよ、正直」
「お望みならそうしてやるが?」
とんでもない! と首を振る女になんとなく嫌な予感を抱く。二、三発軽く殴りつければすぐにでも目的は果たせるだろうと思っていたが。この女、口数は多いくせに飄々としていてどうにも真意を掴みにくい。
椅子の横に落ちているゴーグルは女のものだろう。フレームの歪みとレンズのヒビが暴力の痕として残っていた。『俺が来るまで何もするな』と命じたはずの部下が言いつけを守らなかったことが疑問だったのだが、このよく回る口を黙らせるためだったに違いない。
現に今も、女はうるさく話し続けている。
「痛いのは嫌だよ! こちとら君たち中央憲兵のように毎日人間相手に拳を振るうような仕事してるわけじゃないんだからね。骨と骨のぶつかり合いがこんなにじんじんと痛むだなんてすっかり忘れていた。待てよ、よく考えたら訓練兵の頃以来かもしれない」
よく喋る奴は嫌いだ。
俺はまだ何か言い募ろうとする女の頬をつねり上げた。たちまちあがった悲鳴にいくらか満足する。
「痛っ……! 何するんだよ!」
「なあオイ、頼むぜ。この程度で騒ぐ奴が〝痛い目〟に十分と耐えられるなんてこたぁねえんだ。お前、自分の肉が切り取られて目の前で秤にかけられるのを黙って見てられるのか?」
「なんだそれ、悪趣味だな。なんで黙ってなきゃいけないんだよ。痛いもんは痛いし嫌なもんは嫌だ!」
「じゃあぺろっと喋っちまおうぜ。エレン・イェーガーと、ヒストリア・レイスの居場所をな」
俺の所属する組織が現在求める情報とは、実のところガキ二人の行方という小さくてくだらないものだった。犯罪者の残党どもも二人の側にいるだろうし、こちらとしてはそれさえ吐けば苦しまずに死なせてやろうと、それくらいの優しさは見せてやってもいいと思っていた。
けれど女は嗤った。頬を濡らしたまま。
「それは言わない。言いたくないから」
ああ、やっぱりな。
この女、相当面倒な奴だった。
極端に強がることも、媚びることもしない。身体を強張らせはしても見せる弱さはそこまでで、青ざめて震えることもない。
女がその目に湛えていたのは、自分の未来に希望を見た強さなどではなく、諦めの上に立つ悪あがきの燃えカスだったのだろう。あるいは、そんなものがこの場においての強さなのかもしれない。
閉じている方が少なさそうなその口は、しかし真実を紡がせるのはいかにも骨が折れることに思えた。
(……あの野郎)
現場では後方支援の役ばかり回してきて、そのくせこういう面倒な人間の処理は俺によこす。
女を押し付けてきた上司に対し、俺は心中で思いつく限りの罵声を浴びせた。あんないい加減な男がなぜ王のお膝元部隊の長なんかを務めているのか。
とにかく、だ。こちらが欲しいだけの情報を得るためには、どの程度この女を痛めつければいいのか。
長期戦になるだろうが、加減を間違えれば誤って殺してしまう可能性もある。さてどうするか。
黙り込んだ俺に軽く笑いかけると、女は興味が失せたように顔を伏せた。
と、意外に繊細な目の縁があらわになる。ほの明るい中でもわかるほどには長い睫毛が、くたびれた肌に場違いに映えている。なんとはなしに女の額から鷲鼻、腫れた頬、ピタリと閉じた唇、顎までを目で辿り、首筋から鎖骨を下りた後、俺はよれたシャツに包まる胸板で移動をやめた。
──『あの分隊長、どうも女みたいですよ』
部屋の前で、部下にかけられた声が甦る。
そうだ。巷じゃ性別不詳の巨人狂いとか何とか言われていたらしいが、こいつは女だ。
下半身の形などどう見てもそうとしか思えないのだが、調査兵団では上に行くほど性別を見なくなるなんて独自の文化があったのかもしれない。
馬鹿なことを考えながら、俺は女のシャツの前身頃を掴み、力任せに裂き開いた。
「うっ……えっ!?」
「……なんだこりゃ」
女が弾け飛んだボタンや涼しくなった胸元に反応するのとは別に、俺も目にしたそれに驚愕する。
視線の先に予想していたような薄い胸はなく、代わりに厚めの生地に幾重にも覆われた、見るからに硬い平面があった。
なるほど、どうやら『性別不詳』は本人が意図してのことだったらしい。……好都合だ。
「な、なになにっ、生きたまま開胸手術でもすむぐっ!」
あからさまに狼狽える女の顎を捉え、首筋に顔を寄せる。下から上へ息を吸い込みながら登り、辿り着いた場所をひと舐めすると、舌で触れた肌がぶるりと震えた。生きた人間の、濃厚な味と匂いがする。不快感を覚えることもなく、むしろ腹が熱くなるのを意識する。
手を離して女と目線を合わせると、俺は口端だけで笑いかけた。
「よかったな。相性がイイらしい」
「は?」
「痛いのは嫌なんだろう。しょうがねえからよがり狂え」
その口が何かを返す前に、女が座る椅子を後ろに蹴倒した。
「っぐ……‼」
なんとか頭を浮かせ衝突に備えたらしい女は、それでも背中を打ちつけた反動で息を詰まらせている。構うことなく椅子の足に括り付けてあった女の両足を解放し、倒れた体の上半身に押し付けた。半分に折りたたまれた体を跨ぎながら座面の枠に腰を下ろせば、女は足の裏を上に向けた姿勢から動けなくなる。
「ぐるっじい、ん、だけど」
「だろうな」
両膝の間から顔を覗かせたなんとも滑稽な姿で、女は戸惑うようにこちらを見上げた。が、俺の意識の先を追ってすぐさま頬を引きつらせる。
「……うそ、やだ、まって」
「動くなよ。動けりゃの話だが」
腹に手を潜り込ませてズボンの開口部を緩めると、俺は女の下半身を剥きにかかった。下着ごとずり上げたズボンは腿のあたりでわだかまったが、目当てのものが露わになったので差し支えはない。
「……ガキみてえなナリしてんな」
「……っふざっ、けんな……!」
俺の体のすぐ下で、女の性器と尻の穴が丸出しになった。
毛も色も薄い肉の重なりはピタリとその隙間を閉じている。厚みから多少は柔さを備えたものだと知れるが、果たして、中はどうか。俺は指にたっぷりと唾液をからませると、慎重にそこを割り開いた。
尊厳を奪う方法なんぞいくらでもある。
胸を固く覆い隠す女を、女としての快楽に落とすこと。
それが今ここでの最善の策に思えると、ただそれだけのことだった。