3.
3.
部屋から出た俺を待ち受けていたのは、ケニー・アッカーマン──隊長だった。
「仕事は終わったのか?」
仕事、を強調する言い方に、すれ違いざまにゲロをかけられたような不快感が募る。それがなぜかはわからないが。
無言の俺にケニーは鼻を鳴らした。首尾よくいかなかったことを察したのだろう。そのくせ、俺が存分に楽しんだことも。体には女の匂いがじっとりと染み付いている。
端的に言って、俺はしくじった。
女を散々鳴かせて、分隊長としての確たるプライドを粉々にして、あわよくばべらべら喋るようになるほど骨抜きにしてやろうなんて思っていたのだが、女は曲者の中の曲者だった。
そもそも、プライドなど欠片も持ち合わせていなかったのだ。
引き抜いたペニスは、さすがにもう力をなくしていた。何度突き上げて腹の中に吐き出したのか、最初から数えてもいなかったのでわからない。途中で悲鳴を上げた椅子を放棄し、信じられないことに汚い床に衣服を撒き散らしただけの場所で、俺は何度も女を犯した。
泣きわめいて「やめて」だのなんだの懇願していた女も、少し過ぎたあたりから抵抗しなくなった。目は完全に熱に溶けて、自由になった手足で俺を遠ざけるどころか抱き込んで、鼻にかかった嬌声をあげて、射精の瞬間に合わせて中をめいっぱい動かすような、そんなどろどろの体になっていた。
寝そべったままの女の隣に座り込み、そのぐちゃぐちゃに汚れた肌を眺める。
「……死にそう」
不意に女が呟いた。最中はあれだけ我を忘れた様子だったのに、その声ははっきりと意識を取り戻していた。やられた脳で発している調子ではなかった。
そこでもうそろそろ、俺は自分の愚かさに気づくべきだったのだ。
「やだ……もぉ、こんなの……」
「……分隊長様もすっかり形無しだな」
「最初に、言ったじゃないか……言いたいことは言う」
「はっ、……プライドってもんはねえのか」
女がよろよろと半身を起こし、俺を見た。
完全に虚をつかれた。その目は甘さを宿したまま、それでもまっすぐ俺を見つめていた。
「プライド……? なんだそれ……もしかしてあなた、腰振りながらそんなもの探してたの?」
この中に、と女が指差した先は、俺が懸命に搔きまわしていた腹だ。
「この中にそんなものはないよ。もっと言うと、君たちが必死こいて捕まえようとしてる調査兵の誰一人、そんなものは持ち合わせていない」
「──は?」
「私たちの信じるものは、壁の外にある……。その信念は壁の外を目指す人間総てが持ち得、壁の外を目指す人間がいなくならない限り消えることはないんだよ……! ねえ、わかる⁉」
突然両腕を広げ、女は大勢を前にするかのように声を上げた。
「私たちは自ら外に出て、命を賭けるだけの理由をそこに見出したんだ。どんだけ負けたって、辱められて痛い目見たって、そのことに変わりはない。ずっと変わらない。戦うための理由も、例えば自分の肉が秤に載せられる苦痛に耐える術も、知らない男のザーメンまみれになる意味も、ここにはないよ」
それは、と言葉を切って、女はまた俺を見つめた。俺はその表情に憐れみを見た。
「それは壁の外にある。……でも、あなたにはわからないよね。壁の外を見たことがないんだから」
女は立ち上がり、下敷きにしていた残骸とも呼べる衣服を埃をはたいて着直し始めた。
「あなたって、自分で選んでここにいるの? プライドかなぐり捨てるだけの何かをここに感じている? 中央貴族が、王がどうして〝知る〟ことをそんなに恐れているのか、ちゃんと知ってる……?」
女が手を動かしながら囁く言葉は、もはや誰かに向けたものではなかった。
俺も俺で、女の声をぼんやりと聞くだけになっていた。
強がりだと断じるだけのものを女の中に見つけることが、どうしてもできなかった。自分のやったことの意味を、そもそも意味なんてあったのかを、鈍足な脳がやっと考え始める。
すべて演技だったと、そういうことだろうか。まさか。
出し抜かれたという衝撃に、感情はいくら待っても追いついてこない。のろのろと立ち上がった俺に、脱ぎ散らかされた服を渡す余裕さえ見せながら、女は言った。
「たくさんの情報をありがとう、リヴァイ・アッカーマン副隊長」
「……!」
この部屋に来てから、女に名乗った覚えはない。名を記したものさえ持っていない。なぜ、と問う前に女が続ける。
「あなたの部下はあなたのことが大好きなんだねえ。随分と嬉しそうにお喋りしてくれたよ。ちょっとつついたら怒っちゃったけど」
言葉の奔流を掬い上げるのに精一杯の俺を置いて、ぶつぶつと話は続く。
「あなたも、そんな強面しといて存外よく喋る。少なくとも私よりはね。部下たちは未だ捕まっていないようだし、君たちはまだ残党狩りに精を出してくれているようだ。あなたが前線に出ないだけの時間も稼げたし、もう事態は好転しているかもしれない」
「……おい」
「それから、あなたって最高に上手。本当に死んじゃうかと思った。クっソむかつくけど」
「……は……?」
「私のこと、ここで殺すかい?」
明日の天気を尋ねる調子で、女はそう言った。
完全に狂っている。
安寧を飛び出して壁の外を目指す者の成れの果ては、皆そうなると言うのだろうか。
だとしたら、
──壁の外に、いったい何がある。
「殺したのか?」
「いいや」
今から殺して来い、と言われたらどうするか一瞬だけ考える。が、ケニーは何も言わずに壁から背を離して歩き出した。
「ケニー?」
「調査兵が動き出した。お前が〝お仕事〟してる間におかしな事態になっちまってんだよ。女一人に構ってる暇はねえ。とっとと行くぞ」
「……どうせまた後方だろう」
「あーん? 与えられた仕事ひとつ満足にできねえくせに、どこのチビが生意気ほざいてんだぁ? いいから来いや」
言われるまま、その背中を追う。
地下で初めて会った時も、地上に引き上げられた時も、俺はこの背中を追った。追うだけでよかった。そうすれば生き残れた。
後ろも、脇道も、見る必要なんてなかった。見たところで思考の隅に留め置くことすらもしなかった。
本当は、死なない程度の前線に出されない理由を知っている。下水を煮詰めたような汚れ仕事が、怪しまれない加減で回ってこない理由も。誰が、何を意図してのことかなど、俺はとっくに知っていたのだ。
「償いのつもりか。クソが」
ケニーは振り向かない。歩みも止めない。
「てめえが自分の道くらい自分で選べるってんなら、俺は拳でもって祝ってやるだけだぜ」
それきり会話はなかった。
次第に騒がしくなる周囲に飲まれながら、けれど俺は、部屋を出る前に女と交わした言葉について考えていた。
「壁の外に……何があるってんだ」
女は笑った。
この部屋に入ってから目に映った女──ハンジ・ゾエの中で、それだけは心からのものだと。
本物だと言いきれた。
「あなたの目で見てよ、リヴァイ」
〈了〉
(初出 17/07/26)