「なんだいその顔? クソでも溜め込んでるの?」
普段は全く困ることもなしに読んでみせるリヴァイの表情を、今この瞬間は飄々と訊ねてくるハンジがリヴァイは心底腹立たしい。
彼女が首を傾げて答えを促す仕草をすると、眼鏡のレンズが光を受けてその眼を隠した。
リヴァイはそれに舌打ちと、「クソメガネ」の罵倒で返事をする。
溜め込んでるのはクソではなく鬱憤だ。そして肉体的な欲望。
蓋をしているのは目前の対象、ハンジ・ゾエである。
「なんだいその顔? クソでも溜め込んでるの?」
普段は全く困ることもなしに読んでみせるリヴァイの表情を、今この瞬間は飄々と訊ねてくるハンジがリヴァイは心底腹立たしい。
彼女が首を傾げて答えを促す仕草をすると、眼鏡のレンズが光を受けてその眼を隠した。
リヴァイはそれに舌打ちと、「クソメガネ」の罵倒で返事をする。
溜め込んでるのはクソではなく鬱憤だ。そして肉体的な欲望。
蓋をしているのは目前の対象、ハンジ・ゾエである。
補足:めがね( )かけるべし
扉を背にして退路を断ち、腹立たしくも背の高いその全身を見据えながら、リヴァイは鬱積を晴らすべく尋問を開始した。
「ハンジお前……なぜ最近避けやがる」
「避ける? あなたを? 避けるわけないよ、こうして寸暇も惜しんで顔を見に来てるのに……」
珍しく甘い言葉がハンジから出るも、無視。
「違う」
「じゃあ何? 目的語をくれよ」
「セックス」
ハンジの動きが止まった。
このハンジ・ゾエという女、基本的に嘘がつけない人間である。
隠し事はする。が、正面からそれを指摘されると上手く誤摩化しもできない性分だ。そんなハンジのことを、リヴァイは昔「さぞかし生き辛いだろうな」と思っていた。あれから時を経た現在、ハンジのこの性格で彼女を困らせる役目はもっぱらリヴァイのものだった。
今も、ハンジの眼がふっと泳ぐのをリヴァイは見逃さなかった。
賢しいくせに、どうしようもないアホめ。
「てめえ……またそのクソ眼鏡を放り投げるか? それとも今すぐここであんあん言わせてやろうか」
「リヴァイ、その顔であんあんとか言わないで。怖いから」
ついでのように「どちらも要らないよ」とも付け足し、ハンジは困り顔で頭を掻いた。
例えばそう、二日前のことだ。
夜の帳がおりた兵舎。鍵をかけた部屋に二人、一歩先の距離に完璧に整えた寝台。ぐっとあがる温度、湿度。
ハンジの腰に手をまわし尻をなで擦ろうとしたリヴァイの手が、他でもないハンジに摘まれ剥がされ、言われた事が「ちょっと滾る私の見解を聞いてくれないかい?」
内容は『王都の建築物に見る現代美術の変遷』。
クッソどうでもいい。便所に流せ。
ちなみにリヴァイにとって糞尿と変わらないその話は二時間続いた。さらに、こんな態度が二週間続いているのである。
「やーしかし、そっか。バレてたか」
「……お前はたまに、俺に対して本気で、クッソ舐めたことをぬかすよな?」
そのようなあからさまな仕打ちをしておきながら「やっべー気付かれてたか」とは、リヴァイを舐め腐っているにもほどがある。ハンジはすぐに自分の失言に気付いたようだった。眉尻を下げ、ごめん、と謝罪を口にする。
「実はその……状況をさ、見極めているんだよ」
「そうか、そりゃご苦労だな。ヤらせろ」
「待ってリヴァイ。人類らしくまず対話をしよう」
その対話をすっ飛ばして一方的な行動でリヴァイを振り回しているのはどこの誰だというのだろう。
舌打ち一つを合図に、リヴァイは予備動作もなく床から踵を離しハンジと距離を詰めた。
上げかけた手も握りこんで、半開きの唇に吸い付く。
「ん……っ!? ぁ、」
驚愕の視線を一睨みで縫い付けて、割り開いた口に舌での侵攻を開始した。勢いよく近づいたリヴァイの鼻に叩かれ、眼鏡がカチャリと音を立てる。空いた手はもちろんハンジの腰を抱き、そのまま少し上向きに張った尻を撫でまわした。
「ふぅ、ちょ、リヴァイ」
「対話をしようじゃねか……ハンジ」
舌を動かし、唇を動かし、発する声と含まれた言葉で互いの意思を伝える。
これは対話だ。
リヴァイが仕掛けたのは、対話を促す声だ。
ハンジの逃げ回る舌を追いかける振りで翻弄し、尖らせた舌先で上歯の根元から奥の口腔をくすぐってやると、彼女の脚があっという間に震えだした。ぎゅっと肩に縋り付く手をリヴァイは単純に喜んだ。
昼食の口直しに噛んだミントの香りが消えて互いの唾液の味になる頃、ずれたレンズ越しのハンジの榛色はとろりと溶け出した。自分の中のリヴァイを追い出すことを諦めたばかりか、それを甘噛みし、吸い、次いで歯をなぞり、口内に溢れる唾液を飲み込む。
休むことなく煽ってくるハンジの口はリヴァイに確かな欲望を訴えている。
続きがほしい、と。
リヴァイの意を伝えるため、押し付けた腰を下から上に抉るように軽く動かす。
と、次の瞬間ハンジがリヴァイから弾き飛んだ。
「っ! てめ……」
「だー! ちょっと待たんかエロオヤジ!」
人一人分空いた空間に緊張が走る。
「だから、それ! そういうのだよ!」
「落ち着け。どれだ」
「ええと、だから……。あなた普段、瞬き程度の時間でお風呂に入ったり、体を休めたりするだろう? お酒だって本当は浴びるほど好きだろうに、舐めるような飲み方しかしない」
リヴァイが浴室にいる時間は短い。十分もしないうちに脱衣から洗浄、完璧な身繕いを終えられる。
常に清潔を心がけているからこその無駄のない早業である。
睡眠もまた、とても短い。椅子に腰を掛けて目を瞑り、組んだ腕と脚を二、三時間ほど保てばそれが"睡眠"になる。
けれど酒は別に浴びたくない。一晩に二瓶干すのを"舐めるような飲み方"とも言わない。
リヴァイは黙って次を促した。
「それで、そうやってよし完璧!って不測の事態に備えてる中で、間に私とのそういうことが入っちゃうとさ、ダメじゃない? 本末転倒もいいところっていうか、台無しじゃない?」
途方にくれたように、ハンジは蜜を煮詰めた色の己の髪をかき混ぜた。
『不測の事態に、いつでも対応できるように』
それは訓練を受けた兵士とて精神を削るような律だが、リヴァイは別に、己にそれを強いているつもりはなかった。単に気を緩めれば殴られ蹴られ命を脅かされる子供時代を生きて習慣と化したその生き方を、今さら改める必要性も感じないだけだ。
ここ調査兵団は(壁内に限定すれば)地下に比べて格段に生きやすい場所である。
が、この日々にいつ何時、何が起こるかわからないという認識は、リヴァイにとって生における前提だった。
当たり前のものだった。
そうしてあの日、壁が壊された。
以降、リヴァイが備える"不測の事態"はより明確な形を持って日常の側に佇むようになった。
──つまり、
「ハンジ、お前何が言いたいんだ?」
リヴァイはまた眉の間に皺が寄るのを自覚する。
ハンジの言うことは基本的には明瞭でわかりやすいが、話者のハンジ自身が感情を傾け始めるとそうもいかなくなる。めまぐるしく跳ね回る感情の落とし所を話しながら探すものだから、リヴァイはその言葉の意味するところを時には何度も尋ねなければいけない。
当のハンジはそれを煩わしく思うでもなく、むしろリヴァイが「頼むから俺にもわかるように説明しろ」と止めるのが嬉しいらしい。一人で走ってしまうハンジの思考に"わからない"と手を挙げて示す人間は多くても、"わからないから、わからせてくれ"と裾を引く人間は、実はあまり多くない。
だから、リヴァイが当たり前のように彼女を止めて振り向かせることがとても嬉しいのだ、と。
今回も、ハンジは数回瞬きをして、申し訳なさそうにリヴァイに向き直った。ほんの少し頬を緩めて。
「ああうん、ごめんね……言い辛いんだけどつまり、リヴァイとは今後セックスをしない方がいいんじゃないかって思って」
静寂。
「………………」
「………………」
「…………そうか」
ややあってリヴァイは頷いた。無表情で、ゆっくりと。
「……わかってくれた?」
不安げなハンジの肩を叩くように肯首したリヴァイは、問題のまとめに入るために口を開いた。
「セックスは兵士の格を下げると」
「なんだって?」
「それも建前で、俺とのセックスに満足していない」
「違うリヴァイ! そうじゃない!」
状況は混乱を極めていた。
**
「そうじゃなくてさ」
リヴァイとハンジはようやっとソファに身を落ち着けた。
臨戦態勢など取っているから話も強張るのだ。誰だあんな始め方をしたのは。
とにかく、ハンジが柔らかく話し始めた。
「まずね、あなたとするの凄く好きだよ。とても気持ちよくて……それに安心する」
「……そうか」
リヴァイも、ハンジが言った"安心する"には諸手を挙げて同意できる。
おかしな話だ。
巨人と壁に囲まれた生活を送り、おまけに明日にでもその日常が脅かされるかもしれないという仮初めの安寧を誰よりも自覚しているリヴァイが、ハンジと過ごす時間で手に入れるのはただしく"安心"であった。
兵士として鍛えられてはいてもリヴァイに比べればてんで細い腕を背中にまわされ、意外と着痩せをするらしい胸に抱かれ、一度折れた時に歪んだらしい鎖骨に額を押し当てて、リヴァイは眠る。
ハンジと眠る。
布と布の間が、とろりとした安寧に満たされる。
リヴァイは、死ぬのが怖いと思ったことはなかった。
死への恐怖を持たない者など、この調査兵団では真っ先に死ぬ。
なのにリヴァイが生き永らえていたのは、強烈な死への"嫌悪"と、その身が宿す圧倒的な能力のためだった。
クソみたいな壁の中でクソみたいな人生を紡ぎ、結局何も成すことが出来ない。もがいて壁の外に飛び出してみても、終わりをもたらすのはクソみたいな巨人ども。
それが、心底嫌なだけだった。
現状を打ち破る何かを求めて空を舞うだけ、だった。
目の前で当然がごとく彼の手を包む、ハンジを見る。
今は、死ぬのが怖い。
お前のせいで。
たぶん一生言うことはないが。
「けどさあ〜男も女も精を使い果たした後はまともに動けないじゃないか。"不測の事態"には備えられないよねぇ」
──ああ、なるほど。
それが先刻の発言に繋がるわけか、相変わらず過程を自分のスピードですっ飛ばしやがって。
自分のことを高い高い棚に上げながらリヴァイは鼻を鳴らす。
「安心しろ。俺は問題ない」
「えっ?」
「二、三回カマした後だって巨人十体は軽く削げる」
「うへえ……まじか……」
身体的な面に関しては今言ったとおりだし、ぬるくて甘ったるい二人の寝床がいきなり剥がされることになっても、たぶんリヴァイの精神は揺らぎもしない。
もし、ハンジの懐に丸まって深い深い呼吸をするリヴァイが、その力が、必要とされる事態が起きたとして。
リヴァイは迷いなくそこから飛び立つだろう。リヴァイの世界の安寧を失わないために。誰かが誰かの腕の中で同じように感じる安堵を、守るために。
「だからこれからもするぞ、セックス」
「いや、私も直後は動けないんだけど……」
「俺が十体削ぐ間に身体を洗って服を着ろ」
「逆に悠長だなそれ」
呆れた言い草、ため息。話がひと段落ついた証だった。
もちろん了承で、だ。
「ハンジ」
「ん?」
「するぞ」
続くのが”これからも”ではなく”今”であることを、ハンジはすぐさま察したようだった。
もぐもぐと何事かを口の中で呟きながら眼鏡に触れる、これは照れの表れ。
「その、午後から会議が……」
「頼む」
「……あなたって此処ぞってところでそういう言い方するよね……」
呆れた言い草。ため息。
やはり了承で話はついた。
**
「あんまり時間、ないからね」
結局、ハンジは下は脱がないことになった。ベルトの一部を外し前身頃をくつろげ、簡素な下着に包まれた胸を晒す。
ソファの譲り合いを制したリヴァイは、ハンジの目の前にしっかりと地を踏みしめて立った。リヴァイが差し出した腰の膨らみに気付いたハンジは、爪で形に沿うようにそれを撫でる。
見上げてくる目は呆れを含んでいるのに眦は仄かに赤い。
「昼間っからどうしちゃったんだい?」
「お前のせいだろうが……」
腰布を捲り上げた手がベルトのバックルにかかる。
ハンジの指はきちんと手順を踏むあいだも分厚い布の上からリヴァイをいたずらにくすぐった。ようやく留めボタンを外したところで、その奔放な両手を素早く拘束する。
声もなく「馬鹿」と呟いたハンジは顔を埋めてジッパーのツマミを起こすと、歯で噛んでゆっくりと引き下ろした。
隙間から現れたそれは下着を押し上げて震えていた。リヴァイとて気恥ずかしさを感じる瞬間はある。が、己の逸物を見て目を潤ませるハンジがいれば考えるのは先のことばかりになった。
リヴァイは掴んでいたハンジの手にするりと指を絡めた。きゅっと締め返してくる感覚に堪らなくなる。
「先に、」
「ん?」
顔をあげたハンジにほんの少し斜めにした顔を近づけると、薄い皮膚と小粒の歯が迎え入れるようにそっと開いた。普段は不摂生を表すようにくすんだ色のハンジの唇が、今は血の巡りの良さからかふっくらと赤い。
ここに触れることが、受け入れられることが、少しもおかしいことではない。
リヴァイにとってハンジの許可は幸せの一つだ。
「リヴァイ……」
ふと止まった動きをハンジに甘く咎められ、下唇を吸われる。リヴァイは自分ができる最も情熱的なやり方で応えた。
ハンジのほどよく力が込められた舌先が、上向いた男根の根元から頭までを浮いた血管を辿るようにつっとなぞりあげ、また戻る。解放された手の片方はくびれから出っ張った部分を優しく包んで上下しており、もう片方は丸い塊を嬉しそうに愛撫している。
しっかりと「時間ないから」を念頭に置いた手腕だ。
二週間の苦行の末に与えられた快感も手伝い、ハンジの思惑どおりになりそうである。無表情で悶えながらも、リヴァイの心は「いやだ」と駄々をこねていた。
気を散らそうとハンジの髪を掻き回し、頬を撫で、腰を引いてハンジの鎖骨から下に手を伸ばす。
が、先走りが滲んだ先端を突然ぱくりと咥えられ、それどころではなくなってしまった。たっぶりと唾液が乗った舌で亀頭を舐めまわされ、固く尖らせた先っぽで気まぐれのようにチロチロと鈴口を嬲られる。
直接の快感に加えてハンジの媚態に視覚をやられ、鼻から抜ける甘い声に聴覚もやられたリヴァイは意識の外で「待て、ハンジ」や「おうふ」という言葉を漏らしたかもしれないが、何しろ意識してなかったのでわからない。
そのうち、柔らかい唇がピタリと首を囲み、そのままリヴァイを口内に招き入れ始めた。包まれる感覚に溜め息をつく間もなく、ハンジはいたぶるように頭を動かした。
かけたままの眼鏡は夜と違ってバンドで留められているので、あまり動かない。
それに気付いた瞬間、リヴァイの中に迷いが生じた。一瞬の揺らぎを見たハンジが動きを止める。
「んっ……どうしたの? そんな顔して」
「いや……」
じっと待つハンジに、リヴァイが神妙に言葉を落とす。
「なあ、眼鏡にかけていいか……?」
「……はぁ。うん……あなたが洗ってね……」
「任せろ」
素直にビクリと脈打った手の中の物を見るハンジの眼は訝しげだった。
「気にするな。ただの性癖だ」
「堂々と言うな」
ハンジの唾液とリヴァイの粘液で濡れた掌が、熱と硬さと大きさを増した幹をぐちゃぐちゃと扱く。口はもうずっと先端を咥えていて、温かくとろとろとした内側で優しく酷くそこを苛めていた。
動きが早くなり、比例するようにリヴァイの呼吸も荒くなる。
とある時点で、ハンジはころ合いを過たずリヴァイを離した。
「ッ……!」
熱く轟く幹を押さえて、リヴァイはとうとう我慢するのをやめた。
瞬間、ハンジの顔めがけて白濁がしぶく。放出する快感と奇妙な背徳感にリヴァイの背が震え、思わず声が漏れた。
「ぁ"っ……く、ぅ」
「んっ、は……あつ……っ」
二、三度と先から跳んだそれは眼鏡のレンズに大小の歪な円を描き、線を引いてとろりと滴った。
筋の通った鼻も、色付いた唇も、ハンジの額や頬の、健康的な肌色が上気した部分も、満遍なくリヴァイの体液に汚されている。
思わず惚けるほどいやらしかった。ひろがった生の臭いですらリヴァイの脳を痺れさせる。
「は……、ハンジ……」
「んっとに思いっきり……」
ぎゅうっと閉じられていた瞳がゆっくりと開く。
視界を汚す存在に何とも微妙な顔をした後、ハンジは噛みつく寸前のように口を開けいきなりリヴァイを含んだ。
「ーー!?」
「む、んっ……」
怯んで固まる身体に構わず、リヴァイの心残りをじゅっと吸いつくす。
満足げに離れたハンジの、その唇と先端を繋ぐ糸。なおかつ、ハンジの表情があたかも情事を終えた時のようだったので、
「ハンジ、やっぱりするぞ」
「う、んっ……!? だから、時間ないんだって……」
「どうせ下は準備出来てんだろうが、来い」
「りーばーいー……」
「頼む」
「あああ、もう……」
午後、磨き上げられた眼鏡と疲れた表情で、第四分隊隊長は定刻どおり会議を開始した。