シーツと彼と彼女
休暇をシーツの中で過ごす話
シーツと彼と彼女
休暇をシーツの中で過ごす話
訓練場からあがる号令が、日々高さを増す天に響いている。
澄んだ水のごとく冴えた空。ゆたりと流れる白い雲。
ここ数日頭上を占領していた雨雲は風に綺麗に払われたようで、その日は見事な秋晴れだった。
心地よい陽気に目を細めたモブリット・バーナーは、彼の上官が好天の休日を送れることを心の底から喜んでいた。
出不精で集中しだすと周りが見えなくなるという悪癖を持つ彼女は、天気が悪ければ「これ幸い!」と部屋に籠ってしまうに違いないからだ。
しかも今日は、兵士長も非番だという。
幹部兵が揃って暇を取れるのは珍しい。
示し合わせることなど決してしない彼らだ、団長の采配だろう。
安穏たる時間を二人に与えたもうた調査兵団の最高責任者に感謝しつつ、何かとモブリットの上官を構うことの多い兵士長殿が、どうか彼女を外に連れ出していますように、と彼は願った。
兵舎にいれば大なり小なりの仕事が持ち込まれ、真面目な彼らは結局それをこなしてしまうのだから。
憂いが腹に渦巻き始めた時、執務室の扉を叩く音がした。
四回目を合図に瞬時に思考を切り替える。
「入れ」
「失礼致します。モブリット副長」
「どうした」
部下の敬礼に答え先を促したモブリットの顔は、まさしく真面目な兵士そのものであった。
**
兵舎──とりわけ幹部兵の私室が集まる棟は、昼間は静寂に包まれている。
窓に四角く切り取られた陽光が並ぶ廊下を突き当たりまで進み、その右手。
あたかも鉄鋼製のごとく重くそびえ立つ扉は、調査兵団兵士長・リヴァイの部屋のものである。
よく磨かれた木板に耳を近づけたなら、怖いもの知らずのその者は、扉の向こうから静けさを打ち破る不穏を聞いただろう。
室内は異様な有様だった。
衣類の殺害現場か、はたまた大量投棄か。
塵一つ落ちていない床の上に、代わりを務めるかのように散在する、布、布、布。
胸元に洒落たストライプをあしらったドレスシャツが、白く艶のある生地もむなしく皺だらけで打ち捨てられ、その袖の先に男物のワイシャツを示している。
部屋の真ん中に鎮座するは巨大な紺色のバウムクーヘンか、と思いきや、よく見ればロングスカートである。
留め具を外して下に落としたのをそのままにしたのがよくわかる姿だった。
その後にも、男と女が脱ぎ散らかしたと思える衣類が点々と続いている。
物言わぬ衣服たちの最終走者は、女性用の下着だ。
支給品ではなく、光沢のある繊細な作りのもの。そして、くしゃりと一緒くたに丸まったそれらが導く先は、──ベッド。
この部屋の約五分の一ほどを占める、異質な空気の源泉である。
一人が眠れるだけの広さのベッドの上で、白の塊が踊り狂っていた。
長く横たわったその塊は、ボコボコと奇妙に膨れ、波打ち、休みなく動いてはギシギシとベッドを鳴らしている。塊の表面は見目にも清潔で、誰かが触れれば「洗い立てのシーツだ」とわかる滑らかさを持っていた。
が、極上のリネン糸で織られたその布は今、奇妙な動きをする生物の皮膚と化している。
──と、
「……っの、リヴァ、」
生物が小さく声を発した。
それは、籠り、湿って、ひどく掠れた、甘い女の声だった。
続いて、薄く音を含んで濡れた吐息。
よく聞いてみれば、荒い呼吸が断続的に布の下から漏れ聞こえ、生物はそれに合わせてグネグネと形を変えているようだった。
ふいに、白の生物の脇から何かが飛び出た。
すらりと長い、女の右脚である。
ほど良い筋と脂肪を纏ったそれが軽やかに宙を掻き、塊を抱きこんだかと思うと、
「──よっ!」
ギィッ、と一際大きくベッドが軋んだ次の瞬間、皮の剥がれた中から現れたのは、重なり合った二人の男女だった。
「はっ……やっと形勢逆転……!」
男の腰に跨がった女が、呼吸を整えながら言う。
チョコレート色の髪が振り乱れ、編み込みの名残が悲しく揺れていた。
首から足指の先まで裸の肌を覆うものはなく、じんわりと汗ばんで仄紅い様がよくわかる。女が上になるまでの攻防がいかに激しかったかを如実に表していた。
決着がついた今も、両手は男の二の腕をマットに押し付け、瞳は捕らえた獲物を鋭く射抜いている。
対して、抑え込まれた男の顔は涼しいものだった。
真っすぐな黒髪はぐしゃぐしゃと乱れ、白い肌も赤らんでこそいたが、全くもって動きのない表情は見る者に冷めた印象しか与えない。
無駄なく締まって美しくすらある上半身の、その裸を惜しげもなく晒し、男はゆったりと力を抜いて女を見上げている。
場所が違えば仕事の話すらしそうな様だった。
──だというのに女が警戒を緩めないのは、ひとえに、男の眼が火のような熱さを湛えているせいである。
女の視界の外で、腕を抑えられたままの男の指が、そばにある女の肌をそっと、いやらしく撫ぜた。
「っ……こら!」
「おい……このスケベメガネ。少しは隠せ」
指を遊ばせたまま、男が咎める口調で言った。
全裸で男に跨がる姿など、確かに痴女と指差されても仕方のない様相だが、しかし。
「裸に剥いたのはそっちだろ!?」
「ああ? 俺はお前にシーツを与えただろう。午前中に洗って干した最良の状態のものだ」
いらないよシーツなんざ。
なんでちょっと得意げな物言いなんだ。
ていうか言いたいことはそこじゃない。
女は憮然とした。
この男と腰を据えて会話をしようとすれば、話の主題などはすぐに壁外へ飛んで行ってしまう。
長年の浅くもない付き合いから女もよくわかっているはずだった。
なのに、仕事の時は流せても私的な時間だとこうして言わずにはいられないのだ。
床に散らばった衣服を、女の榛の眼が恨めしげに眺める。
女の気が逸れたのをいいことに、男は下敷きになったシーツを引き出そうと躍起になり始めた。
「だいたい、あなたが『部屋に来い』って言うから…てっきり出かけるのかと思って…」
「お前、別に外が好きなわけじゃないだろ」
「……リヴァイが行きたいなら、私は……」
「俺も別にこだわりはない」
言うと同時に、男は取り戻したシーツを女の頭に被せた。
両手両足を使って二人の身体の隅までを覆えば、大判の布はまたしても男女の世界を切り取ってしまう。
明るい天の視線をほんの少し遮った、白の、二人だけの空間。
「ちょっと……もう」
なんだ、この男は。
獣のような眼で児戯のようなことに必死になる男を、女はつい愛しく思ってしまう。
その時点でもう女の負けだ。
シーツの中で身体を傾け、男の薄い唇に触れる。
求められた瞬間にふと離すのはせめてもの仕返しだった。
何度も、触れては離れ、繰り返し。
外から見れば、白布が女の丸い尻から腰、背に至るゆるやかな稜線をかたどり、ゆっくりとくねる動きに合わせて、その表皮に光を泳がせる様子を見れただろう。
持ち上がった男の手が布を押し上げ、女の柔らかな背をすうっ、と撫で上げる。
「っん……」
怯んだ身体をいいことに、男はとうとう女を捕まえたらしい。
一枚を隔てた内側からひきりなしに肌を吸う音がし始め、だんだんとそれは湿度を増し、くぐもった声もそこに重なった。
塊が、一瞬くっ、と小さくなったかと思うと、ボコリ、と大きく歪んだ。
「わっ……!」
「また逆転、だな」
シーツを落とすこともなく、男は器用に勝利を収めたようだ。
くすくすと潜まった笑い声が宣言に答え、すぐにまた甘い水音に変わる。
二人の熱い息が外界すら湿らせる頃、女が切なげに囁いた。
「ね……リヴァイ……」
「──ハンジ」
小さな求めに、衣擦れが混じる。
気まぐれのように鳴っていたベッドが一寸沈黙し、またうるさく喚き出す。
ギッ、……
一定の間隔で室内に響く音は、恥ずかしいほどあからさまに行為を示していた。
女は羞恥に身体を紅く染める。
が、そんなものはすぐに雲散し、感覚は目前の男に溺れ込んでいった。
なんせ、全てシーツの下である。
**
「お休みのところ大変申し訳ありません……」
急な来訪者が扉を叩く前に、その足音に気付いたのはリヴァイだった。
リヴァイとしては「まあいいか」と判断し、動きを止めることはなかったが、ストップをかけたのはハンジだ。
「やっ……誰か来る……」
もつれ合った舌を解き、二人は頭だけを出して耳を澄ませる。
果たして、四度のノック。己の所属を告げ、リヴァイの留守を問う部下の声。
ハンジの眼を見て、リヴァイは大きく息をついた。
仕方がない。部屋にいる限りは中断の可能性もあったのだ。
シーツを捲ったリヴァイとハンジは、そうして世界に帰還した。
「床に装備品を広げている。悪いがその場で用件を言ってくれ」
「はっ」
どうやら巨人捕獲作戦の編成と承認について、急ぎ確認されたし、と言うことらしかった。作戦の内容的にハンジか、はたまたリヴァイが目を通さなければならない。
「ハンジ分隊長は、お部屋におられなかったので……」
「……そうか」
「第四分隊のモブリット副長に確認したところ、外出届けに記録がなければ兵長の部屋に、と……」
ちらり。
シャツを羽織りながら、リヴァイがハンジに鋭い視線を投げた。
(お前の副官は涙が出るほど有能だな?)
潜めた声がチクチクと裸の肩を刺す。
ハンジは苦笑いで返した。
「ですが、あの、『返事がなければすぐに立ち去るように』と念を押されまして!」
二人、顔を見合わせる。
「リヴァイ兵長に確認いただきたい事項以外は、モブリット副長に処理を引き継いでおります。『後ほど報告に参ります』とのことです」
(……涙じゃなくて、酒を出した方が良さそうだな)
(そうだね)
プライベートを把握されていることは少し複雑であったが、こうしてありがたいばかりの気遣いを施してくれる彼に感謝こそすれ、お節介だ、などとは少しも思わないリヴァイとハンジである。
モブリットさまさまだ。
「ご苦労。少し待て」
「はい」
「私が行こうか?」
「……ダメだ」
ハンジのつま先から天辺までをじろりと眺めて即答すると、リヴァイはクローゼットに歩み寄り兵服一揃えを取り出した。着込むと同時に脱ぎ散らかした服を拾って片付ける芸当に、背後で呆れた声があがる。
手早く身なりを整えたリヴァイが未だ裸にシーツを巻き付けただけのハンジを振り返ると、そこにはなんとも言えない表情があった。
「はあ、まったく……名残など微塵もないんだから」
自分から殻を破ったくせに、ハンジはリヴァイを見てそんなことを言う。
拗ねたように突き出た唇の紅さなど、なんて身勝手な女だと歯噛みしたくなるほどだ。
白布が中途半端に隠した肌は、上質のウイスキーを思わせる色味だった。
その生肌の方々に走る傷跡やベルト跡だって、リヴァイにとっては徐々に溶けて複雑な陰影を描く、グラスの中の氷に他ならない。
舌でなぶるだけでどこまでも酔える、リヴァイだけの美酒だ。
が、ソイツは耽溺させるような甘い酒気を放ちながら、「早く行っておいでよ」などとほざいてくる。
あまつさえ、上目遣いにリヴァイを睨みながら、無意識だろう指がズボン越しの太ももを小さく引っ掻いてくるのだ。この女は時々こうやって、リヴァイの雄を舐めながら理性を強いるような、そういうヒドイことをする。
「……帰んなよ」
「わかってるよ。本でも読んでるさ」
心得たようにベッドサイドのテーブルに伸びた手を、リヴァイは握って止めた。
指の先の畳まれた眼鏡をひょいとつまみ上げ、胸ポケットに収める。
「コイツは預かっておく」
「え!?」
「すぐ戻る。戻ったら"激しい運動"が待ってるからな。身体を休めておけ」
「──やっぱりスケベはそっちだろ!!」
拳を振り上げる女に勢いよくシーツを被せ、少しだけ愉快な気持ちで、リヴァイは部屋を出た。
迷いなく、確かな足取りで。
シーツ一枚と、ハンジ一人。
リヴァイ兵士長の休暇は、それで事足りる。
〈了〉
(初出 15/11/25)