俺の死神が何も奪えないヘナチョコっぷりで可愛い話 …巨中/可愛くて愛しい死神の話
俺の死神が何も奪えないヘナチョコっぷりで可愛い話 …巨中/可愛くて愛しい死神の話
「トリックオアトリート! 食糧よこせ!」
十月末日、放課後。
今日一日校内のあちこちで耳にした決まり文句に、なんとも卑しい強奪の意思を付け足した台詞が外から響いてくる。
すぐにバタバタと足音が重なり、リヴァイのいる教室の扉が勢いよく開け放たれた。
「助けてください!」
「断る」
予想どおり、そこにいたのは妙な扮装をしたハンジとそれに追いかけられる後輩たちだ。
「よこせ! よこせ! 食い物よこせ!」
「ぎゃああ! 恥も外聞もないなこの人!」
黒い暗幕のような布を纏い、なぜかリヴァイの愛用するハタキを持ったハンジが、目も据わった限界の形相で後輩たちを教室の隅に追い詰める。
「お菓子なんて持ってないですってば!」
「お菓子じゃなくてもいいよっ! 食糧ならなんでもいいよなんかちょうだいよ! くれなきゃ力づくでも奪うからな!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ連中をしばらく眺めたあと、けれどリヴァイは何も言わずに床の上に意識を戻した。撒き散らされた埃に思わず青筋を立てそうになるが、それも治めて口を閉じる。と、追い詰められていたうちの一人であるアルミンが、ハンジのまとう布の端を掴んでエレンに叫んだ。
「エレン! 今のうちに逃げるんだ!」
「アルミン……!」
「そしてミカサを呼んできて! 早く!」
うなずくエレンに「逃すかぁ」とハンジが飛びかかるも、背後で布を引く手に阻まれ、勢いついて後ろに倒れ込む。そうしてもがいている隙に、エレンとアルミンは結局一緒に教室を飛び出して行く。「やったぁ!」と笑い合う声は明るく、からりとした余韻だけを残して遠ざかっていった。
「ああ、逃げられちゃった……」
「なにやってんだてめぇは」
「見てわかるだろ、食料調た……ハロウィンだよ」
立ち上がって埃をはたくハンジを、リヴァイは胡乱な目で睨んだ。黒い布に覆われた全身はいかにも動きづらそうで、リヴァイのハタキも片手を塞いで他人を追いかけるには邪魔になりそうだ。
「で、そりゃなんの仮装だ?」
「死神」
あっけらかんと答えたあと、ハンジは空いていた椅子に座って背伸びをした。リヴァイは少し考えて、それから「成果はあったのか?」と問いかける。
「ぜーんぜん。みんな逃げ足が早くって、全員に逃げられちゃった! 同級生や後輩だけじゃないよ、先生たちにも笑顔で躱されちゃって。参ったよ」
やれやれ、と肩を竦める姿は、語調と裏腹になんの未練も感じられない。今日は珍しく朝食も昼食も食いっぱぐれなかったハンジに、そもそも空腹ゆえの必死さなどあるはずもないのだ。
「趣味の悪ィ遊びだな」
リヴァイがボソリと呟いた悪態を、ハンジは丁寧に拾いあげた。そして満面の笑みを浮かべる。
「うん。誰も捕まらないのが楽しくて……嬉しくて、やめられないんだ」
「捕まるわけねぇだろ」
お前みたいなヘナチョコにと返すと、ハンジは一層情けなく表情を崩した。
どこにでもあるボロ布。使い古したハタキ。さして必要でもない食料を求めて、普通の中学生扮するヘナチョコな死神が笑う。
誰も捕まらない。何も奪われない。
ここはそういう世界だ。
「……トリックオアトリート」
「えっ?」
今朝から一度だって二人のあいだで交わされることのなかった言葉を、そっと口にする。奪えないことに価値を見出す馬鹿な死神は、きっとリヴァイにだけはそれを言うつもりはなかったのだろう。
驚いて丸く開いた目を、普段からその殊勝を見せろクソメガネ、と睨み返す。
「えーっ、リヴァイがそれ言うの? 仮装してないじゃんか!」
「馬鹿言え、チンケなコスプレなんぞなくとも悪霊ごときに遅れを取りゃしねぇよ」
「いやそういうことじゃなくて……私、何も持ってないし」
「ならイタズラだな」
大きな目が、「どんな?」と疑問に瞬く。
悪意も邪気も読み取る気のないその仕草に、リヴァイは背を向けながら言った。
「てめぇの口に延々とオムライスを詰め込むイタズラだ」
「……!」
掃除道具を片付けはじめたリヴァイのうしろで、足音が軽く跳ねる。
奪われないなら与えるまでだ。今のリヴァイには、嫌と言うほどそれができる。
――だって、ここはそういう世界なのだから。
そういう世界の、とある秋の終わりのことだった。
〈了〉
(初出 19/11/01)