手の中のキカイ …パラレル/きっかけはいつも掌中にある話
手の中のキカイ …パラレル/きっかけはいつも掌中にある話
四回ほどミスをしたところで、リヴァイは盛大に舌打ちをして手の中のモノを投げ出した。うろうろと過去をさまよう性格ではないが、これに関しては珍しく「失敗した」と何度も思ってしまう。
あくまで実用性で選ぶべきだったのだ。大きなサイズのほうを購入していれば、ちまちまとキーボードを押す手間で苛立つこともなかったのに。
ハンジと買いに行ったのが失敗だった。
普段であれば迷わず大きいタイプを手に取っていただろうリヴァイは、「これはどう?」と示されたモノがハンジの手の中にちょうどよく収まっているのを見て、次いで自分の手に渡ったソレが随分小さく思えるのに気づいて、なんとなく気分が良くなり「これでいい」と答えてしまったのだ。
いいわけないだろクソ。
ハンジの手指の動きにちょうどいいということは、どうあっても男の手の大きさには足りない女向けだということだ。
おかげで購入してからひと月たった今も、リヴァイはキーボードを駆使して文字を打たなければならないツール全般を使いこなせないままだ。
と、助手席で寝ていたソレ——比較的新しいタイプらしいスマートフォン——の画面が、ふっと光を失う。リヴァイはしばし考えた。
メールの宛先になり損ねたのはハンジだった。最近になって、金曜の夜を共に過ごそうと誘うのに若干の緊張を覚えるようになった相手だ。
「……」
そして若干の緊張を覚えるようになったきっかけも、このスマートフォンだった。あれも金曜の夜。店員の申し出を断って、二人で行きつけの店のカウンターでこの機械の設定に勤しんだ。
肩を寄せ合って、説明書をめくる手がくすくすと笑う声に震えて、「これはなんだ?」と顔を動かしたリヴァイのすぐそばで、ハンジが整った形の目を瞬かせた。
グラスの中で氷が崩れる音に断ち切られるまで、オレンジに糖蜜をぶっかけたみたいな光の中、二人で時間の感覚をなくしていた。
——思い出すと、胸が少しだけ苦しくなる。
投げ出したソレをもう一度手に取り、今度は短縮リストを探し出す。『クソメガネ』の項目をタップしたリヴァイは、できるだけ何も考えずに熱い表面を耳に当てた。
『リヴァイ?』
コール音は三回で終わった。まずまずの長さだ。いつもはもっと時間がかかる。そのことをからかってやろうと開いた口は、けれどハンジの後ろで起こる雑音にぐっと固まった。
「……外か?」
『ううん。ちょっと待って』
誰かに断りを入れる言葉とその場を移動する気配があり、リヴァイはハンジの声が再び聞こえる前に「ああ、今夜はダメなのか」と頭を冷やす。
『提携している会社が新商品を出してさ、それのレセプションに来てたんだ』
「そうか」
『リヴァイは? どうかした?』
「いや……」
機械工学を学んだハンジはそう有名でもない企業に入社したが、そういう業界は名と実とがあまり噛み合わないらしく、ハンジは世間に知られない実績を重ねて年々忙しさに巻き込まれている。
車内の時計に目を移すと、二十時半を回っている。
レセプションとやらはこんなに遅くまで開かれているものなのだろうか。比較的新しいタイプらしいスマートフォンは拾う音もクリアで、シャンパングラスの軽やかなぶつかりや、育ちの良さが表れた歓声をも伝えてきた。
清潔にだけは自信がある、けれどもそれしか誇るところのない小さな車の中で、乾いた風がリヴァイの胸を吹き抜けていく。
「……またこん」
『ハンジ。こんな所で何をやってるんだ』
リヴァイの諦めを遮ったのは、知らない男がハンジを呼ぶ声だった。芯が通った低音には、どこか自負が滲んでいる。リヴァイの脳内にすぐさま、地面にしっかと両足をついた長身の男の像が浮かぶ。
『き、キース所長』
『……なんだ、電話中か。先方がお待ちだからすぐに戻れよ』
『はい。すみません』
キース。キース。
記憶を探る。ハンジの直属の上司。目標のために、ときには無謀とも言える邁進を繰り返すその男に対して、ハンジが庇うような台詞を吐いていたことを思い出す。
通話中に遠慮のない割り込みをしてきたその男に対しても、ハンジの返答は怒りではない上擦りをまとっていた。
腹の底にカッと火が点く。
『ごめんごめん、なんだっけ』
「何時までなんだ?」
『え?』
「レセなんとかは何時までなんだ?」
『えーと、たぶんあと一時間くらいでお開きかな』
リヴァイは小さく息を吸い込み、吐く勢いで一息に言った。
「そのあとウチに来ねぇか」
電話の先で、しばし無言の時間が続く。背後の騒めきは止まない。リヴァイの居場所ではないそこと、リヴァイだけのこの場所の境目にハンジはいた。
『……遅く、なっちゃうかもよ』
「迎えに行く」
『そうじゃなくて、あなたの家で……』
「泊まっていけ」
さらに十数秒を要したあと、ハンジはほとんど喉が鳴っただけのような声で「うん」と答えた。スマートフォンはそれをクリアに拾い、リヴァイに正しく届けてくれた。
終わったら電話しろよと念を押し、聞き取った場所へ向かうためにエンジンをかける。
ハンジとの共通の友人に「アイツはいつも電話に出るのが遅い」とこぼして、「俺がかけた時は四回に一回出ればいいほうだがな」と笑われた時からずっと胸にくすぶっていた期待をかき混ぜて、リヴァイは夜道を走り出した。
ついに会えたなら、きっともう三度のコールさえ惜しくなる。そう自嘲しながら。
揺れる車内の助手席で、小さな精密機器が踊る。
扱いにくさが繋げた機会だと考えればまあコレも悪くはねぇか、などという嘯きは、夜を流れる景色に溶けていった。
〈了〉
(初出 19/03/16)