【怒り】 …原作/エレンとハンジと似たものの話
【怒り】 …原作/エレンとハンジと似たものの話
厳正なる処分を与えたもう審議所の、石造りの廊下に、足音が二つ。
「……なんというか、上手くはいったけど……」
「『納得できない』って顔してるな」
重たく広い間隔で足を進めるは髭面の大男、ミケ・ザカリアス。その半歩先を大股で行くのは眼鏡の女、ハンジ・ゾエ。
格好こそ時おりすれ違う兵士たちと同じ兵服であったが、名前の後ろにつく役職と衣服の内に収める肉体、なにより背中に掲げる翼において、彼らはその場で〝異質〟な存在だった。
前方より来る兵士が二人を見てぎょっと立ち止まり、廊下の端に身を寄せる。
けれど前進する彼らは目もくれない。目指す先があるからだ。
「事前に煽ったとはいえあそこまで見事にキレてくれるなんて。キース教官の評を甘く見てたかな」
「まあ、おかげでリヴァイの蹴りも綺麗に決まったが」
「それだよ!」
そう叫ぶと、ハンジは勢いよく振り返った。
「あれはちょっとやり過ぎじゃない? 手加減一切してなかったよね?」
「歯が取れたしな」
ミケがハンジの胸ポケットを指した。根元から離れたばかりの歯が一つ、そこに入っているはずだ。
「あんなに荒っぽいやり方で示さなくても……エルヴィンもリヴァイもミケもいるんだから、三人が並んで立って『俺たちが抑止力です』って言えばみんな納得したと思うんだけど」
「それはちょっと……面白い図だ」
ミケがいつもの癖で鼻を鳴らすと、ハンジは唇を歪めて再び前を向いた。「お前は俺たちを過大評価しすぎだ」と伝え損ね、肩を怒らす彼女にさてなんと声をかけよう、と思案する。
「ハンジ。エレン自身を従わせるために必要なことだった」
「……わかってる。反抗心の塊だもの、彼」
目を伏せ、さきほど管理下に置かれることになった少年が審議所で叫んだ台詞を思い出す。
『いいから黙って 全部オレに投資しろ!』
(エレン・イェーガー。なんって奴だ)
己の今後を決める大事な場面であれだけの啖呵を切るなんて。
訓練兵団にて彼の教官を務めたキース曰く、「状況判断能力は高い」とのことだったが、沸点の低さを考えるとその評価は一旦脇に置いたほうがいいらしい。
あの時は冷静な顔を保ちつつも大汗をかいていたハンジだが、これから行く先を思えば足取りは重くなるばかりだ。ただでさえ巨人になれる能力を持った人間なのに、あの怒りの源泉のような彼を果たして御すことができるのか。
「フン」
鈍く鳴った踵のあとに、背後で小さく笑う気配があった。
「アイツ、昔のお前そっくりだな」
「……はあ?」
またも振り返ると、ミケが珍しく肩を揺らしている。ハンジは唖然とした。あの少年——エレンが自分とそっくりだって?
「どこがだよ?」
「リヴァイに聞いたが、エレン・イェーガーは牢屋にぶち込まれた後も『巨人を一匹残らず駆逐したい』と息巻いてたそうじゃないか。研究にのめり込む前のお前そっくりだ」
「そっ、んなこと」
「リヴァイもそう言っていた」
「えー……」
ハンジは訝しげに首を傾げた。
付き合いの長いミケやリヴァイがそう感じるならそうなのかもしれない。まったく自覚はないが。
「〝目的を阻むもの〟に、お前は容赦がない」
少しだけ落とした声でそう言うと、ミケは立ち止まったハンジを追い越して歩き出した。
目的を阻むもの。エレンの目的が『巨人の駆逐』なら、なるほどそこから外れていく議論など彼にとっては時間の無駄にしか思えないだろう。保身に走ってごちゃごちゃ言う奴はすっこんでろ、自分が全部やるから。
(……覚えのある言い分だ)
それは過去のハンジが身の内に溜め込んだ怒りだった。仲間を殺す巨人も、助ける力のない自分も、何も知らず、何も知ろうとせず、利益ばかりを求めてくる兵団の外のざわめきも、全てが許せなくて。
喚く奴らを全員黙らせて、自分は死んでしまってもいいから限界まで壁外にいたかった。壁外にいて、巨人を殺し尽くしたかった。
そのために声を枯らして叫んだ怒りだってあった。
けれど結局生き延びて、偶然にも『些細なこと』に気が付いてしまったために、ハンジは目前に立ち塞がっていた壁を抜けた。死ねなくなった。
運と少しの実力だけでここまで来たと思っていたけれど、そういえば怒りのままに振る舞うことをしなくなって久しい。
憎悪も憤怒も、確かにハンジが前に進むために必要な物だった。
だけど。
(そうだ。それだけでは、壁を抜けられない)
眉を吊り上げた少年が過去のハンジに似ていると言うのなら、あるいはその怒りの制し方だって教えられるかもしれない。
ハンジのやり方を彼に見せることで。
そうして調査兵団は、また前に進むのだ。
顔を上げる。ミケがハンジを見ていた。足は止まっている。目的地に着いたのだ。
この扉の向こうに、エレン・イェーガーがいる。
「いけるか?」
「……うん。大丈夫」
「そうか。お前が密かに『巨人化できる人間』にビビっているらしい、と聞いてたから心配してたんだが、平気そうだな」
「え!? ちょ、ビビってるって何?」
「リヴァイが言っていた」
「またリヴァイ!?」
押し開けた扉から足を踏み出す。それは、調査兵団がこれから壁を背にして歩む長く険しい道の、——確かな前進のための、一歩だった。
〈了〉
(初出 18/12/15)