おかわり …原作/代替行為とかなし(い)おわりの話
おかわり …原作/代替行為とかなし(い)おわりの話
リヴァイ兵士長は紅茶を嗜《たしな》まれるんだ。
ああ、しかもかなり。
豪語しているわけではないが……お前、兵長の指導のもとで掃除を行ったことは?
あるか。そうか。
まあ、あれと一緒だ。
すごいこだわりだそうだぞ。
噂じゃ自室の鍵付き棚にコレクションしているらしい。
だからと言っておひとりで楽しむわけではなくてだな。
時間がある時には俺たちにも振る舞ってくれる!
食堂で! 自ら!
凄いだろ。
こんなに高価な物をと恐縮しても「経費で落とした」とケロリとされているのだ。
馬鹿、そんなわけないだろう。
きっと自腹を切ってる。それで俺たちにも淹れてくれるんだぞ。
俺か? もちろんあるぞ。
えーあれはいつだったか……四月、確か四月の壁外調査の……
味なんてわかりゃしなかったが……えー……
あ? ああ……そうだなあ。
居合わせればどこの分隊の人間にでも振舞ってくれるんだが……。
やっぱり兵長の班に配属になるのが一番だな。
いやでも本当に、そこは贔屓などされないから。
運だな、こればっかりは。
お前も生き残ればいつか飲めるさ。
ああでも、例外もあるな。
ハンジ分隊長いらっしゃるだろ?
そうそう、あの奇人と名高い……。
リヴァイ兵長、あの人には絶対紅茶を淹れないんだ。
例えば、他の人間に振る舞ってるところにハンジ分隊長が現れたとして……
新しくカップを出して淹れる、なんてことはしないんだなぁ。
このあいだなんか、紅茶を淹れたばかりの兵長の隣りに分隊長が来てすごい勢いで喋り始めたらしいんだ。
噂のアレな。巨人の話。
一緒に席に着いてた奴らみーんな黙りこくって、兵長は無表情で紅茶飲んでたそうだ。
それで、分隊長がようやく喋り終わって「ああ喉が渇いた」と言い放ったと。
兵長なんて言ったと思う?
「水なら厨房にある」だとさ。
分隊長も分隊長で、「そうだね」と席を立ったらしい。
なんか変だろう?
俺ぐらいじゃないかな、気付いてるの。
仲が悪いのかとも思ったんだが……そうでもないようだし。
まあ、悪かったとしても士気に関わるようなことする人たちじゃないしな。
ハンジ分隊長、紅茶好きじゃないのかな。
……お前、あの二人に変なこと聞くなよ?
**
やあ、こんばんは。
あ、良い香り。
あなた本当に紅茶が好きだねえ。
壁内にいる時は掃除かお茶会しかしてないんじゃない?
冗談だよ。ごめんって。
早くそういう日が来ればいいね。
はい、これ。
時間? ないよ! ぜんっぜんない!
可及的速やかにその書類に署名をいただきたいね、兵士長殿。
実は興味深い資料を手に入れてね! これから過去の調査報告書と、
え? いいよいいよ、手間だろう。
私も時間ないし。
悪かったね夜分遅くに。
名前さえ書いてくれればすぐ帰るからさ。
ゆっくり寛いでくれ。
いや本当に。
……。
……リヴァイ。
……リヴァイってば。
…………わーかったよ! ありがたくご馳走になるよ!
え、また淹れるの?
いいよその残りで……、いいってば!
おーい、リヴァイ!
あぁもうっ。
ちょっとリヴァイ、私「時間ない」って言ったよね。
え? いや、別に……期日とかは、ない、かな。うん。
はい?
それさぁいっつも思うんだけど、ベッドに使用の痕跡が見られないあなたに言う資格はないんだからね。
私に睡眠の重要性を説くんだったら隈の代わりに寝癖でもこさえて、
あれ、なんかいつもと香りが違う。
ふふん、私だって多少は紅茶の香りぐらいわかるようになったんだよ。
ミケほどじゃないけどね。
それでこれ、なに?
へー、初めて聞くな。
いつものところで仕入れたの?
え? わざわざ買いに行ったの? 一人で?
それ経費で落とせたの?
え? 自費ってこと? これだけ? なんで?
いや、そりゃまあ……自由だけども。
……わ、綺麗な色。
うん。 いただきます。
——はぁ。
ああ、レンズ曇っちゃった。
……なんだよ?
え? 美味しいよ?
美味しくないわけないだろ。
あなたが手ずから淹れるものはいつだって美味しいさ。
いつだってね。
……おいしい。
……。
リヴァイ、あのさ。
……いや。うん。何でもない。
美味しいよ、うん……。
いや早いよ! ゆっくり飲ませてくれよ! あっついんだからさコレ!
え? あーいるいる、いーりーまーすー。
というかあなたも飲みなよ。
それかほら、書類。
……ねえ、こっち見ないでよ。
書類見てってば。
笑っちゃって飲めないんだ。
……ん、リヴァイ。
おかわり。
**
リヴァイの一日は紅茶で終わる。
何もない日も何かあった日も、たまに例外もあるが、まあだいたいはそう。
茶葉をいれたポットに沸騰したての湯を注ぎ、砂時計をひっくり返す。体が覚えたとおり、リヴァイの手は勝手に動く。
蒸らしの短い時間ですらぶつぶつとうるさい女を、お前は黙って飲めばいいんだ、と諌めたのはいつのことだったか。
返された文句は忘れてしまったけれど、その像だけははっきりと結べる。彼女と開いた茶会は眼裏でどれも、いつまでも鮮やかだ。
乱雑なくくりからこぼれた髪の先が遊ぶ、少し疲れた頬
もわりと立つ湯気が曇らせたレンズ、その向こうの伏せた睫毛
カップの縁から垂れる残滓を、ちゅ、と小さく吸う唇
本来の形を思い出したように、緩んで小さくなった肩
白磁の持ち手をつるりとひと撫で、そっと持ち上げる指
肉付きの悪さを表す、曲げた手首に浮く尖った骨
日光と年月と不摂生を経て、くたびれた肌
紅茶を口に含んだあと、舌で味わうために閉じた唇が少しだけ歪んで、嚥下することで上下する喉に、リヴァイのそこも知らずに同じ動きをする。
出されるままに紅茶を飲んでいた彼女は、知りもしなかっただろう。
リヴァイがどんな気持ちでそれを淹れていたのか。
どんな目で味わう姿を見ていたのか。
どんな感情でそこに存在していたか。
知られなくてよかった。
心からそう思う。
知られていたなら、リヴァイは死んでいた。
捧げたはずの心臓を奪い返して、自分で握りつぶして死んでいた。
人類にも自由にも貢献できず、惨めな男として死んでいた。
——まあ、でも。
その機会はもう、一生こない。
から、安心していい。
ポットから最後の一滴が、ポツン、と落ちて、半透明の表面を揺らした。そこに映る男の顔も、ぐにゃぐにゃと揺らした。 自室で紅茶を飲むことは、もう二度とないだろう。
同意のない代替行為も、
相手のいない慰めの行為も、
今日で終わり。
これで終わり。
〈了〉
(初出 16/04/17)