告白の行方の話 …原作/背中に見た夢の話
告白の行方の話 …原作/背中に見た夢の話
「殊この兵団において、俺の命はお前の命よりも優先される。絶対に。揺るぎなく。わかるか?」
己の言うことを正しく捉えているかどうか、見開かれたその目をリヴァイはじっと観察する。
「誰であろうと、助かる状況で危機に晒されている仲間を放っておくような奴はここにはいない。持ちうる技術と判断力で必ず助けに行く。必ず。しかし助かる状況でないと判断したとき、俺はお前を犠牲にする。なんの迷いもなく。その時その場においてそれを犠牲だとは思わない。お前はどうだ?」
「……どう、とは」
「俺とお前の命が秤に乗せられた時、躊躇なくそこから降りられるか? 目の前で俺に何の感情もなく手を離されて、縋り付くことなく死ねるか? 俺ではなく兵団の未来に命を詫せるか。どうだ」
「あの……、私、それは、……」
「迷いなく『死ねる』と言えなかった。だから俺は、お前を選ばない」
一瞬にして蒼くなった相貌は、おそらく小さくて温かな慕情が拒絶された悲痛以上に、兵士として返答ができなかった己への失望を表していた。その証拠に、彼女はまだ新しいジャケットの左胸を拳で叩き、必死の形相で叫んだ。
「死ねます!……できます、やってみせます!」
「お前は良い兵士になる」
話は終わった。リヴァイが必要とすることは済んだ。彼女は良い兵士になる、それがわかれば十分だった。来た時と同じく、音もなく去るつもりで背を向ける。人気のない裏庭にリヴァイの痕跡は何一つ残らず、この場にいる二人にとって”ここ”は遠い過去になる。そうなればいい。
「兵長、それでも……どうか」
伸ばされる手を感じた。リヴァイは背後のその光景に、まだ処々に柔いところを残していた自分の姿を見る。
「……迷いなく『いやだ』と言えないなら」
そんな恋は、やめておきなよ。
「用は済んだ?」
「ああ。有望な兵士だった」
「何しに行ったんだよ」
リヴァイは答えなかった。「有望な兵士だった」がその答えなのだから、二度も三度も説明してやる義理はない。無視をすればハンジも肩を竦めて終わった。
先刻リヴァイの口から朗々と流れた言葉は、話す者と聴く者を変えた以外は、一語一句が他人からの受け売りだった。相手を慮りながら、こんなにも徹底的に斬り捨てる台詞など、この頭と口だけで紡ぎだすことはできない。
あれを身に浴びせられた瞬間どんな気持ちになるのか、リヴァイはよく知っている。
「何度経験しても辛いよね」
「……そうか?」
「どうしても悪いことをしている気になる」
「ハッ」
リヴァイが思わず鼻を鳴らすと、ハンジが呆気にとられた様子で脚を止めた。
『悪いことをしている』などと、心底可笑しな勘違いだ。
あの台詞が、恋慕と名前のついた熱のある感情を徹底的に斬り捨てるのは事実だ。だがそれはあくまで斬り捨てた側の事実に過ぎない。「恋を棄てさせた」などと心を痛めているのなら思い上がりもいいところだ。
他人の行動を操ることは容易い。そこに在る欲望を知れば目線の一つでだって叶う。
けれど、既に存在し、行動を決定付けるまでに至ったその欲望を消し去ることは誰にもできない。リヴァイが今日斬り捨てた兵士が、明日はどんな気持ちでリヴァイの前に立つのか。それは誰にもわからない。
ハンジは今日まで、それを理解しないまま生きてきたということだ。
「いいことを教えてやる、クソメガネ」
「なんだよ?」
「お前が選ばなくても、選ばれなかった奴には関係ない」
ハンジがリヴァイを見つめる目に、困惑を装う焦りが生まれる。予想もしていなかったのだろう。予想もしていなかったのにそこに含まれる意図を察せられるほど、二人は並んで生きてきたのだ。
「いつやめるかも、決めるのはお前じゃない」
「……なんの話だい?」
「わからねぇのか?」
片眉をあげてそう煽ると、兵服の下にしまいこまれたハンジの全身が強張った。硬く握られた拳にその緊張が顔を出す。
「あなた、まだ、私のこと……」
視線を不自然なほどリヴァイに据えたまま、ハンジは軽く唇を噛んだ。起こった感情と、とらなければならない行動が真逆を向いた時に、この面倒な人間の表面に辛うじて現れる葛藤だ。
あの時、ハンジが示すその様々の真意に気付けていたなら、リヴァイはどうしていただろうか。
伸ばした手を無理矢理にでも届かせていただろうか。逃し続けた時間が惜しくもあり、ありがたくもあった。
自分の中にこれほど身勝手な存在が息をしている。そのことを嫌というほど知れたのだから。
牙と爪を隠して、リヴァイはことさら穏やかに言ってやった。
「まあ気にするな。面倒な野郎の執着を買っちまったと、それだけの話だ」
「あなたって人は」
ハンジが両手で頭を抱え込んだ。
それで済むと思ってるの、と震える声に、リヴァイは何も答えなかった。あの時と同じように。
リヴァイとハンジの命の重さは、今やくるくると反転を繰り替えしていた。ハンジが危機にさらされたとき、リヴァイはその手を躊躇なく離すだろうか。ハンジはそれを受け入れるだろうか。それとも縋りつくだろうか。
その瞬間に、二人の告白の答えがあるのだろう。
互いが生きる限りは永遠に叶えられることのないそれに、けれどリヴァイは、ひどく満たされた気持ちだった。
〈了〉
(初出 18/05/27)