目も眩む男 …原作/オスハンが結婚する話
目も眩む男 …原作/オスハンが結婚する話
明かりはなくて構わない。
リヴァイにはすべてが見えた。
指先は正確無比に動き、暴れる身体を爪で傷つけることもなかった。ベルトを抜き取るのに少しのもたつきもなければ、膝裏に腕を差し込むこともたやすく、身体をひとつなぎにすることさえ簡単に済んだ。
「だめだって……」
反抗が形だけのものだとも、リヴァイには最初からわかっていた。悩ましく歪んだ目元にも、上下する喉の骨にも、ハンジの拒絶は見当たらない。どこにも存在しない。
「中で……いいか」
「だめだよ」
顎が頬骨にぶつかり、リヴァイが「痛てぇ」と呟くとハンジの唇がそれを宥めた。見えるものすべてが両手を開いてリヴァイを迎え入れようとしているのに、だめだと答えた声には鉄のような硬さが混じっていた。これは無理だとリヴァイは判断する。こういうときのハンジは折れた試しがなかった。
「君の垂らしたまま宴会に戻れっての?」
「戻らなくていいだろ」
「何いってんのさ」
笑い混じりに返されて腹が立ち、乱暴に突き上げる。脳を通さずに生まれた声はひたすらだらしなく伸びてリヴァイを満足させた。
「わたし一応、今夜の主役なんだよ……」
「知ってる」
「はやく戻らないと」
「わかってる」
右手をハンジのどこよりも熱い部分に這わせ、リヴァイはいつものように動きはじめた。ハンジはハンジで、体を支える両手を突っ張りいつものように坂を駆け上がった。少しして掌にしぶくものを感じたリヴァイは、狭まり呻く中をじっくりと味わい体を引いた。
「……口、使う?」
「いや、いい」
荒い息の合間からの申し出は、リヴァイには正直「中で出すのとどう違うのか」という疑問しか起こさない。ハンジは見えもしないくせに、自分で処理するリヴァイから片時も目を逸らさなかった。この男のこういうところが良いのか悪いのかさえリヴァイにはもうわからない。わからなくなっていた。
けれど、見えもしないくせに目を逸らさないハンジが、リヴァイには見えているのだ。
「先に戻れ」
「君は?」
「掃除していく」
聞こえてきたため息が大げさに過ぎたのはなぜだろう。仲良く一緒に戻れとでも言うのか。窓を開けながら呆れ返すリヴァイの背中にハンジが「ねえ」と言いながら触れる。
「あのさ。どっちが大切とかないんだよ」
「……」
「リヴァイも、みんなも大切なんだ」
「――わかってる」
それ以上何も言わないでいると、しっかりとした足音を鳴らしながらハンジは部屋を出ていった。途端、リヴァイの周囲が静かな闇に満たされる。わっと湧く歓声が実際の距離よりもずっと遠くで起こり、どこかに消えた。
ポケットからハンカチを取り出したリヴァイはその場に膝をついて乱雑に床を拭いはじめた。二人の痕跡が跡形もなく消えるまで、ひたすら、闇の中で腕を動かし続けていた。
「混じらなくていいのか?」
集団から離れ一人木陰に佇んでいたリヴァイに、エルヴィンがめずらしく柔らかい表情で近づいてきて尋ねた。喧騒はどこまでも明色で、通りかかっただけの男や女でさえ一様に足を止めて笑顔を作っている。
「混じって何しろってんだ、俺に」
「祝ってやればいい」
「もう祝った」
エルヴィンは軽く肩をすくめたが、リヴァイはそこから動く気はなかった。ぎゅ、と目を細め、限界まで光を絞る。そうしなければ見ていられなかった。
「眩しくてかなわねぇんだよ、ここじゃないと」
「ああ……今日はよく晴れたからな。本当によかった」
ふさわしい空。ふさわしい光。
ふさわしい二人。
細身のハンジに白い礼服はよく似合っていて、いい判断だ、とリヴァイは思った。きっと兵士の正装ではどこかに土や馬の臭いが残っていただろう。花嫁の父はこの式の次第に随分と口を出してきたらしい。「金目当てに取り入ったんだ」なんて陰口は未来の家族が放つ輝きにすぐに消え去り、愛情と祝福だけがそこに残った。
ハンジは恋を知ったばかりの花嫁を慈しみ、己の働きに期待をかける義父も大切にした。二人を確かに愛していた。
当然だ。花嫁も義父も、ハンジが守るべき人類の一人なのだから。家族も、仲間も、ハンジにとっては〝みんな〟大切だった。誰に問われても真面目な顔でそう答えるだろう。
その反対側に置かれて、違ったふうに大切にされていたのはリヴァイだけだった。
『リヴァイも、みんなも大切なんだ』
「……わかってる」
きっとあれが、最後の夜だった。
ちぎった後に繋がるような汚さを、ハンジは許しはしないだろう。だからリヴァイも何も残さなかった。何も見えなくなるまで綺麗にした。だから、汚れたところなんて、もうどこにもなくなってしまった。
明るくなくて構わない。
こんなに眩しくなくても、リヴァイにはすべてが見えた。
見えている。
暗がりを走り続けた目に太陽を馴染ませた男は、その日、誰よりも光って美しかった。
〈了〉
(初出 19/不明)