愛せばまわれ …原作/有限な世界で遠回りを許す意味の話
愛せばまわれ …原作/有限な世界で遠回りを許す意味の話
ベッドに『決まりごと』を持ち込んだ失敗について、本当は早い段階で気づいていた。裸で凹凸を合わせるだけの原始的な行為に、〝凹〟と〝凸〟の理性と了解によってのみ守られる線を引く。それすなわち逆説的に、行為に性欲を満たす以上の意味を持たせることになるのではないか、と。
少なくとも、〝凸〟は信用できる誰かでないといけなくなる。
「顔は見ないでくれ。昼間に気まずい思いをしたくない」
明るい場所で合わさった視線を無垢に逸らすことができない人物。
「わっ、名前を呼ぶのも駄目だよ!……誰かに聞かれたら困るだろ」
周囲に密通を悟られたとして、蓮っ葉に開き直るのが難しい存在。
「……く、口と口は、やめておこう……」
面と向かって唇を重ねるのが、恥ずかしい程度の男。
はたして、彼は原始的な行為を行う相手としてふさわしいのだろうか。
「ひっ、ぅう」
クチャリと粘着質な水音がして、腫れぼったい秘部から指が抜けた。抜ける途中で何度も肉壁にいたずらをされたのはきっとこれが戯れの最後だったからだ。
手は人そのものを表すという。リヴァイに肌のあちこちを晒すことが増えたハンジは、おおむねその説に同意だった。力強く、熱く。擦りきれて固い表面に柔らかくしなる骨筋の連結。胸をかきむしりたいほどもどかしく、かと思えば息も忘れるほど激しく動く。酷くて優しい。本人には言えない評だ。
弛緩した体をやすやすとうつ伏せにさせられ、あっというまに腰を引き上げられる。手と膝をついて力を込めたところで一度だけ背筋を撫でられ、つぷ、と入口に熱をあてがわれた。
「……いいよ、きて……」
こう言わなければ、背後の男は決して入ってこようとしない。これは行為の中で生まれた決まりごとだった。慮ってくれと頼んだつもりはなかったが、いつのまにか、彼にばかり耐えさせることになってやしないか。ふと思ったハンジが口を開こうとしたところで、じわ、と思考が割られはじめた。途端、ふんじばっていた足が震えて崩れそうになる。行きつ戻りつで中をこする塊はいやらしく、ハンジの脳と腹に絶えまなく快感を流し込んでくる。
「まだ固いか」
暗に止めるかと問われ、必死で頭を振った。ふっと小さく落ちた溜息に乗る色はわからなかったが、リヴァイは侵入を再開した。ずぷずぷと拡げられ、場所を奪われ、少ししてハンジの奥が押し上げられる。チカチカと目の前が眩しい。
「っ、あ、はぁ……」
「イイときに出る声だな」
——次は『独り言の禁止』も提示しようか。そんなふうに一つ一つを拓かれて言い当てられて、ベッドの上の痴態を詳らかにされてはたまったものではない。リヴァイにとっても〝凹〟はハンジの顔をしていないほうがいいはずだ。
などという崇高な思想も、両手で尻をつかまれてすぐに散った。痛くない程度にぎゅっと寄せられ、ついで合間を広げるように揉まれ、そればかりか窄まりにまでツンと触れられる。排泄のための器官を全て晒している事実に体は燃えて消えたがって、それが叶わないからか、ぎゅう、と縮まろうとする。
そうやって不本意に男根を抱き締める形になった中の感触を、リヴァイはまた、ゆっくりとした抽送で味わうのだ。ぬち、ぬち、と一定のリズムで起こる振動と音は慎み深く、摩擦が積み上げる階段を一気に登りたいハンジに後ろから「待て」と声をかける。待ちたくないのに、離してくれない。
「やだ」
リヴァイが止まる。
「っや、」
「何が」
「つ……つよくしてよぉ。こんなの、はずかしいじゃないか……」
「恥ずかしい? もどかしい、じゃなく?」
言いながら尻の線を辿られる。固定するように込められた力が、腰を動かしているのはハンジだけだと突きつけてきた。脳が溶けそうになる。
「うぅ」
「強いのはもっと恥ずかしいが、どうする」
「えぇー…」
リヴァイはこういうところが狡かった。本当はハンジの弁舌なんて軽く上回る言葉を持ってるくせに、いかにも頭がまわらないように装って押し黙って、なのに二人きりのときだけ唇を喉を舌をと躍らせてみせる。
「俺はどちらでもいいが……」
指がまた、背中の筋を這う。獲物を品定めするみたいな運びのそれが、実際はハンジの意図を伺うものだと知っている。
知りたくなかった、と言えるのは口だけだ。
「まあ、のんびり考えろ。夜は長いからな」
「っだったら、中、うごかすなよ……っ」
ハンジに突き刺さる筒はドクドクと脈打って、〝のんびり〟なんて余裕が微塵も与えられないことを示している。さっさと選べ、待ってやるから、と。
難儀な二択。それでも、選択。リヴァイはいつの夜もハンジに選ぶことを選ばせてきた。圧倒的な意思を肉体に漲らせて、漲るだけ漲らせて、ハンジに道を決めさせてきた。「都合が良い」だけでは終われないその信用を、だったらどう捉えるべきなのか。
「……」
腕を折ってシーツにべったりと顔を伏せると、決まりきった匂いに肺を満たされた。そこから安心と一つの諦めを得たハンジは、振り向くことなくリヴァイに言った。
「答える前に、今日だけ……『決まりごと』、追加したいんだけど」
「……なんだ」
「一個も聞かないでよ。私の言うことなんて」
息を吐き、シーツを温める。ここで終わるならそれでいいと思った。望み薄でも、また新しく始めればいい、と。 けれど。
口元が冷めるか冷めないかのうちに急に肩を掴まれ、ぐるりと体を返される。目を白黒させるハンジに影が覆いかぶさり、眼光を真っ直ぐに落とした。
「えっ」
顔は見ないで。
「ハンジ」
名前は呼ばないで。
「リ、んん!」
キスはしないで。
「待っ、……!? ぁああっ!」
足を抱えられ、反転の衝撃で抜けたものを一気に戻された。腕ごと抱き締められて下腹がぴたりと重なったかと思えば、上下に擦り付けられるように動かされて、切っ先を受ける腹の奥も延々とくすぐられる。ムズムズと耐えがたい感覚が止まらない。
「えっ、それだめ、あ、ぁっ」
下半身がぶるぶると震え出し、脚も閉じられなくなった。リヴァイはその開きにさらに密接を計ってはハンジの体の芯を侵しつづける。合わさった場所からねっとりとした体液が押し出され、ぐちゃぐちゃと喧しくあちこちを汚していく。
「やだ、あー…っ、! ん、んっ」
あっけなく達してしまった。ハンジの顔をじっと見下ろすリヴァイだって気づいているだろうに、ほんの些細なこととばかりに攻めるのをやめてくれない。限界がどんどん早まって、なのに深度は高まっていくのがわかる。怖い。少しも離れない体に手をまわし、汗だくの肌に爪を立て、足先だけでもと強張らせて懸命に行き過ぎを叫ぶハンジの声は、だけど天井にぶつかって揺れる二人に降り注ぎ、リヴァイにだけ染み入ることなく消えてしまう。答えてくれるのはベッドのうるさい軋みだけだ。ふ、とリヴァイが顔を起こす。
「ハンジ、口開けろ」
「っん……」
めちゃくちゃに舌を吸われた。口の中も舐められた。今までもしてきたみたいな気やすさで、でもこれで最後のような必死さもある唇が、なんだか一番リヴァイそのもののような気がして、ハンジの胸に呑気な感動を起こした。こんなに小さな面積の接触でさえ、初めての認知をこの人生にもたらしてくれる。どうして今まで拒んでいたんだろう、なんて思うくらいには大きな事実だ。
「リ、ヴァイ」
隙間で呟けば、また何度もキスされた。酸欠でぐったりと力の抜けた両腕を掴まれ、リヴァイの首に誘導される。言うとおりにしたハンジは額に甘ったるい口づけを受けて、いよいよ、獣みたいに貪られる自分の穴に集中することにした。
いくつの夜よりも、ずっとずっと、一番気持ちいい夜だった。
**
「これ」
ずい、と毛布を押し付けると、ティーカップを持ち上げていたリヴァイが軽く目を見開いた。彼の装いは上から下まで完璧な兵士のそれで、だからこそ表情のあどけなさが際立つ。
「ハンジさん。もう起きられたんですね」
リヴァイの真向かいに座っていたモブリットが、どこか残念そうな顔でそう言った。「もう少し休んでいてもよかったのに」なんて声が漏れ聞こえてきそうな様子に、うちの部下は私に甘すぎる、とハンジは内心で顔をしかめる。リヴァイはまだ姿勢を崩さない。畳んだ毛布は宙ぶらりんだ。
「これリヴァイのだろ? 風邪なんてここ数年ひいてないけど、気遣ってくれてありがとう」
おおかた、洗濯係から洗い立てのこれを回収した直後にハンジの元に寄って、居眠りする姿を見つけたのだろう。そうやって種々のタイミングで現れては小言を投げてくるリヴァイに、「人のいるところが好きなんだなぁ」なんて吞気な感想を抱いていた自分が、今は少し恥ずかしい。
「いや……」
「嘘。わかるよ、君の匂いがするし」
「はは、ミケ分隊長じゃないんですから」
モブリットが軽く笑って、じゃあ俺はお茶でも持ってきますね、と席を立った。入れ替わりに座るハンジをじっとりと刺す視線の気配。到底正面から受けられるものではない。
「……俺の匂い?」
「いつも嗅いでるから。あなたのベッドで」
「ハンジ」
一瞬でリヴァイの声色が変わったことを、ここにいる何人が気づいただろう。ハンジは深呼吸した。頬に熱が溜まるのを自覚する。
「あのさ。『決まりごと』、追加してもいい?」
「……なんだ」
他人が大勢いる食堂でする話ではないかと思いもしたが、リヴァイは次を促した。ハンジのちっぽけでくだらない覚悟の仕方を、そうやって尊重する。
「私以外の人と、ああいうことしないでほしい」
頑張って頑張って、目を合わせる。もうとっくに特定の像を得ていた相手。誰でもない存在。たった一人の男。リヴァイと。
「——それ以外の『決まりごと』、全部失くすってんなら、飲んでやってもいい」
ハンジの遠回りをともに歩んで、文句も垂れて、そのくせいつだって結果を馬鹿にしない彼は、ちょっとだけ赤い顔で優しく言ったのだった。
〈了〉
(初出 22/04/18)