或る夜は出来心
若リヴァハン×触手
或る夜は出来心
若リヴァハン×触手
もののはずみで頷いたのがまずかったのだ。
「リヴァイはウォール・マリアが直線距離でどれだけあるか知ってるかい? 実際に測った人間がいないから正確な数字はわからないけど、直径から大体の長さを求めるとおよそ三千kmあると言われてる」
周囲のあちこちからの煙たがる視線と「うるせぇぞ」という小言を拾うのは自分一人で、中心にいてまさにうるさくしている当人はまったく気づく様子がない。
「高さ五十、距離三千。それだけの壁を、しかも三つのうちの一つとして百年前の人間が築いたという事実には正直疑問がある。だけど、彼らがそれを可能にする技術を持っていたとしたら? そしてその技術がなぜか今の壁内には存在しない、いや、存在しないことになっているとしたら……」
「クソメガネ」
「なに?」
そのくせ、正面に座るリヴァイの呼びかけには瞬時に応えたりする。どうやら認識する世界以外からの情報が極端に削ぎ落とされる性質らしい。リヴァイが育った地下ではまっさきに裸にひん剥かれる種類の人間だ。
「おしゃべりは結構だが、明日も早い。もう寝たらどうだ」
「私は平気だよ。君もそうならもう少し話そうよ」
ハンジが何をどう勘違いして「君もそうなら」――つまり「リヴァイがハンジとお喋りしたがっているなら」と仮定したのかわからず、リヴァイは一瞬、返事に窮した。ハンジはその隙に話の続きを再開させ、周囲からの舌打ちの音はますます大きくなる。就寝時間を過ぎても終わらないやかましさへと向けられていたそれは、次第にリヴァイへの不甲斐なさを詰るものに変わりつつあった。完全にとばっちりだ。と、ハンジのすぐ後ろに、不意に誰かの影が立つ。
「この謎に関連するかのように、壁には昔からいくつも不思議な伝説があっ、――いたっ!」
パチッと軽快な音が響き、重たい中身を持つはずの頭がいともたやすく前に倒れた。獣除けの火以外、すべての明かりを落としてからもずっと回り続けていた口が、そこでようやく動きを止める。
「アンタの口は疲れ知らずらしいねぇ、ハンジ」
崩れた体の向こうで、ハンジと同班の女性兵がこちらを見下ろしていた。リヴァイが脳内で『ソバカス』と呼んでいる彼女は、あだ名のとおり頬に散らばるそばかすと、普段から釣り上がった眉が示すとおりの生真面目な性格の女だ。ソバカスはハンジと、ついでにリヴァイを見て溜息をつく。
「アンタたち、寝る気がないんなら向こうで走りこみでもしてきたら? 明日の体調は保証しないけど」
「寝る気はあるよ、眠くなるまでお喋りしてるんじゃないか」
顔を上げたハンジが後頭部をさすりながら反論するが、リヴァイにとっては「そうだったのか」と思う内容だ。
「そのお喋りがうるさくて周りが迷惑してるのよ。黙るかこの場から離れるかして」
「え……そうなの?」
途端、その表情は焦り一色になる。ハンジはリヴァイの後方でとぐろを巻いていた不満に「ごめんよみんな、ゆっくり休んでくれ」と謝罪を投げると、素早く立ち上がった。ゴーグルに覆われたその目が一瞬だけリヴァイを見るが、またすぐに逸らされる。そしてハンジは、あっさりと去って行ってしまった。
「は……」
肩透かしを喰らった気分だった。地面に埋まっているのかとさえ思っていたハンジが「迷惑だ」の一言でこうも簡単にいなくなるとは思わなかった。
「行かないの?」
徐々に遠くなる背中を目で追っていると、ソバカスが横から問いかけてくる。リヴァイは顔を動かさぬまま視線だけをそちらにやり、初めて自分が立ち上がっていることに気がついた。だがそんなことはどうでもいい。
「……なぜ俺が行く」
「話の途中だったでしょ」
「アイツが一方的にくっちゃべってただけだ」
「ふうん。ハンジのこと止める様子もなかったし、てっきり二人で話してるんだと思ってたわ。悪かったわね」
そういえば、先ほど『アンタたち』とまとめて邪魔者扱いされていた気がする。じゃあ何か、ハンジのとばっちりで食らっていると思っていた非難は、正しくリヴァイに向けられていたということか。
再びハンジに意識を戻すと、その背中は野営地からますます遠くなっていた。フラフラと進む体の向こうにはこんもりと山を作る黒が見える。あの方向には確か、兵舎ほどもない広さの林があったはずだ。
「……チッ」
舌打ちは無意識だったが、脇に置いていたランタンを取り上げた手と、そこから大股で踏み出した足は脳の命令のとおりだった。後ろから間延びした声が追いかけてくる。
「ほうっておけば?」
「そりゃ冗談だろうな?」
足を止め、肩越しに睨めつける。まっすぐの眉が弧を描いて持ち上がり、愉快そうに眺め返してきた。
「あらごめんなさい。誰かさんの尻が重いから、てっきりハンジに一方的に巻き込まれたのかと思っちゃった」
「とっととクソして寝ろ」
土産とばかりに渡された「頼んだわよ」の一言に生真面目の印象を完全に捨て去ったリヴァイは、ハンジの後姿に目を凝らした。
一年に二度。雨季を避けた春と夏の季節に、調査兵団は野営訓練を行う慣しがある。
兵士たちは早朝に兵舎を発し、シガンシナから内壁を西に辿ったマリアの地で、午前中は全隊で陣営を組んでの広角訓練、午後は隊・班ごとに平野で巨人と遭遇した場合を想定した戦闘訓練、日が傾けば野営地の設立を主目的としたサバイバル技術の実地訓練を行い、野宿で夜を過ごした次の日の昼に兵舎に帰りつく。
壁外で過ごす数時間に比べれば格段に楽な環境とはいえ、常に幹部兵や仲間を意識して動かなければならず、加えて完全なる街の外という珍しい状況は、入団してまだ一年にも満たないリヴァイの精神と肉体に固い線を差し込んだ。壁外調査時であれば〝ちょうどよい緊張〟に収まるであろうその線は、しかし壁の内側で迎える夜にはふさわしくなかった。
結果、じっと座って夜を過ごすことに耐えかねたリヴァイは、ハンジが何気なく振ってきた話題に相槌を打ってしまったのだ。そう、もののはずみで。単なる出来心で。
(どこ行ったアイツ)
ハンジに遅れて辿り着いた場所は、先ほど見えた林と平野のちょうど境目だった。常から誰かが足を踏み入れているらしく、草の生えていない細道が幾筋か奥に伸びている。生い茂る木々もそう背の高いものではなく、昼間の訓練時にも「アンカーを刺す柱として持ちそうにない」と判断され、視界の悪さも相まってルートから外されていた。
とはいえ、日もすっかり落ちている。半月に少し足りない月と粉を吹いたような星が空を煌々と照らしてはいるが、夏場の植物は太陽が消えても色濃く、リヴァイの前途に広範囲の影を落としている。近辺に人を襲うような大型の獣が住んでいるとの報告もなかったが、どこにどんな姿で危険が潜んでいるかわからない。
ハンジの姿は見当たらない。声を出して呼んでみるか、と息を吸ったところで、少し離れたところにある茂みがガサリと音を立てた。
「よっと……うわっ!」
上がった声と慎重さを欠いた挙動から、現れたものがハンジであるとすぐに察する。が、ハンジのほうはリヴァイの影を何かと見誤ったらしい。飛び退った先で足元の木の根に踵をぶつけ、その場で盛大によろけている。
「落ち着け。俺だ」
「あ、リヴァイ!? ビックリした、二足歩行の巨大なアライグマかと思ったじゃないか」
「そのゴーグル度が合ってねぇのか?」
「えっ? 新調したばかりだけど」
ようやく体勢を立て直し、足元の草叢を避けながらリヴァイに近づいてきたハンジは、そこではたと気づいたように言った。
「それよりどうしたんだい、こんな所まで。もしかして眠れないとか?」
もっともな質問に、ぐ、と喉が詰まる。確かに、自分は何のために来たのだろう。ハンジの去り際の態度がなんとなく不可解で引っかかっていたが、当の本人はリヴァイがここにいることに首を傾げている。求められていたわけではないのだ、『心配して来てやったんだ』などと恩着せがましいことも言えない。
「……お前こそ、何をやっていた」
「私? 私は寝る前に用を足そうと思って」
苦し紛れに返したものも、さらに率直な答えを前にあっけなく力をなくしてしまう。「クソが」と小さく溢れた罵倒に向かって「いや、残念ながらクソは出なかったよ」などといらない情報まで明かされる始末だ。リヴァイは半ばヤケクソになった。
「あー…話の、続きが」
「話?」
「伝説がどうだのと言ってただろう」
「……ああ。さっきのか」
ハンジが捲し立てるのを、別に一から十まで真面目に聞いていたわけではない。ただ、何をそんなに楽しそうに話すことがあるのか、と。訝しさが話題の欠片をすくい、リヴァイの頭の隅に留め置いていたのだ。てっきりすぐにでも話を再開させるかと思っていたハンジは、けれどしばし黙したあと、何かを考えるように目線を横に滑らせた。そして言った。
「川があるんだ」
「かわ?」
「そう、この林の奥にね。よかったら、そこで涼みながら話さない? 君が眠れるまででいいから」
誘っておきながら、ゴーグルの向こうの眼はこちらを見ようとしない。なんとなく疾しさを感じる仕草に、初めからその川に来るつもりだったのか、とリヴァイは察した。何も言わないことを承諾と受け取ったのか、はたまた来ないなら来ないでいいと思っているのか、ハンジは先ほどと同じく、返事を待たずに歩き出した。リヴァイも、今度こそ見失わないようにそれを追いかける。
数分ほど歩いて辿り着いた林の奥には、予想していたよりもひと回りは大きな川があった。水の流れは空気を動かす。近づくにつれ、肌に触れる夜風がいやに清涼さを増した。
「北から下ってきて、この林を境に東に流れていくんだ」
野外訓練は林の南西で展開し、水場もそこからさらに西の、運河から分かれた大きな川を利用する。今いる林がちょうど目隠しになり、平野からこの清流は目に入りにくいのだ、とハンジは言う。川原に降りる足どりは慣れたもので、その説明と合わせてハンジが何度もここを訪れている証拠だった。
促されるまま、そこいらに並ぶ大きな石の一つに腰を下ろす。ハンジもその隣に落ち着き、あっというまにブーツを脱いで裸足を流れに晒しはじめた。足首から甲にかけての生白さに目を奪われそうになり、リヴァイは夜の光を反射して柔くはためく川面に視線を投げる。
「……マリアの地のどこかで、不思議な深い森に迷い込むことがあるんだって」
咎める者はもういないのに、語り出しは静かだった。水に落ちた星の光が、ハンジの頬の上でキラキラと遊ぶ。
「どこかに、というのはどういう意味だ」
「場所が特定されていないんだ。壁内のあちこちに『森に迷い込んだ』という人たちの証言があるんだけど、話を頼りに探してみても決して見つからない。共通するのは『マリアの地にある』ということと、『森の中に壁がある』ということだけ。だから〝伝説の森〟」
『伝説』と頭につくのなら普通の森ではないのだろう。「そこに何があるんだ」と訊ねると、ハンジの眼が愉快そうに細められる。
「それがねぇ、バラバラなんだよ。見たこともない文字の看板だとか、空を流れる不思議な色の星の川だとか、奇妙な形の建物だとか、未知の植物だとか……恐ろしい化け物だとか」
「化け物か」
「はは、巨人とどっちが怖いのかな? それでね、どうしてか迷い込んだ人たちは、みんな森のことをあまり詳しく語ろうとしないんだ。たぶん、語れるだけの言葉がないほどの未知に遭うんだろうね。証拠を持ち帰ろうとしても、森を抜けたときには失くなっているらしい」
そりゃ薬でもやったんだろう、とリヴァイは思ったが、野暮なので黙っている。
「にしても、この伝説はなぜかマリアだけに存在するんだよ。やっぱり、この地の壁だけが内外に百年の隔たりを持っているからかな」
「なら、俺たちは毎回伝説の場所に繰り出していることになるな」
「なるほど……確かにそうだね」
ハンジの紡ぐ言葉は、もうほぼ囁きに近くなっていた。せせらぎに隠れてしまいそうなそれを追って、背丈を同じくした身体は自然とハンジとの距離を小さくしていく。自分で続きを望んだはずの話が、脳の表面を滑ってどこかへ行ってしまうのを、リヴァイはぼんやりと見送っていた。本当は、違うことが知りたいと思っていた。それがなんなのか、自分でもはっきりとはわからないが、目の前にあることだけは確かだとわかっていた。
ハンジはリヴァイの肉薄に気づかず、水の上に生まれては消える光の断片を眺めている。日がな一日訓練に明け暮れ、合間には団長のキースや分隊長のエルヴィンの元に馬を走らせ何かと意見をぶつけて気力の旺盛を見せていたというのに、近づいた熱はどこか喜びに弾んでいた。その手が小石を拾うタイミングで、リヴァイはそっと口を開く。
「お前、いつもこんなに宵っ張りなのか」
「そんなことはないさ。ちょっと過ぎることもあるけど、ちゃんと就寝時間にはベッドに入るよ。兵士は体が資本だし……でも、今日は確かに夜更かしだ」
ハンジが腕を振りかぶり、風切り音を立てる。水の上のしぶきがそれに続き、静まる。
「君は? 昼間もほうぼうに駆り出されてたのに、疲れてないの?」
「俺は……」
そもそも人前で寝ることをしないのだ、と伝えたら、ハンジはどうするだろうか。また「悪かったね」などと言って、立ち去ろうとするのではないか。
「リヴァイさぁ、調査兵団に来て今日が初めての野営訓練だっただろう? もしかしたら変に緊張したり、眠れなくて……」
声が途切れ、こちらを向いたハンジが、両眼を大きく開いた。鼻先で起こったそれらに、リヴァイも呼吸を止めた。薄く開いた唇が息を吸い、何も言わずに閉じる。結ばれた線は柔くたわんでいて、薄い皮膚の下の盛んな血の巡りを嫌でも意識してしまう。
「……」
しばらく、あるいは数秒。そんなふうに、目を合わせたまま、互いに動けなくなっていたときだった。
――バキ、バキリ。
どこかで乾いた音が鳴ったのを、リヴァイの耳は聞き逃さなかった。途端、眼前のハンジから注意が逸れて勝手に神経が研ぎ澄まされる。音に気づかなかったハンジも、リヴァイの反応を間近に見て何かがあったことを察したらしく、背後の林に素早く視線を送る。
――バキ。パキン。バキキ。
また音が聞こえた。小ささからして近くではないが、音自体が小さい、というわけでもないらしい。今度はハンジの耳にもはっきりと届いたようで、「何だろう?」と首を傾げている。一度意識すると、その音は不揃いの間隔を開けながら絶えず鳴り続けていることがわかった。近づいたり移動をしている様子はなく、同じ場所でひたすら何かを振り回して、まわりの枝を打ち折っているように響いている。
「風で木の枝が揺れてぶつかってるのかな」
「いや……それにしちゃ音が重い。ぶつかってるんじゃなくぶつけてるんだ」
断定したことで、ハンジがかすかに緊張するのがわかった。警戒とは違う、どちらかといえば焦りに似たものだ。
「気になるのか?」
「んー…まあ……。私たちのことを見かけて誰かがついてきたのかもね。動物のようではないようだし……」
そういえば、と思い出す。リヴァイを誘う際にも、ハンジは隠し事を打ち明かすような態度をとっていた。もしや、この川は今まで、兵団内でハンジ以外は知らない場所だったのだろうか。そう考えると、なんとなくあの奇妙な音をそのままにできなくなる。リヴァイはランタンを持ち立ち上がった。
「確かめに行く」
「え?」
まさかの提案だったのだろう、川に視線を戻していたハンジが目を丸くしてリヴァイを見上げてくる。「でも」と戸惑う声に「お前はここにいていい」と返すと、ハンジは眉を顰めて脱いでいたブーツを履き直し、リヴァイに続いて腰を上げた。
「何言ってんだよ、叱られるなら一緒に、だからね」
「……別にやましいことなんざしてねぇだろう」
「いやいや、夜間の勝手な行動は一応処罰の対象なんだけど……」
一ヶ月間当番外の厩舎の掃除だから、と重ねられてようやくそんな決まりがあったことを思い出したが、大して苦でもなさそうに言うハンジと同様に、リヴァイもハンジと二人ならそう悪くもない、と軽く捉える。身支度をしたリヴァイとハンジは、水の気配を置き去りに、林の中に再び足を踏み入れた。
夜目が効くほうだとはいえ、後に続くハンジの視力が悪いことを鑑みて、リヴァイは足裏で地を踏み締め小枝を折りながら比較的慎重に押し進んだ。リヴァイもリヴァイで、馬ではなく自分の足でこうして草木の群れの中を歩くのは初めての経験である。四方どころか上下からやってくる自然の気配に、こんなにも騒がしいものなのか、と静かに驚いた。
川原の泥濘を離れた瞬間から、辺りの空気もガラリとその様相を変えていた。例えるなら、大量の動かない水が体のすぐ外を包んでいるようだ。リヴァイの足元から頭上高くまでを高い密度で埋めたそれは、街で嗅ぐ線や糸、網目のような匂いと違って隙間がなく、深く吸いこめば肺に物が詰まったような錯覚を覚える、そんな重さを感じるものだった。
「なんだか息苦しいね……」
ハンジの呼吸も心なしか浅く、だというのに、しきりにあちこちに目をやっては立ち止まり、手を伸ばし、木の根に躓いたりしている。注意しようと振り返ったが、怪訝な様子で周りを見まわす姿に思わず足を止める。
「どうした」
「うん、ちょっと、違和感があって」
「違和感?」
「この林、こんなに広かったっけ、って……」
音の出所を探してもう十分ほど歩いているが、確かに木々の切れ間に見えるはずの平野はなく、あれほど夜空を透かしていた葉の天井も重なりが濃くなっている気がする。ハンジが「それに、」と続ける。
「さっきから甘い匂いがするけど、なんだろうね、これ」
確かに、どこからかかすかな芳香が漂ってくる。周囲に咲く花のものだと思っていたが、肝心の花の姿はどこにも見当たらず、なのにむせ返るような草木の臭気に紛れることなく、進むほどにむしろ強くなっていっている気がする。
どうにもおかしい。このまま進んで大丈夫なのだろうか。夜光に照らしだされた前途を眺め、次に二人の背後に視線を投げる。ほぼ聴覚だけを頼りにここまで来たせいなのか、辿ってきたはずの道なき道は完全に深い闇の中に沈んでいる。せせらぎや水の匂いの跡形もなく、戻るという選択肢を簡単に削いでしまった。どうしたものか、と視線を上にやったリヴァイは、一瞬、そこに長大な壁の迫りを見た気がした。瞬きを繰り返すと、空を覆う深い木々の他には何もない。ハンジの話が頭に残っていた故の錯覚だろう。
「とりあえず、進むしかなさそうだねぇ」
ハンジの明るい呟きに頷き、リヴァイはまた歩き出した。
――バキ。パキン。バキキ。
小枝を折ち散らす音の連なりは、近づくにつれてますます『意図的だ』と思うものになっていた。リズムはバラバラだが、一音一音が重なって消えることがないようあいだを空けて鳴らされているのだ。その規則的な鳴らし方に気づいたハンジが「なんだか私たちを呼んでいるみたいだね」と笑うのを、どこか冗談にも思えずにリヴァイは押し黙る。
音を追ってさらに五分ほど歩き、大きな木の根を超えたところで、数メートル前方に開けた場所を発見した。空を覆う枝葉も少ないらしく、夏の夜空がそのまま落ちてきたように明るい。一旦そこで先行きを考えるか、とハンジに声をかけようとしたとき、リヴァイは目の前の光景の異常に気付いた。開けた場所の手前に鎮座していた、いびつな形の大岩の影から、宙に向かって何かが伸びていたのだ。後手でハンジの服を掴み、そばにあった茂みに素早く引きずり込む。
「うえっ、なに……!」
「見ろ」
薄くて柔らかい低木を掻き分け、あいだから先ほど捉えた異常を指差す。〝ソレ〟は人の腕ほどの太さを持つ、長ひょろい何かだった。動いているということは生き物なのだろう。体長は獣の尾よりも随分長く、先端は丸い。関節のない動きでゆらゆらと上空を掻き、そばにあった木の幹に弱い力で自身を打ちつけている。巻き込まれた小枝が、パキ、と音を立てたことで、二人の探していたものの正体が判明する。だが新たに出てきた謎でそれどころではない。
「なんっだありゃあ……」
「……巨大なミミズかな?」
――パキン。
ひそひそと言葉を交わしていると、注視していたのとは別の場所からも木の軋む音がした。目を凝らすと、大岩の反対側で同じような生物がうねうねと木の幹に取り縋っている。どうやら複数体いるらしい。あれが交互に周りを叩いて音を出していたようだ。
「リヴァイ、どうしようか。予想外のものが出てきちゃったね。あんなの今まで見たことがないよ……」
ハンジが耳元でひそひそと囁く。語尾の震えから高ぶりを感じ取り、リヴァイは考える前に口を開いていた。
「戻るぞ」
「え?」
「意味わかんねぇ気色の悪いもんにわざわざぶつかっていく必要はねぇ。言い出したのは俺だが……戻って全隊に報告、それから指示を仰ぐ。いいな」
返事を待つつもりはなかったが、ハンジは「結局叱られちゃうね」などと言いつつ、案外拒む様子もなく頷いた。もともと見えている危険に飛び込むほど馬鹿でもないのだ。意見が一致したところで体を反転させ来た道を引き返そうとする。が、それは叶わなかった。
リヴァイとハンジが太い木の根を再び越えようとした時、足元のそれが不意にぐにゃりと質感を変えた。
「わわっ!」
つい先ほどまで黙って埋まっていたそれが、土や落ち葉を落としながらゆっくりと地面から起き上がった。先刻の生物の比ではない太さを持ち、宵闇の中でもわかるほど赤黒い。木の幹のような筋をいくつも巻き付けたそれが、前途を阻んで宙でうねる。
「とっくに見つかってたのか!」
ほぼ同時に、リヴァイとハンジは後方に飛び退っていた。茂みを抜けた先にはあの生物がいるが、相手にするなら小さいほうが楽だとリヴァイは判断する。このまま勢いを殺さずに岩を駆け上り、二体を捌きながら抜けるべきだ。懐に手を差し入れ、隠し持っていたナイフの柄を握る。近づいた岩肌を蹴り、生物を目指して飛ぶ。はずだった。
「っ……!」
リヴァイが踏み台にしようとした岩が突如、その安定した硬さを粘土のような柔らかさに変えた。
(またか!)
踏み込んだ軸足が奇妙な感触の中に飲みこまれそうになり、リヴァイは重心を素早く移動させ、後方に倒れる力を利用して脚を抜き去った。そのまま背後に転がり、弾け飛ぶ小枝を払って体勢を立て直す。改めて全体を捉え、リヴァイはようやく理解した。岩だと思っていたものは巨大な肉塊に過ぎず、岩の影から伸びていると思っていた二体も肉塊それ自体から腕のように生えていたのだ。背後に明るい場所があったことで陰になり、肉塊を岩と勘違いしてしまったのだろう。己に舌打ちし、横目でハンジの無事を探る。
リヴァイの心配をよそに、ハンジはとっくに動きをやめてしまっていた。前後の生物のちょうど中間で、やはり肉塊に驚いた様子で立ち尽くしている。逃げる意思を失くしているようにも見えて嫌な予感を覚えたが、何が生物への刺激になるかわからず下手に動けない。グッと我慢し、囲いを抜け出すための最適解を探す。と、それまでこちらを窺うように沈黙していた前方の長い二体が、ゆるりと体を倒し、徐ろに近づいてきた。不可解なことに、どちらもリヴァイではなくハンジを目指している。
「えーっ、長さが伸びるの、それ!」
ハンジが口角を上げ、大きな声を出した。リヴァイがいる位置とは反対の方向に数歩後退りをしたと思うと、すっと膝を伸ばして立ち、それらが到達するのを待つ姿勢になる。逃走と戦闘の策略を脇に置いて生物に先手を許す行為だ。驚くリヴァイに対して、狭まった両眼がゴーグルの中で光る。逃げろ、とでも言うように。
カッと額が熱くなり、こめかみが大きく脈打った。侮られている、と思った。怒りの発火に似たその衝動を全身に送り出すと、リヴァイはナイフを逆手持ちに切り替え、距離を縮めていくハンジと生物を目指して低く身構えた。
「! 駄目だ!」
この期に及んで制止しようというのか、ハンジがリヴァイに向かって掌を前に出す。だがその叫びと身ぶりに反応したのはリヴァイではなく、ハンジに肉薄する二体の生物だった。奴らはハンジが手を差し出した方向に揃って先端を向け、またハンジ本体へと向き直る。驚いたことに、その動きを二、三度繰り返したのだ。
ハンジの顔つきが急に変わった。焦りが未知を嗅ぎつけた渇望になり、眼の光は対象を観察する研究者のそれになる。リヴァイに向かって挙げていた手を、おそるおそる反対のほうへ持っていくと、生物もその手を追って方向を変える。今度は手を高く上に。生物も身を高く持ち上げる。円を描くと、体を器用にくねらせて同じ動線を辿る。
「すごい……動きを真似してる」
ハンジの全身から場違いな歓喜が溢れ出したことで、頭に血が上っていたリヴァイはようやく冷静になった。普段相手にしているのが言葉も命の価値も伝わらない巨人であることを考えれば、目の前の生物の行動には確かに驚愕を覚える。だからといって身の安全が保証されたわけではない。リヴァイは音もなく足を進め、対峙し合うハンジと生物に、ナイフの一振りが届く範囲までにじり寄った。ハンジはそのあいだにも手をかざしたり体を引いたりして、やはり真似して応える生物にいちいち喜びの吐息を漏らしている。
「ハンジ。ソイツが言うこと聞いているうちに離れろ。ゆっくりでいい」
努めて静かに、そう声をかける。だが夜目にも紅潮しているとわかる横顔はリヴァイを見ようとしない。それどころか、生物に手を伸ばし、止めようとするリヴァイを「シッ」と制してその表面を撫ではじめた。生物は首を反らすように先端を持ち上げ、ハンジの接触をやすやすと受け入れる。
「滑らかに動いているのに意外に硬いな……それにざらざらしている」
「オイ、大丈夫なのか」
大丈夫なわけないのだが、夢中になっているハンジととりあえず大人しく撫でられている生物の姿を見ると、なんとなく無理やり引き剥がすのが躊躇われる。
「憶測に過ぎないけど……この子たちは人間を食べたりしないんじゃないかな。見てくれよ、辺りに虫や動物の死骸は落ちていないし、何かが腐敗した形跡もない。接触する植物も均一に育っている。肉食ではないと思うんだけど」
生物に注意を留めながら、ハンジの言うとおりに周りを観察する。確かに地面には先ほどの川のそばよりもよっぽど柔らかそうな草がびっしりと生えそろっており、生き物の墓場になってるわけでもなければ、巨人の口の前で嗅ぐような胸がむかつく腐敗臭も漂っておらず、どこまでも植物の青臭さだけが満ちている。しかし、だ。
「確かに食い散らかしはないみてぇだが、だったらコイツら一体何を食ってるんだ?」
リヴァイの指摘に、生物を撫でていたハンジが動きを止めた。と、今度は生物のほうが、催促でもするようにハンジの頬と肩に体を擦りつけはじめる。ギョッとして目を剥いたリヴァイだが、肝心のハンジはそれを置いて肉塊に走り寄っていく。追いかける二体に我に帰り、リヴァイも慌てて続く。
「この生物の本体と思われる部分、植物みたいに光合成や土中の栄養を吸収しているのかも」
「植物? これが?」
明かりで照らしつつ、足の爪先で一部を押すと、たやすく沈むわりには深く地に根差しているのがわかる。よく見れば肉塊の地表近くの部分は苔むし、地面の上にも動物のようにあちこちを動き回っているような跡はない。
「こんなに大きな生物がそれだけで生きていられるかは疑問だけど……栄養分の不足を補うために虫を捕食する植物もいるし、もしかしたらその類なのかも」
だとしたら、自分たちが捕食対象である可能性もゼロではない。そう考えた途端、二体の生物がベタベタとハンジにまとわりついているのも巨人が人間を鷲掴んでいる光景に見えてくる。だがリヴァイが手を伸ばして一体をゆっくり押し退けると、生物はたやすく遠ざかり、また窺うようにハンジに近づいていく。その動きは巨人からは程遠く、人に慣れた馬のようでもある。
「あ」
まったく躊躇せずに肉塊に触れていたハンジが、いきなり間抜けな声を上げた。何かを見つけたらしいが、視線は背高い体の影になったところへ落ちている。リヴァイは警戒しながらハンジの手元を覗き込み、そして息を詰まらせた。
肉塊の一部が不自然に盛り上がり、ミシ、と音を立てたと思うと、突然そこが切り離されたのだ。妙な粘液を引きながら天高く立ち上がったそれは、リヴァイとハンジの前に現れた二体の生物と同じ色・形状をしており、やはりくねくねと体を動かしながら近寄ってきた。
「おお……!」
リヴァイの唖然を蹴飛ばすように、ハンジが感嘆の声をあげる。
「そうか、この肉塊は細い部分が幾重にも巻きついてできたものなんだね! 普段は後ろのアレみたいに土に潜ってたり、こうして離れたりくっついたりして群生してるんだ。木の蔦のようなものなのかな、ますます植物に」
飛び跳ねんばかりの勢いに閉口し、リヴァイはハンジのことを一旦脇に置いて背後に目をやった。先ほど二人して踏んづけたものはいつのまにか元いた場所に戻っており、正体に気づかなかった時と同じく大きな木の根として沈黙している。ああいった姿を見ると確かに植物のようだが、この場を離れようとするとまた妨げられるかもしれない。慎重にルートを探す。
「うわぁっ」
「今度は何だ……」
ここまでの怒涛にさすがに疲れを感じはじめていたリヴァイは、上がった声に若干の違和を感じつつも緩慢な動作で振り返った。そしてまたも絶句した。
少し目を離していた隙に、大人しくしていたはずの三体がハンジの体に盛大に絡みついていたのだ。二体は左右の太腿に、一体は胴体に巻きついて、揃って背中や尻に先端をグリグリと押しつけている。
「ちょっ、なに」
生物に足を取られ、ハンジが肉塊に正面から倒れ込む。たわむ表面に足と手を取られて動けないらしく、その目が肩越しにリヴァイを振り返る。リヴァイは半ば飛びつく勢いでハンジに近づき、強引にそこから引き剥がした。
「無事か」
「う、うん。ありがとう」
答える表情は困惑してはいるものの、痛みを感じているようには見えない。と、その目が何かに気づいて下に向かう。リヴァイも釣られて目をやると、ハンジのシャツの胸から腹にかけてがベットリとした何かで濡れていた。淡い赤色をした半透明の粘液はおそらく先ほどの三体目がまとっていたものだろう。リヴァイの中にあった生物の区域が、すう、と危険のラベルに変わる。目的はわからない、だが人間を捉えた。それだけで警戒するのに十分だった。
「なるほど、これがニオイの正体か。かなり強い……むせ返りそうだ」
一方、捉えられた当のハンジは淡々としていた。服に付着した粘液を掬い取り、匂いを嗅いで首を傾げている。そこに先ほどまでの困惑はもうなく、瞳にちらちらと揺れる光は確として強い。
「臭気と音……明らかな誘引行動だ。何のために……?」
ブツブツと呟いたかと思うと、突然、リヴァイのほうにぐるりと顔を向ける。強い力で手を掴まれ、ハンジの顔が鼻先に迫る。
「リヴァイ。お願いだ、協力してほしい」
震え声での懇願に、とんでもないことを言われる、とリヴァイは直感した。だが覆いかぶさられるような圧迫感に、捲したてる口を止めることができない。
「やっぱりアレは私たちを誘ってたんだよ。目的が知りたい。どうして誘い込んだのか知りたい。だから協力してくれ。私がもう一度アレに掴まって私の体で何をするのかを調べるから、危なくなったら助けてほしいんだ。頼む」
そら見たことか。開かれた目も、吊り上がった口の端も、荒い息も、リヴァイに向かっているのにリヴァイを映していない。ハンジの頭の中は今、あの気色の悪い生物に占領されているのだ。苛立ちが噴出し、リヴァイは掴まれていた手を払い退けた。
「いい加減にしろクソメガネ。あんなもんにまで興奮してんじゃねぇよ、気持ちの悪ぃ奴だな」
「興奮?」
精一杯の悪態のつもりだったが、ハンジはかえって笑顔を深くした。下がった眉尻がこちらを哀れんでいるようでますます苛立つ。
「私が興奮しているように見えるの?」
「他にどう見えるってんだ。今のお前はただの変態だ」
吐き捨てるようにぶつけた罵倒に内心で後悔が湧き上がったが、ハンジは「失礼だなぁ」と呟いたきり、また生物に意識を戻す。こうなるともう、自分ばかりが苦い泥を食わされているような心地になってくる。この理解が困難な人間の中心に、踏みこめる者など存在するのだろうか。虚脱を感じながら、「とりあえず言うことを聞く気がないのなら気絶でもさせるしかない」と拳を握る。
「リヴァイは知らないままで平気なの?」
顔をあげたところで、要領をえない質問が飛んできた。ハンジの視線は相変わらず生物に留められたままだ。
「なんだよあの生き物って思わない? 見たことも聞いたこともない、何を食べてどうやって生きてるかもわからない。既存の知識や経験が通じない……そんなものが、同じ地上に存在している」
連ねられる言葉が、リヴァイの脳内に一つの像を描く。と同時に、ハンジが「まるで巨人みたいだ」とその像をなぞった。確かに、目の前の生物は未知であるという点で人類の敵である奴らに近しい。普段から巨人の生態の解明に躍起になっているハンジが引かれるのも納得がいく。
(……いや、そうじゃねぇか)
ハンジという人間一人の性質の問題ではない。巨人に対しても、生物に対しても、リヴァイはあくまで己の感情と力量の中だけにその存在を落とし込んでいた。それで終わらせようとしていた。単に自分一人がその場を生き延びるだけなら、リヴァイのやり方で十分なのだろう。けれどハンジはそうじゃない。『未知』の背後に巨人を据えているという点で、それは〝兵士としての姿勢〟なのだろう。円外に置かれている、などと拗ねていた自分が急にくだらない人間に思えてくる。
「……なんてね。君は強いから、こんなふうに恐れを克服する必要はないんだろう?」
リヴァイが己を卑小に貶めるのを読んだように、ハンジがそれを掬い上げる。
「……恐れ?」
「情けないことだけど、私は怖がりなんだ。そしてこの恐怖は私が何も知らないことから来るものだ。何も知らないから怖い、知ればこの恐怖は紛れる……私が知っていることは少ないけれど、そのことだけはわかってる」
語られる心情は、ところどころが遅く、早く、大きく小さくと揺れてバラバラな調子のせいで、いつもと違って聞き取りづらい。今までであれば、リヴァイはそのブレを高まった興奮のせいだと片付けていただろう。けれど、関節が白く浮きたつほど硬く握られ、なのにぶるぶると震えている拳を必死で抑え込んでいるハンジのざまを見て、ようやく自分が思い違いをしていたことに気づく。
「……ビビってるなら、なんで笑ってんだ」
つい、そう訊ねてしまっていた。普段のハンジは、悲しいだのつまらないだの、身の内側に渦巻くものと外側に現れるものが良く悪くも一致している人間だった。それがなぜか、怖がりながら笑っている。不自然を体現するように、その笑顔も歪んでいる。
「癖なんだよ……いつのまにかこうなってたんだ。ある程度なら行動に精神を従わせることができる。笑えば怖い気持ちも少しだけ紛れるんだ。そうやって自分を奮い立たせてきた。不快な気持ちにさせちゃったのは謝るよ……ごめんね」
ハンジがこちらを振り返り、硬く口角を上げた。まったく違う意味を帯びてしまった笑みを前に、リヴァイは逡巡する。
「……戻って隊に合流してからじゃダメなのか」
「うーん、そうだね……ちなみにそれっていつになると思う?」
その一言で、なるべくならそうであってほしくない、と考えていたことを言い当てられた気分になる。
リヴァイとハンジは、元いた場所も野営地も完全に見失っていた。要するに遭難だ。林はいつのまにか深く生い茂った森になり、太陽不在の元でこれ以上歩き回っても再合流が遠のくばかりだと嫌でもわかる。朝を待ち、明るくなってから森を抜けるしかないが、無事に野営地に辿り着いたところで、こんな奇妙な生物の話など言い訳のための架空だと断じられてしまいそうだ。
(一部を切り取って持って帰るか……?)
持っていたままのナイフを握り直すが、敏感に察したハンジが「死んでしまうかもしれないから」とやんわり制してくる。
リヴァイは小さく舌を打った。ハンジではなく自分に対してだ。そもそも「確かめに行く」などと言ったのが間違いだったのだ。己が言い出したことがこのような面倒な結果を生むなど、知りようがなかったとはいえ後悔が尽きない。巻き込んだ負い目もあり、ハンジの『お願い』にジワジワと意思が侵食されていく。
なにより、怖い、と囁いた声が脳裏から消えない。そうする必要なんかないはずなのに、なんとかしてやらなければ、という焦燥に腹を焼かれてしまう。リヴァイはしばらく黙した後、大きくため息をついた。
生物本体に近寄っていくハンジを注視しながら、リヴァイは自らの判断の正否を繰り返し問うていた。力で遅れをとるとは思っていない。未知の部分こそまだ多いが、最初に対峙したときの反応や先ほどの手応えからしても自分が押し負けることはほぼないだろうと確信している。だがそれはリヴァイ一人で対峙する場合の話だ。
「あ……」
ある程度距離が縮まったところで、三本の腕が待っていた、と言わんばかりにハンジに擦り寄ってきた。一本は頬から胸にかけて、もう一本は脛から腿にかけて、三本目は胴体に体表を押しつけ、ハンジの体の形を確かめるようになぞっている。恐々とそれらを受け入れる表情から見ても、自身に降りかかる危険がゼロにならないことはハンジも十分わかっているだろう。それでも、知ることを優先すると言う。
リヴァイ自身が感じた最後の恐れは、もう随分と遠い過去のものだ。壁外でなら嫌というほど目や耳にする恐怖でさえ他人のもので、そのどれもが、恐れる対象から遠ざかる、あるいは排除することで自身を守ろうとしていた。恐れに触れた人間は大抵皆そうだった。だが世の中にはそうでない奴もいるらしい。巨人が人類全体に共通する恐怖なら、ハンジは人間と巨人が接するところから常に一歩進んだ場所に立っていることになる。
――今は、けれど。リヴァイもその隣にいるのだ。相手は巨人ではないが。
じっとハンジを見ていると、その眉が何かに気づいて跳ね上がった。何かと思うまもなく、人間の腕ほどの太さを持つ三体のうち、一体の先端がまたもミチミチとほどけはじめた。そうして、複数本の指のようなものに分かれてうねうねと動き出し、粘液をしたたらせながら再びハンジの体に擦り寄ると、至るところに細いものを伸ばし始めた。他の二体もそれぞれが細い触手の集合体なのだろう。ということは、ハンジの背後に控えるブヨブヨした肉塊も含めて、この生物は繊維の集合体のような構成をしているのだろう。気色悪いな、と目を細めつつ、リヴァイはふと気になったことをハンジに訊ねる。
「そいつの液体は、触って大丈夫なのか?」
シャツやズボンには、すでにべったりと大量の粘液が残されていた。生物の軌跡なのかと思うとハンジの受容の凄まじさが垣間見えるが、本人は至って呑気に答える。
「あ、これ? うん、今のところは何の皮膚害もないよ。匂いを発してるだけだ。対象への誘引効果があるんだろうな。フェロモンみたいなもの、といっ……」
明瞭に流れていた言葉がプツリと切れて、リヴァイに向く笑顔が固まった。一体が先ほどと同じくハンジの太腿に巻きつき、胴体をそこに擦り付けだしたのだ。しかしよく見れば、ずりずりとうごく先端がちょうど脚のあいだを撫でる形になってしまっている。
「……」
ハンジは無言で手を伸ばし、股のあいだに潜るそれを下に押した。リヴァイもなにも言わない。だが、何となくこれから起こることが予想できた。体の半分以上を覆うほどの体積を持つ生物が、こちらの思惑もクソもなく身体を這いずり回るわけだから、そりゃあ、〝そういうこと〟も起こるだろう。
「んっ……あ」
案の定、股座に始まって胸やら耳やら脇やらを生物に掠められ、あるいは擦られるたびに、ハンジは小さく声を漏らしながら体をビクつかせることになった。リヴァイはリヴァイで、腕組みをしてそれを睨みながら、「そうか。左脇が弱いのか」などと考えてしまう自分と生物に苛立ちを募らせていく。それなりに体積のある三体が好き勝手に動くせいで、ハンジの身ぐるみも乱れに乱れていた。シャツのボタンが千切れるように外れていくのを「脱げばよかったかなぁ」などと捉える姿は、しかし肌も赤く、こめかみに汗をかいて肩で息をしてしばらく経っている。馬に全力でじゃれつかれているようなものだと思えば受け入れているだけでも体力を消耗するだろう。そう納得しながらも、言い知れない不快感が腹底に溜まっていく。
「ん、……はあ」
ため息のような声を出しながら、肉塊の前に立っていたハンジがとうとうその表面に手をついた。そろそろ三体の重みに体を支えきれなくなってきたらしい。リヴァイに向けられた背中は浅い呼吸とともに上下し、物理的な重さだけでなく疲労の蓄積も物語っている。単にハンジの体をこね回しているだけの生物は、なんら新しい情報をもたらしていない。引き際を図りつつも、リヴァイの視線は自分のほうに向けられた尻へと釘付けになった。細い触手が腰巻の下に潜り込み、片方の肉を掴むようにまとわりついた挙句、ぎゅ、ぎゅ、と揉むようにしてそこで動いていた。持ち上がった尻肉の合間からふっくらと女の谷間が見えて、おまけにそこにも、別の一体が丸い先端を押し付けようとしている。
「ハンジ。こっち向いてろ」
リヴァイは素早く歩み寄り、後ろを向いたハンジをひっくり返すついでに尻の触手を剥がして放った。どうせすぐ戻ってくるだろうが、これだけ近づいてもリヴァイに興味を示さないところがますます憎らしい。振り向かされたハンジは、肉塊に背中を預けてからうっすらと目を開けてリヴァイを映したものの、すぐにぎゅっと瞼を下ろしてしまった。身長差のせいで俯いた顔も覗き込めはするが、どこか避けるようなその態度に気が引けてしまう。なんとなく気まずくて目線を下ろすと、粘液で透けて散々乱れたシャツの下に、女の下着と体が浮き上がっていた。軽く目眩がして、ハンジの体の横に手をつく。二人分の体重をうけた肉塊が、ぐに、と歪んだ。
近づいた距離で、リヴァイはハンジの苦しげに動く胸と吐息に気づく。
「苦しいのか?」
「いや……平気、大丈夫……」
両眼の焦点を確認しようと汗で額に張りついた髪を避けると、ハンジは「ひうっ」と声をあげて震えた。驚いて触れた指が止まる。
「あっ、あの! そ、それよりこの生き物、よぉく見てみたらさ、表面に細かなひだのようなものを持ってるんだ……! ひだっていうのは、何かを吸収するためのもので……」
「体が変なのか?」
「大丈夫、だってば……」
浅い呼吸。若干の発汗、発熱。腕をとり手首に指を這わせ、脈拍を図る。速いが異常値ではない。そのまま、生物の粘液が付着したであろう部分の肌も確認する。確かにかぶれたような痕もなく、身のうちから起こる熱に上気しているだけだ。明らかな外傷や意識混濁もない。リヴァイは視線を下に移し、内股をすり合わせるように動いているハンジの脚を見た。少し考え、腿に走る立体機動ベルトに沿って、つ、と指を走らせる。
「うひゃっ!」
途端、ハンジが痛みを感じたように全身を跳ねさせた。そのまま掌全体で腿を覆い、優しく揉むようにすると、喉から切れ切れの高い声が溢れ出す。慌てて握り拳で口を抑えるが、解放先をなくした声が体内で跳ね回るのか、リヴァイの手の動きに合わせて反応はますます顕著になる。ハンジがリヴァイを見た。涙をいっぱいにためて溶けた瞳は、痛みではなく、非難でもなく、まったく別のものに占められている。リヴァイはそれを見つめ返し、「ハンジ」と静かに名を呼んだ。手を止めず、ゆっくりと問う。
「自分の身に何が起こってるか、わかってるか?」
「……っ」
身悶え、必死で声を押し戻しながらも、ハンジはリヴァイの手を払いのけようとしない。それどころか脚を擦り合せるたびに掌が内腿へ入り込んでいってしまうのを逃がすまいとでも言うように挟み込んでくる。リヴァイの質問にさらに赤くなる顔を見れば、手の下の肉体が何を求めているのかなど簡単に知れた。
無言で向き合う二人に構わず、生物たちは今も体の上を這いまわっている。一本がハンジの脚の谷間に入り込み、ぎゅ、と肉を締めつけた。
「んんっ……!」
無体に耐える姿に、怒りとも焦りともわからない感情を煽られ、リヴァイは語気も強くハンジに詰め寄った。
「てめぇの体に異変が起こってるのは認めるな? そのうえで、まだこれを続けるのか?」
「……目的が、わかってない……からね」
今のハンジに正常な判断ができるのか疑わしい。十分わかっていた。わかっていたのに、リヴァイはハンジに選択を委ねた挙句、肯くのを見て理不尽な感情を爆発させる。
痛い目を見ればいい。怯えきって、もう二度とこんなことはしない、と泣きじゃくるほど痛い目を見ればいい。それと同時に、この手でわからせてやりたい、という邪な欲望もそこに刺さっている。ハンジが泣いて縋って助けを乞う相手は、例え人間以外の存在を含めたとしても自分だけであるべきだ。そうでないと許せない、と。自分の内から起こるのに何を起源としているのかわからない、それほど身勝手な感情だった。
リヴァイは熱い体から手を離した。溶けた眼が不安で曇るのを見逃さず、今度はハンジの手首を掴む。そして自身の下肢へ――脚のあいだで固くなっているものへと導いた。ハンジは数秒だけぼんやりとしたあと、掌で受けた感触の意味に気づいて顔を引きつらせる。
「え、えっ……? なん、」
「お前もこうなってるんだろう? 俺は液体にもソイツらにも触れてねぇが……おそらく〝匂い〟にもそういう効果があったんじゃねぇのか」
「!」
「コイツらが何をしてぇのか皆目見当もつかねぇが、『協力する』と言っちまったからな……こっちの体も検証に提供してやる」
「あ、ありがとう……?」
畳み掛けるように言うと、ハンジはもはや精査することもなく受け取ってしまった。いくら思考力が鈍っているとはいえ、感謝の言葉まで口にする様子が意外だった。案外押しに弱いのかもしれない。
「たが俺は得体の知れないもんに好き勝手に体を弄られたくない。意味がわかるか?」
「……えっと、つまり……私が彼らの代わりに……コレを刺激しろってこと?」
訊ねながらも、ハンジの手が恐る恐るリヴァイのものを撫でた。生物相手に見せていた積極さからはかなり遠いが、拒む気はなさそうだ。
「……そっちも、度が過ぎるようなら俺がやってやる」
もじもじと落ち着かない脚のあいだに目を落としながら、「本当は『過ぎる』なんて基準を設けず全部自分がやりたい」という本音を隠してそう告げる。恩着せがましい言い方をしたにもかかわらず、ハンジは安堵するようにくしゃりと顔を歪ませた。涙が浮くんじゃないかと思える崩れ方だ。頬に手を当て、泣くな、と口の動きだけで言う。何を思って、ハンジはこんな子どもみたいな表情でリヴァイを見るのだろう。酷くしたい気持ちと優しくしたい気持ちの両方を煽られて、単純な脳は焼けることしかできない。
ハンジだけを肉塊に座らせ、その頭に手を置き勃ち上がったモノの前まで引き寄せたリヴァイは、あとはもう好きにさせることにして、自分は立ったまま生物たちに意識を戻した。人体を高めようとする目的が何にせよ、実際に性行為が始まれば生物たちの動向もそれに合わせて変化する可能性がある。今はひたすら体の表面を撫でているだけの奴らも、より捕食に近い動きをするかもしれない。体の一部がどんどん凝り固まっていくのを自覚しつつ、頭の隅に冷たい場所も残して警戒を強める。しかしいざ窮屈になっていた部分が解放されると、リヴァイの気は次第にそぞろになっていった。外気に晒されて敏感になったモノが、はあ、と声の混じった吐息に舐められ、柔いものを押し当てられて、わかりやすく血を滾らせる。
ちゅっ、と気恥ずかしい音が鳴るのを耳にしたリヴァイは、自分の唇で味わう前に別の場所がハンジのキスを受けてしまったな、と気づいた。少しだけ惜しくなる。
緩やかに始まった口淫は、けれど幾分たどたどしいものだった。ハンジはリヴァイが惜しんだキスを逆にそれしか知らないように繰り返し、手を使うことはどこかに置き忘れてしまったように、リヴァイの脚の上で握りしめているだけだ。注視しない程度に見下ろすと、そこには普段のはっきりとした相貌からは考えられないほど溶けきった表情で男根に口付ける女の姿があった。髪の生え際から指先までを薄い赤に染めた様は、性的な興奮は元より、どうしようもない羞恥に耐えているようにも見える。目が合いそうになり、リヴァイは素早く視線を戻した。
少し経って、ようやくリヴァイはハンジの口内に招かれた。そこは外気に比べてかなり熱く、比較的大きいのでは、と思っていたリヴァイのモノをぐっぷりと咥え込むほど大きい。思わずため息が漏れる。
「う、ふ、ふぅ……」
ちろちろと動きまわる舌はやはり拙かったが、くびれやら窪みやら、掠めるたびに体が跳ねてしまう場所をきちんと覚え、リヴァイの反応を窺いながら丁寧にそこを行き来する。唾液の量が多くなり、リヴァイの先走りも滲むせいで、じゅる、じゅぷ、などと下品な音が鳴り出したのを、最初の恥じらいは何処へやらハンジは楽しむように頭を動かしている。
リヴァイは喉が緩んで声が出そうになるのを何度も締め直し、施される快感と睾丸に伝う体液に身を震わせた。空手をハンジの後頭部に添え、前後する動きを助けていたはずが、次第に指先に力が篭り結われた部分を掴むようなことをしてしまう。指に髪が絡まる感覚さえ背筋をゾクゾクとのぼる寒気になっていく。
「ん、んぶ、……ぐ、う」
「は……ぁ、ーーハンジ……」
ピクン、と震える感覚に我にかえり、リヴァイは脚のあいだの体に視線を落とした。ゴーグル越しにも強い眼が驚いたように見上げてくるのを、しまった、という気まずさで受ける。恋人でもないのに、最中に名前など呼んでしまった。不意に生まれた甘さに耐えられず、「なんだ」と素っ気なく投げると、ハンジはリヴァイを見つめたままごく軽く眼を細めた。柔い笑みのようなその表情は、存外悪くない気分をリヴァイにもたらした。
が、それも長くは続かなかった。何をきっかけにしたのかはわからないが、それまで単調な動きをしていただけの生物たちがゆるゆると変則的に移動しはじめたのだ。
そのうちの一体、例の細い触手を持つ三本目が、リヴァイの脚とそこにすがりつくハンジの上半身のあいだに無理やり体をねじ込んできた。そうしてあっというまに乱れたシャツの裾と襟ぐりから中に侵入する。
「……っぷ、うわ! なに?」
さすがのハンジも目を丸くして、口からぶるりと咥えていたものを離してしまう。シャツの前身頃が侵入者によってボコボコと膨れ上がり、ベルトが窮屈そうに軋む。
「落ち着け……大丈夫だ」
片手に持ったナイフを示し、戸惑うハンジの頭をもう片方で安心させるように撫でると、リヴァイはベルトの留め具ともうほぼ残っていないシャツのボタンを外していった。上衣をはだけさせれば、下着はほぼ捲り上げられ、裸の胸部にべったりと触手がまとわりついている状態だった。細く分かれて繊細な動きをするようになったそれらがハンジの柔らかい部分を囲んで無遠慮にこねまわしている。
「あ、や……やだ、」
そちらに気を取られているうちに、ハンジの下半身にも二体が巻きついていた。一体が閉じる脚を割り開き、もう一体が先端で股間を突き上げるような動きをしている。
それだけでもうすべてを切り捨てたくなってくるが、ぎゅ、と目をつぶって必死で耐えようとするハンジを見てどうにか衝動をやり過ごす。ハンジが欲しいのはあくまで生物たちの情報だ。リヴァイの嫌悪感は、ここではかえって邪魔になる。
「……ハンジ。こっちに集中しろ」
頬をひと撫でし、垂れた横髪を耳にかけてやる。そのまま耳の硬い部分をなぞると鼻から甘い声が抜けた。奇怪な生物がもたらす刺激なんかより、ハンジはリヴァイの手指のひとつひとつにこそ甘い反応を見せる。胸にこびりつく不快感が少しだけ薄まった。
リヴァイの言葉と温度に体の力を抜いたハンジは、再び陰茎を頬張ると、先ほどよりもスピードを落としてゆっくりと顔を動かしはじめた。唇の輪がほどよく幹を締め付け、熱くて柔らかい舌がぬるる、と裏筋を辿る。鬼頭やカリ首をひととおりしゃぶり、またゆっくりと飲み込んでいく。やっていることは淫らそのものなのだが、鈍く光る瞳にはいつもの知性がちらついている。触手のことがどうしても気にかかるのだろう。当たり前だ。
リヴァイは腰の位置を変えないように注意しながら、空いているほうの手をハンジの肩に伸ばした。鎖骨のまわりを軽く揉み、手を滑らせて徐々に下降させる。精一杯腕を伸ばして胸の膨らみに指を埋め、下着の上からうぞうぞとまとわりつく触手をかき分け、小さく尖った部分をきゅ、と摘む。
「んっ!」
ハンジがリヴァイを咥えたまま高く啼く。触手がリヴァイの手の上から胸部を覆いなおし、またぐにぐにと動きだす。それに合わせて掌で乳房を揺らし、時々指の腹で頂点を擦ってやる。別に、体を高める役割をすべて触手に預ける必要はないのだ。リヴァイが触れるほうがほどけやすいなら、なおさらそうしてやるべきだろう。――などと、言い訳をして。
「口が止まってるぞ」
ハンジもハンジで、リヴァイの指摘で再開させた動きは先ほどよりも明らかに熱を増していた。二人の体液を混じらせ攪拌させたものが繋がった場所から溢れ、顎を伝い、上半身にまとわりつく触手にポタポタと落ちる。荒ぐ息を一際大きく吐き出したリヴァイは、あるところでハンジの頭を軽く押した。
「深く、咥えてくれ……奥まで」
「……ぁお、ぐ……、ーーっ」
「は、ぁ」
敏感な先端が喉の穴にきゅっと包まれ、思わず悦の声が漏れる。『奥まで』とは言って促しもしたが、ハンジは自主的に限界までリヴァイを飲み込み、額を苦悶に歪ませながらも自らしがみついてくる。「天然かよ」と心中で毒づくも、あまりのよさに込み上げてくるものを我慢できなくなる。限界まで耐えたところで、リヴァイは口内への未練を断ち切ってハンジを引き離そうとした。けれど、がっちりと腰を囲んだ腕に阻まれる。そのままじゅる、と吸われて
「! く、……ぁ」
結局、中に吐き出してしまった。陰茎が何度も痙攣し、鋭い射精が続くが、ハンジの口はそれを吐き出すどころか逆に飲み込む動きをする。視界が霞むほどの快感だった。
「っごほっ、う、げほ」
リヴァイが欲望を出し切ったところで、ようやく繋がりが解かれた。ハンジが苦しげに咳きこみ、かぱりと口を開けて下を向く。心配になって覗き込んだリヴァイの前で、舌の上に残った精液を、とろ、と掌に垂らしてきた。
「……はあ……すごい……たくさん出したね……」
溜まったものを指ですくいあげようとしたところで、リヴァイはその手を掴み、ハンカチで雑に拭い去った。
「ああー…」
「てめぇ……馬鹿が。クソが。なんで残念そうなんだ」
「ええ……だって、調べたいことがあったんだよ……」
そう言われると、いくら煽られたとはいえ乱暴に機会を奪ってしまった後悔に何も返せなくなる。口を閉じた隙に、ハンジが腰を浮かせてまたリヴァイの下半身に体を密着させた。止める間もなく、吐精して縮んだモノを握られる。
「もう、残ってない……?」
「ば、よせ」
半裸の体を腿に押しつけ、ハンジはくたりと垂れる陰茎を検分するように弄りはじめた。背中にまわった腕がシャツを掴むのが健気に思え、汗ばんだ肌はしっとりと熱く、赤黒い男根と違って頬の上気は淡く柔らかい。伏せた目は睫毛の先まで濡れているようで、なのに瞳には理性の欠片も見え隠れする。その姿態を眺めていると、全身がこれまでと違う熱を持つのがわかった。
「あっ、ちょっと出てきた?」
「やめろ」
台無しな台詞に打ち砕かれたところで、楽しげに手を動かしていたハンジがビクリと全身を震わせる。その目が恐る恐る下に向かっていくのを、リヴァイも訝しく追う。
「……! チッ、このクソ生物が」
最中はすっかり忘れ去っていた三体目が、服の上からでは満足できなくなったのか、ハンジの下衣の中に数本の触手を伸ばしていたのだ。一気に天辺から泥水をかけられた気分になる。リヴァイに縋りついたままのハンジが、この先どうすればいいかわからないという様子で見上げてくる。リヴァイは安心させるように頷き返した。
「脱がすぞ」
「うん……」
肉塊に乗り上げ、背中をつけたハンジの脚を囲むように膝をつく。脇に装着したホルダーにナイフを一旦収めると、先走ってズボンの隙間からハンジを暴こうとする触手をはたき落とし、下半身に走るベルトを外していく。
淀みなく手を動かしながらも、リヴァイの聴覚は自分の心臓の音に支配されていた。局部に触れられている時よりも大きく鳴り響く鼓動は本当に匂いのせいだけなのか、と疑いたくなるほどだ。
ズボンのバックルまで外し、下衣の戒めをすべて緩めたところで顔を上げたリヴァイは、そこでようやくハンジが両腕で顔を隠していることに気づいた。頭の横に手をつき、様子を窺う。
「……大丈夫か」
「う、ん……大丈夫。じゃないけど……」
「どっちだ」
「いやさぁ……恥ずかしくて」
不意を突かれる言葉だった。身体を支えていた肘がガクン、と折れて、ハンジの体の上に倒れこみそうになる。
「おま……今さらだろうが……」
「そりゃそうなんだけど……」
目の前で動く唇などは、さっきまでリヴァイのあらぬところに吸いつき舐めまわすのに散々使っていた場所なのだが。恥を感じるタイミングが独特だな、と首を傾げてしまう。
ただ、恐れを笑顔に沿わせて無理やり行動に移すような対処法と比べれば、赤くなった顔を隠すなんて行為はずいぶん素直に思える。今この瞬間のハンジの頭は、恐れよりも何よりも、リヴァイに対する恥じらいでいっぱいになっているのだ。そう思うと、機嫌が少しだけ上向く。上向いたついでにハンジの下衣を引き摺りおろした。悲鳴が上がったが本気の拒絶ではないため無視する。
日に晒される機会のない白くて長い脚が、色の沈んだベルト跡だけを際立たせながら現れた。あたりに熱を持った女の匂いが広がる。ひと嗅ぎで腹の底にカッと火がつき、居てもたってもいられなくなるような匂いだ。煽られたのはリヴァイだけではなく、触手たちが色めきたったように膨れ上がり、一斉に匂いの源を目指して伸びてきた。
「わーっ、ちょっと待って!」
ハンジが慌てて脚を閉じるが、生物たちは構う様子もなく下着の上からそこに潜り込もうとする。おまけに、腿の裏や付け根などのてらてらと濡れた肌にも群がっている。顔色を青く赤くと忙しくなく変えながらも、ハンジの両眼が研究欲に光る。
「濡れた部分を……っ、舐めてる? 人間の体液が餌なのかな? 表面のひだは、んっ、吸収するためのものなのか」
震える声の合間に展開される冷静な見解をもはや感心する気持ちで聞きながら、リヴァイもまた、一つの可能性に思い至る。
「……コイツら、お前の穴にまで入ってくるんじゃねぇか?」
「え?」
「あな?」と聞き返してきた顔は、リヴァイの言葉を今ひとつ理解していない。説明するより見せたほうが早いだろう。そう考え、リヴァイはハンジを後ろから抱え込み、秘部に手を伸ばした。触手たちを遠ざけ、慌てる体を抑えこみ、下着越しの谷間に指を滑り込ませる。安価で目が粗いはずの布は粘質の液体にびっしょりと濡れそぼり、絹のようなするするとした手触りに変わっていた。多少潤ってはいるのだろうと予想していたリヴァイも、その程度の甚だしさに反応が少し遅れた。
「……すげぇ濡れてるな」
「そっ、そういうのさぁ……! やめてくれよ、本当に」
他人の精液の量には感心していたのに勝手だな、と呆れたが、中心に触れた指をくるくると動かすと咎める声は急に甘いものになった。血を溜めてふわふわと膨らんだ肉の合間に指の腹を添え、軽く押し込んでは掻くように遊ばせ、ひっかかったしこりをくにくにと軽く押す。
「んっ、や、やだ、ぁ……りばい……」
また顔を覆ってしまったハンジは、しかし顔以外は無防備に曝け出したままで、無意識なのかリヴァイの手の動きに合わせて腰を動かしている。拒むために閉じた太腿も感じるたびにきゅ、きゅ、と筋肉が震え、悩ましい締めつけを伝えてくる始末だ。素直な体を名残惜しく感じながらも、リヴァイは湿潤から一旦手を引いた。
「はぁ……」
「見てみろ」
ハンジを促し、愛液がびっしょりとまとわりついた指先が見えるように眼前に掲げる。最初は「そんなもの見せないで」と泣きごとを言っていたハンジも、濡れた部分に触手たちが激しくまとわりつこうとする様を見て恥じらうどころではなくなったらしい。手を動かして逃れてもひたすら寄ってくる奴らに舌打ちをするリヴァイの横で、捕食者たちの食いつきに目を丸くしている。
「うわぁ……これは」
「指でこの状態だからな。おあつらえ向きに細い形もしてやがる。ビショビショの穴を素通りするとは思えねぇだろ」
「……」
追い打ちをかけるかのように、ハンジの足にまた何本もの触手が巻きついた。すぐさま肌が鳴るほど勢いよく腿が閉じられたが、揃った膝がぶるぶると震えているのを見るにつけ、守り続けることは難しそうだ。
引き際か、とリヴァイは思った。いくらハンジといえど、体内に未知の生物を入れることまでは考えてなかっただろう。大方の目的もわかったことだし、きっとここで止めることに異議はないはずだ。
だが中止を宣言しようと窺った眼に、それまでとはまったく違う光を見つける。ハンジが意識しているのは、どうやらいまだ未知の生物たち――ではなく。欲望を勃ちあがらせたリヴァイの股座らしい。出しっぱなしもなんだから、としまい直した甲斐もなく、そこはとっくに挿入できる硬さを取り戻し、ハンジの腰に当たって存在を主張していたのだ。何食わぬ顔で張ろうとしていた虚勢は、その瞬間あっというまに砂になってしまった。
「……気になるか?」
「えっ!?」
「まあ、どんだけ啜ったら腹いっぱいになんのかとか、腹が膨れたらどうなんのかとか……見当もつかねぇしな」
「……ああ、うん! そうだね、気になるよ」
リヴァイは声を低くしながら、考える時間を与えたくない、という浅ましさに目をつぶってさらに言葉を重ねる。
「さすがにお前も腹ん中にコイツらを挿れるのは抵抗があるだろうが……このまま食わせてやる方法がないわけじゃない」
「つまり、中に入れずに、ってこと? どうやって……」
「要は〝おこぼれ〟をくれてやればいい」
「おこぼれ?」
「じっとしてろよ」の一言でハンジの動きを留め、体勢を入れ替える。向き合う場所に座り直したリヴァイは、目線を通じあわせたままむき出しの腹に指先を落とした。一瞬だけこわばった頬も、触れた指をそのまま下へ降ろしていくとすぐに赤くなっていく。下着と肌の境界線にたどり着いたところで、布に指をひっかけてゆっくりと足から抜き去り、そのまま素早く両の膝裏を持ち上げる。リヴァイはそうして、ハンジの脚のあいだに難なく体を滑り込ませた。視覚で堪能するよりも早く、露わになった穴を掌で覆う。手の甲が触手に突かれるが構わずハンジを見る。
「指、入れるぞ」
「……」
返事はなかったが、ハンジはもう顔を覆うこともなく、リヴァイの動向をじっと見つめていた。期待とも非難ともとれる眼差しに一瞬後ろめたさを感じるが、手の下で震える熱にすぐにそれも打ち消される。リヴァイは外側の唇を開ききってたっぷり濡れた内側を光らせるそこに、中指をゆっくりと潜り込ませていった。
「あ……ん」
熱い。最初に感じたのはそれだった。続いてぬるぬるとした感触に皮膚が浸り、きゅう、と包まれる動きに頭が占められた。女のそこを指で味わった経験は過去にもあるが、そもそも『味わう』という言葉が当てはまるほど没頭していたかどうかも曖昧だ。リヴァイが過ごしたのは、濡れているという事実が次に進むための目印でしかない、そういう時間だったように思う。
「グッショグショだな」
こんなクソみたいな台詞を吐いたこともないし、
「だから……恥ずかしいから、言うなって……」
涙声でそう返すくせして、中をヒクヒクと動かす女に、無駄に体の一部を熱くさせたことだってなかった。馬鹿になっている自覚はあったが、女の体に夢中になっておいて今さら賢さを繕う意味もわからない。ハンジの中は、かき混ぜるたびに柔くてぶあつい肉を広げ、すぐにまた指に沿って縮むを繰り返し、リヴァイの指を丹念にしゃぶりあげてくる。馬鹿にならないほうがおかしい。指を二本に増やして壁の三百六十度を根気強く探ると、いいところに引っかかったのかハンジが声をあげた。
「そ、そこだめ、あ、ぁっ」
荒くなる息を奥歯を噛みしめて抑え、反応のあった部分に指を当て、際限なく湧く愛液を掻き出すように動かす。と、上向いた掌にできた小さな水たまりや周囲に飛び散るハンジの体液を求めて、触手たちが二人のあいだに入り込んできた。
「見ろ、ハンジ。おこぼれ食らいに来たぞ」
「うっあ、おこぼれってそいう、……っ!」
奴らはリヴァイが塞いでいる場所以外の性感帯に群がり、ほとんど人間の指に似た動きでハンジを追い込んでいく。無理やり高められる体が不安なのか、怯えた瞳がリヴァイに縋る。
「中には来させねぇ。から、俺の指だと思え」
「ん、く……」
努めて優しくいえば、ハンジは素直に緊張をほどく。半裸にいくつもの触手をまとわりつかせて、あちこちを粘液で汚されながら喘ぐ姿は、肝要な部分をリヴァイに許しているとはいえ酷く腹立たしい。そして同じくらい、興奮を煽られる。
右手でぐちゅぐちゅと中をかき混ぜながら、快感に沈んでいくハンジの痴態に釣られてリヴァイの左手は自然と股間に向かっていた。衣服越しの男根はまた外に出て入ることを望んでいたが、そこまでを自分に許すつもりはない。勝手に設けておいて笑えるが、そこが最後の砦のつもりだった。――なのに。
「……リヴァイ」
「なんだ」
「確かめたい、ことが、あるんだ……協力してくれないかな……」
まだ何かあるのか、と目を見張るリヴァイの前で、ハンジが腕を動かし、自らの両足を抱えた。そうして、より上向いて見えやすくなった穴に手を伸ばし、くぷくぷとそこを弄るリヴァイの指に触れる。
「指じゃなくて……あの、リヴァイのだ、男性器を、入れてほしいんだ……ここに」
「…………は?」
「指だと、……奥まで、来なくて……入れてもらえたら、もっと濡れると思う……んだけど」
額やこめかみに汗を滴らせ、真っ赤に熱をはらんだ顔の中から一際とろけた両眼がリヴァイを捕らえる。
「……駄目かな?」
「いや、俺は……今すぐにでも、そうしたいが」
「本当? よかった」
熱に浮かされていた表情が、真っ暗闇でマッチを擦った時のようにパッと明るくなった。首から下は爛れきった大人の形をとっていながら、そうやってまた子どもみたいな顔でリヴァイを見る。恐怖を抑え込んで進むための笑みとは違う。ずっと見ていたい。そのためならなんでもしてやりたくなってしまう。
指を引き抜くと、栓を失くした中からこぷりとハンジの体液が溢れ出してきた。思わず凝視してしまったリヴァイと群がる触手を遮って、ハンジの両手がそこを覆い隠す。逸る気持ちに震える手を叱咤し、再び下を露出させる。血を滾らせて硬い陰茎を支え持つと、リヴァイは改めてハンジを見た。
「挿れるぞ」
「うん、来て……リヴァイ」
ぴたりと閉じていた指がゆっくりと開き、隙間から濡れた肉が誘う。リヴァイは頭を唇の真ん中に固定すると、奥に向かって慎重に腰を進めていった。硬く熱る部分を包む壁はふわふわと柔らかく、かと思えば吸いつくように密着してくる。指なんかで感じたものより遥かに心地いい。根元まで収めて息を吐き、いつのまにかきつく閉じていた目を開いて、リヴァイはようやくハンジに意識を戻した。
「……全部入った」
「うん……すごいね。押し広げられて、お腹……苦しい」
そう言って笑うハンジの頬に妙な引きつりを感じ、リヴァイはぐっと体を近づけた。ハンジがさらに息を詰める。
「オイ……大丈夫か。いったん抜くか」
「や、抜かな、で! というか動かな、」
ず、と腰を引いた瞬間、ハンジの胎の中が搾り取るように動いた。驚いて腹に力を入れた拍子に、先端が中の一点を押し上げる。
「あっ!?」
内側が、きゅう、と縮まり、ハンジは顎を反らせてあっというまに達してしまった。中も外もガクガクと震える様子に組みしく相手を絶頂に昇らせたという自覚も追いつかず、リヴァイはハンジの顔を恐る恐る覗き込む。余韻にビクつく体は、思えばもうずっと生物の触手やら匂いやらのせいで高まり続けている状態だったのだ。さぞかし辛かっただろう、とその頬を撫でると、ハンジの目の焦点がうっすらと戻ってくる。
「ごめ……我慢、できなくて」
「謝るな。好きなだけイッていい」
「っ……りばい……」
腕が首に周り、強く抱きしめられる。穴が塞がったことで触手に犯される心配がなくなったからか、それまで縮こまっていたハンジの体が柔らかく開き、一層奥に誘い込もうとする。下半身どころか全身が溶けそうな感覚を耐えながら、リヴァイはゆるゆると腰を動かした。気をぬくとすぐに出してしまいそうだ。
「ん、う……。あ、下、まとわり、ついてる……?」
「ああ……」
中の愛液に浸っては外に出てくる陰茎を餌場に定めたのか、その根本に触手の数本がチロチロと表面を擦り付けてきた。急所に与えられる奇妙な感覚に最初は緊張していたが、出し入れをするたびにハンジの秘部にまとわりつくものとぶつかって小さな刺激になることに気づき、体はそれを快感として認識しはじめる。結局そんなに持ちそうにない、と歯噛みする。
「リヴァイ……あのね、一度目は、外に出してほしいんだ……」
耳元で掠れた喘ぎ声が言ったのを、リヴァイはしばらく「幻聴か」と取り合わなかった。しかし返事がないことに焦れたのか、「お願いだよ」とハンジが懇願を募らせたせいで現実になってしまう。お願いもクソもない。『一度目』ということは二度目もあるということだし、『一度目〝は〟』ということは二度目の噴出が外でなくてもいいということだ。このバカ女、と脳が沸騰し、意図せず抽送に力が入る。
「! んっう、あっあ、りば、い……イクっ」
上半身を押さえ込み、腰だけを上から叩きつけるように動かすと、乱暴なやり方にもかかわらずハンジはまた涙を散らして達してしまった。陰茎を押し込むたびに押し出された膣液があちこちに飛び散り、二人の肌や周囲を広く汚していくのを、触手たちも我先にとそこに群がって舐め尽くそうとする。その感触と充満する匂いにまたさらに煽られ、自身が最大まで膨らむ。
「あっ、あ、はあ、そと、そとにだしてぇ……っ」
「わかってる……!っく、」
解放された男根は抜いた勢いのままにぶるりと揺れ、ハンジの腹や脚に盛大に白濁を撒き散らした。外に出せたは出せたが、余裕が微塵も感じられない終わり方だった。肩で息をしつつ、己の所業に若干嫌気がさす。ハンジは汗で肌を光らせながら、そこに足された精液をじっくりと観察している。心の読めない顔をリヴァイもまたじっと眺めつつ、期待に添えたのか、と焦る。
ハンジのほうばかりに意識を奪われていたリヴァイは、最後の一滴を吐き出して落ち着いていたイチモツに何かが触れる感覚でハッと余韻から抜け出した。目線を下ろし、心底うんざりする。力の抜けた陰茎を束になった触手が飲み込み、例の粘液をまといながらざらざらとした表面を擦り付けていたのだ。その感触は先ほどまでの柔らかくて熱い肉に比べると天と地の差で、ハンジはこんなものに始終敏感な場所を弄られていたのかと可哀想になる。
「あ……」
刻一刻と体の芯を凍らせていくリヴァイの姿を見て、自分の世界に沈んでいたハンジもようやく戻ってきたらしい。跳ね上がるように体を起こし、触手に弄られる男根に視線を固定しながら口を開く。
「すごい、対象の形に合わせて形状を変えるのか! なんだか筒を被せられてるみたいだ。リヴァイ、気分はどう?」
「死っ……ぬほど気持ち悪ぃ……」
「お察しするけど、できればこう、もっと具体的に」
具体的もクソもあるかと罵倒しそうになったが、情事の名残を強く残したハンジの姿に触手への嫌悪が溶けて流れ出していく。状況が異質すぎるが、リヴァイの脚のあいだに熱視線を送るハンジは悪くない。単純な体に感謝しながら、感じるもの一つ一つを言葉に変えていく。
「意外と……熱いな」
「そうだね……この粘液、もしかしたら軽度の麻酔作用なんかがあるのかも」
「思っていたより、力が強い」
「そうなんだよ、二体も三体もまとめて来られると抵抗が難しくなる」
なるほど、と今さらながら得心した。匂いとは別に、体を抑え込んでこの粘液をぬたつかせながら無理やり肉体を高めるのが生物のやり方なのだろう。それでも人肌や粘膜とはまったく違う弾力と感触に、リヴァイ自身は「これに対して兆すことは絶対にない」と確信する。ハンジの中を堪能した今なら尚更だ。
「ねえ、あの、搾り取られる感じなの?」
「んなわけねぇだろ……あくまでお前の体液啜ってんだよコイツらは」
「そうなんだ」
生物にとってはリヴァイの体を高めるつもりもなく、限りなくどうでもいいのだろう。自然、リヴァイのコメントもどうでもいいものになってくる。
「表面がえらくざらついてるな。まあ、こういうのが好きな奴は喜ぶかもしれねぇが」
「え? 何で?」
「アソコがざらざらした女の感触に少し似てる」
「ふうん」と気の無い返事が帰ってくる。もう知りたいことはなくなったのだろうか。だったらリヴァイもそろそろ解放されたい。そう思ってまとわりつくものを追い払おうとしたところで、正面から伸びてきた手が触手の根元を掴み、乱雑な仕方でそれを引き剥がした。そのまま脇に放り投げられ、触手は勢いのまま肉塊の上にびたりと体を横たえる。最後まで不快な感触しか残さなかった奴だが、あんまりな扱いに呆気にとられた。よりによってハンジが突然そんなことをした理由もわからず、リヴァイは股座に顔を近づける頭を慌てて抑える。
「なんだ。どうした」
「リヴァイ。勃ってるよ」
「は?」
「〝死ぬほど気持ち悪い〟のに気持ちよかったの? なんで?」
声の鋭さに戸惑う。ハンジは『勃ってる』と表現したが、半勃ちにも満たないそれは餌を食っていただけの触手のせいではなく、目の前にいる女の姿や視線のせいだ。そんなことを正直に言えるはずもなく、間近でじっとりと見られることでますます血が流れていくのを感じたリヴァイは、乱れた頭を押し返して「離れろ」と遠ざけようとする。だがハンジは聞かない。ほとんど吐息が触れる距離で、どこか怒りを滲ませながら言う。
「まだ確かめたいことは終わってないんだ。挿入できる状態になってくれないと困るんだけど、私がしていい? するね」
「構わ、っ……ねぇが」
一応は了承の取り取られをこなしたものの、リヴァイが答える前にハンジはもうそこに吸いついていた。温かく濡れた器官が己を包むのに安堵を感じ、安堵はすぐに熱になる。自分から「する」と言いだしただけあって、ハンジの舌使いは一度目の時よりこなれていた。何かに気を取られているような態度は不可解だが、懸命に顔を動かしてリヴァイを喜ばせようとする姿を前にすると上手く思考が回らなくなってしまう。
体はまた繋がることを望んでいるのに、直接的な快感以上に胸が満たされて、もう少し、もう少し、と先延ばしも計る矛盾がおかしい。気を散らそうと視線を流した先で、ハンジのシャツの裾から覗く丸い尻が目に入る。頭の上下に合わせて動くそれは、夜の明かりを反射してうっすらと光っている、ように見える。
「……」
今ハンジを後ろから見たら、さぞや無防備で淫らな格好をしているのだろう。拙い想像ながら、下を直接舐められている最中なのもあって腹の底はますます熱を溜めていく。だが噴き上がりかけた欲望は、尻の陰から現れた触手にあっという間に下降した。そいつはゆっくりとハンジの背後で頭をもたげると、弾力のある肉に自身を埋めるように触手を這わせはじめた。
「んっ……」
ハンジは眉を顰めるが、抵抗はせずにリヴァイへ刺激を与え続ける。リヴァイが触手を追い払おうと手を伸ばしても舐めにくい姿勢を咎めるように睨みあげてくる。そうこうしているうちに、腹の下に入り込んだ一体がハンジの下半身を持ち上げ、尻を高く挙げた姿勢に変えた。後ろからの挿入を待っているような姿に、リヴァイの胸に満ちていた頼りない温かさは一瞬にしてどす黒い不快感に塗りつぶされてしまった。もうそろそろ一体くらいは切り刻んでもいいんじゃないか、と考えていると、視界をうろついていた細い触手たちがみちみちと粘液をこねながら一本にまとまり、最初に遭遇した時の太い一本に姿を変える。まさか、と思ったときには遅かった。丸く尖った先端が、おそらくはハンジの穴のある場所に狙いを定め、ずぶ、と突き上げる動きをした。
「んふぁっ!?」
ハンジが慌てて起き上がり、触手から逃れようと身をよじる。リヴァイはその腕を思いきり引き寄せ、ついでにハンジの尻にかじりつく触手の根元を力いっぱい蹴飛ばした。肉塊の上にどう、と倒れる姿を見るのは二度目だが、今度は「一生寝てろ」と唾を吐きたくなる。
「大丈夫か」
「うん……びっくりしたぁ……油断してたよ」
ごく短く「怪我は」と聞くと、心得たように「ないよ」と返ってくる。痛みなどもないらしい。だが苦痛を残さなかったとしても触れたという事実は残るのだと思うと、せっかく施された熱が指先からじわじわと冷えていくような気持ちになる。
「……ハンジ。ケツをこっちに向けろ」
「え?」
答えを待たず、ハンジを後ろに向かせて腰を掴み、リヴァイの体を跨がせる。そのまま背後に倒れると、顔の上にハンジの下半身を固定した。何をされるのか察したハンジが「駄目!」と手を伸ばしてくるが、リヴァイのほうが早かった。両手で眼前にある秘部を割り開き、舌でベロリとひと撫でする。
「ーーうわっ、あ、」
「お前のここはちっとも乾く気配がねぇな……さぞコイツらには美味そうに見えてんだろう」
「ん、や……視覚というより熱感知かも……あっ!」
美味そうに見えているのはリヴァイも一緒だ。つまりこれは餌の取り合いなわけだ。早速ゆらゆらと寄ってきた触手たちに見せつけるように、ぱっくりと赤く開いたそこに口づけ、出てくるものをじゅるじゅると啜る。舌を硬くして中に挿し入れると、きゅっ、とそこが締まり、抜き差しを繰り返すとぶるぶると尻が震えた。入口をくすぐられるのが好きなのだろう。
「っ」
夢中でそこを味わっていると、下腹部に違和感が走った。一瞬体が強張るが、何のことはない、ハンジがリヴァイの男根を口で可愛がりはじめただけだった。互いの性器を弄り合う行為に妙な興奮が止まらず、リヴァイは口を離して今度は指を二本潜り込ませた。
「んんっ……!」
含まれたまま呻かれると気分がいい。そのままぐちぐちと指を動かし、もはや慣れた調子で穴のあちこちに触れる。腹側の一点に優しく刺激を与え続けていると、指を包む全体がきゅーっ、と締まりはじめた。だがハンジは口内からリヴァイを抜かず、意地になったように頭を動かしている。
「ハンジ。一回指でイけよ」
「い、やら……いばひもいっへ……」
ようやく離れた口が、一緒に、と舌足らずに紡ぐ。弾かれたように体を起こしたリヴァイは、突然対象をなくして驚くハンジの腰を抑え、そのまま後ろから一気に挿入した。
「! う、ぁああんっ、は、ぁ」
「すまん。……イくならお前の中がいい」
謝罪ではなく宣言に等しい言葉を投げ、両手で尻を掴み、広げた穴に向かって体をぶつける。膝をつく肉塊が不安定で、リヴァイは片足を立ててハンジにのしかかった。
「んっやっ う、っうぅ、ん」
角度を変え、パチン、バチン、とわざと尻が鳴るように腰を打ち付ける。柔らかい丸みが徐々に赤くなっていく様を見て、なぜかハンジを突き上げた触手への恨みがようやく晴れていく。
「りば、ぁあ……も、イッてるから……なんかいも……」
夢中で打ち付けていると、ハンジがくぐもった声で訴えてきた。お前も早くイけ、という意味だろう。つい長引かせてしまったが、乞われるとおりに動きを早める。シャツがめくれて顕になった背中が過ぎた快感に引きつるのを見ながら、リヴァイは欲望を駆け上った。
「あ あ、あっ、ぁ ん、りば、なかで、だして……」
「ハンジっ……!」
一番奥にねじ込み、三度目の欲を待望した場所に吐き出す。射精の熱と痙攣に押し上げられたのかハンジもまた極めてしまったらしく、中で絞り取る動きが繰り返される。リヴァイはそれに抗うことなく、満足するまで揺すって白濁を出しきった。
肩で息をしつつ、ハンジを後ろ抱きにする形で寝そべる。下は繋がったままだ。自分で出したものが陰茎を汚す感覚は何とも言えない気持ち悪さだったが、ハンジの汗と体温に触れていると心地よい気怠さには及ばない。触手たちもぐちゃぐちゃの結合部にはなぜか寄ってこず、リヴァイは余韻にため息をついた。
「……んっ」
が、抱いた背中から聞こえてきた声に、頭はすぐさま醒めた。リヴァイが起き上がり、顔の見えないハンジの肩を掴んで振り向かせた。
「おまっ……」
いまだぼんやりと欲に溶けるハンジの口に、触手の一本が体を捻じ込ませていたのだ。おまけに、あろうことかハンジがそいつに舌を絡めていた。一瞬で沸点を超えたリヴァイは、ハンジの足を抱えなおし、今度は正常位で押し迫った。射精してから一度も抜いていない部分が、ぷちゅ、と精液を溢れさせる。
「っふう、ん」
「おいこらハンジ、てめぇ、そんなもん咥えるほどまだ飢えてんのか?」
「ちが、くて……あの、唾液が」
口から抜けそうになる触手を捕まえ、ハンジの唇に押しつけなおす。うねうねと動いて逃れようとする動きを間近で感じて気持ち悪いのか、両眼がすぐさま潤みだす。
「や、……リヴァイ……」
「どうした、咥えろよ」
「もお……違くてぇ……これ、苦いから、いや……」
子どものようにいやいやと首を振る姿に煽られ、中に埋まっていたものがまた硬くなりはじめた。
「苦い? 俺のだって苦かっただろう。なのに上でも下でも飲んだじゃねぇか」
「りばいのは……いいんだよ……」
どうやら用済みらしい触手を放り投げ、ハンジの両腕を掴んで、ず、と腰を突き上げる。喉を逸らしたハンジが高く啼いた。
「口寂しいなら、俺の指でも、くれてやろうか」
腹立たしさが消えず、どうしても責めるような抽送になってしまう。ハンジも辛そうに顔を歪めていたが、ふ、と目を開けてリヴァイを見る。口を小さく動かして何かを言っているが、声が出ないのか聞こえてこない。
「……なんだ?」
動きを止めて顔を近づけたリヴァイに、ハンジはようやく聞こえる声で言った。
「指より、……そっち」
背中に手が回り、優しく強く引き寄せられる。薄く開いたリヴァイの唇にハンジの同じものが重なって、柔らかい舌が重なった。
確かに苦い、と感じたことを最後に、その夜の記憶はそこで途切れた。
[#改段]
目が覚めたとき、そこに気絶の余韻はなかった。頭の中は冬の朝より鋭く澄みわたり、遥か天上にある星の一粒一粒も、網膜にはっきりと瞬きを落としている。
リヴァイは音もなく起き上がり、眼前に川を認めて、左から右へと流れていく空気を見つめた。空を見上げ、朝に追われる夜を見た。
それから視線を動かさぬまま、両手をゆっくりと動かす。大小さまざまの小石をゆっくりと辿り、自分の体の隣を不器用に、祈るような気持ちでまさぐる。右手の指先が、中身を持つ布に触れた。
「はんじ」
囁いて、捕まえる。掴んだものに温度を探す。確かな熱を感じたリヴァイは、そこでようやく手元に目を移した。
「ハンジ」
意識を失ってはいるものの、ハンジは呼吸も体温も正常な状態でそこに横たわっていた。安堵に全身の力を抜くが、その身体がシャツ以外の何も纏っていないことに気づいて息を詰める。他の衣服はまとめて体の下にあった。ハンジがそうなら、と自分を見下ろしてみれば当然のように様相はグシャグシャで、下衣は特に、色濃い染みの痕が至るところに飛び散っている。
「オイ……起きろ」
考えるべきことはまずハンジに考えさせよう。混乱する思考でかろうじてそこにたどり着き、いまだ寝息を立てる体を揺する。無反応に痺れを切らし、耳元に口を近づけて「ハンジ」と低く囁くと、ようやくその肩が覚醒に震えた。
「……ん」
うっすらと持ち上がった瞼が、ぱちぱち、と瞬いて、重たそうな睫毛がようやくはっきりと上下に分かれる。そうしてハンジは頭をぐらぐらと揺らしながら、億劫そうに起き上がった。
自分から求めておいて第一声に何を言われるだろうと思っていたが、ハンジは数秒ぼんやりとした後、盛大に顔を顰めて「体が痛い」と呟いた。
「あれ、なんでこんなところで寝てるんだ……ここってあの川?」
「……ああ」
言われて初めて、記憶の中の景色と眼前のそれが重なる。昨晩ハンジと二人で訪れ、すべてが始まるきっかけになった川原だった。
「いま何時? え、あの生物は?」
リヴァイと同じ動きで周りを見渡したハンジは、呆然としながら口走った。気持ちはわからないでもないが、せめて自分の姿を確認してから言ってくれ、と思う。
「とりあえず、……服を着ろ」
「服……うわっ! 裸!」
赤くなっていく肌から、リヴァイはそっと目を逸らした。
身支度を整えるあいだ、あれほどやかましかったハンジがじっと黙っていたせいで、リヴァイはかえって落ち着かない気持ちを味わうことになった。とは言っても、服を着ようと立ち上がったハンジの内腿をつるりと滑り落ちてきたもの――昨晩リヴァイが出しまくったものが原因なので、あれこれと話しかけることができなかったのだが。
川で身を清め、ついでに服の汚れも洗い流し、濡れ鼠になりながら足早にその場を後にする。木と木のあいだに足を踏み入れた瞬間、そこが昨日の深い森とは違うことはすぐにわかった。頭上に被さる木々は薄く、細い幹が立ち並んだ数メートル向こうには、昨晩と違って広大なマリアの平野と、ポツポツと影を作る野営地が見える。空と同様に、目線の先はまだ朝を迎えていなかった。
「戻ってこれた、んだね……」
「ああ……そうだな」
どこか夢心地で頷き合い、歩き出す。
「夢、だったのかなぁ。体に痕はいっぱい残ってるけど」
「むしろ夢だと思う根拠があるのか?」
「これ」
ハンジがズボンのポケットを裏返し、空の中身を見せてくる。
「昨日さぁ、見たことのない植物をひととおり採取してポケットに入れてたんだよ。でも全部なくなってるんだ」
リヴァイは立ち止まってブーツの裏を見た。溝に詰まった土や草はさっきまでいた川原やこの林由来のもので、森を歩いていた時のじっとりと柔らかい植物の形跡はない。昨晩森の中で見た、壁のようなものを思い出す。
「……伝説の森」
同時に呟き、顔を見合わせる。ハンジが困ったように笑った。
「参ったね。私とリヴァイは確かに不思議な森で不思議な生物に出会ったのに、残った事実は二人で散々性行為をしたってことだけなんだから」
沈んだ声に、心臓が締めつけられる。ハンジはあくまであの生物のことを知るためにリヴァイと交わったのに、それが生物のいた森ごと消えてなくなってしまったというのだから、むしろ消沈の度合いとしては軽すぎるくらいだろう。――いや、違う。本当の気がかりはそこじゃない。
「後悔しているか?」
思いきって問うと、何を、と示さずともハンジは理解したらしい。頭を掻きながら口籠る。
「それは……むしろ、私が聞きたいんだけど」
「あの匂いに煽られてただけだ……と、言い訳もできるが」
なんて言い方だ、と頭を抱えたくなった。これではまるで、リヴァイのほうは言い訳にしたくないと喚いているようなものだ。
「匂いって、生物の出してた甘いやつのこと?」
しかしハンジが食いついたのは肝心の部分ではなかった。他人の機微は察せられるのに、気になることがあるとそれを優先させてしまうのがこの人間だ。半ば自棄になりつつ「そうだあのインラン香だ」と答えると、ハンジはぎゅっと口を閉じた後、何かを決意するようにリヴァイを見た。
「あの匂いにあったのはあくまで誘引効果だよ。催淫効果ではなく」
「……? どういう意味だ?」
「獲物を引き寄せるだけで、別にいやらしい気持ちにさせる効果はないってこと。少なくとも、私の体の反応にあの匂いは関係ないよ」
「は?」
何を言われているのか、すぐには理解ができなかった。動きの止まったリヴァイを置いて、ハンジが大袈裟な身振りで話を続ける。
「いやしかし興味深い生物だったね! 検証の結果、彼らは唾液や精液に反応を示さず膣内分泌液だけに顕著な食欲を見せた。推測するに、弱酸性の栄養素を補うための行為だったのかなと思うんだ。変なところで植物らしいね」
叩き込まれるように重ねられ、ますます頭が混乱した。だが今述べられたことには覚えがある。ハンジがリヴァイの精液を腹に出させて観察していたのも、触手の一部を口に含んでいたのも、それらを確かめるためのものだったらしい。結果、『女の体液だけを食う生き物』が証明されたことになる。
「ちょっと待て、じゃあ何か……アイツらは最初から、お前だけを」
「だから、後悔してる? って聞きたいんだよ」
巻き込まれたのは君のほうなんだ、とハンジが囁いた。リヴァイは完全に足を止めた。情報の渋滞で進むどころではなくなってしまった。
「早く行かないと、みんな起きちゃうよ」
「うるせぇ」
「償いならなんでもするし、何にもいらないからさ……」
「黙れと言っている」
昨晩の一つ一つを、思い出せる限りで思い出す。努力する必要はない。ハンジのいる場面はいちいち抱く感情が多かったせいで、すぐさま眼裏に引き出せるからだ。そういうわけで、まず最初の疑問がすぐに浮かぶ。
「俺は確かお前に、『自分の体に何が起こってるのか』と聞いたはずだが……お前あの時、触ったら泣くくらい反応して」
「だっ……から言うなって! 知らないよ勝手にそうなったんだから! 私が好き勝手されるところをリヴァイがじっと見てたからだろ! そうだよそのせいだ!」
『言うな』と言いつつ、とんでもないことを言っている自身にハンジは気づいているのだろうか。気づいていないのだろう。リヴァイの視線に晒されて高められました、などと明け透け以外の何物でもない発言だ。それがなければ、きっと「検証のために君を利用したんだよ」と逃れることもできただろうに。
「そうだよ、君が変な目で見るから、私は……あんな」
その上、さらに自分で自分の檻を狭めるようなことをする。頬を染めて俯くハンジの唇が、昨晩最後に囁いた言葉も、施したことも、全部覚えている。それがすべて〝リヴァイのせい〟だと言うのなら、あとはもう委ねられたリヴァイ次第ということになる。
――〝後悔しているか?〟
「……俺は」
もう一度、兆したタイミングを思い返す。森を歩いていた時にはもう、二人してもう甘い匂いを嗅いでいた。だが体がなんらかの反応を見せることはなかった。そして生物の粘液に触れる随分前に、リヴァイのそこは勃ち上がっていた。ハンジの痴態を見て。
つまり。互いの興奮を突き合わせて、合意を取り合って、交わったと、そういうことだ。
リヴァイなりになんとか結論を出し、なかなかこちらを見ようとしない女に向かって「ハンジ」と名を呼ぶ。横顔だけでちらりと視線をよこす態度に焦れて、逸る気持ちで伝えた。
「俺たちは、互いに望んで、少し変わった嗜好のセックスを楽しんだってことだな?」
返ってきたのは沈黙だった。ただし、悪い意味ではなさそうだった。少しだけ落ち着きを取り戻した様子のハンジが、「そういう見方もあるのか……盲点だったよ」と返すのを聞きながら、リヴァイはもう、だったら、と次のことを考え始める。
「……まあ、結局こうやって森の消滅でわからないままになっちゃったし。何か性的な興奮を強いられる別の要因があったのかもしれない。だから、」
「兵舎に帰って検証するしかねぇな」
「そう、もう一回……ん?」
物分かりよく頷いていたハンジが、違和に気づいて振り返る。リヴァイは不意を突かれた様子の顔に向かって、飄々と言ってのけた。
「お前といると、これからも夜の過ごし方に困らなさそうだ」
昨晩の出来事が夢か幻か、本物かはわからない。わからないが、今朝のリヴァイのその文句は出来心でもなんでもなかった。小さなきっかけで追いかけた背を、明日の先も隣に置いておく。そのための言葉だった。
渾身のつもりで伝えた台詞は、しかし何かを勘違いしたハンジに「このスケベオヤジ」と真っ赤な顔で一蹴された。
リヴァイを置いて大股で進みはじめる姿を見ながら、「コイツは何と言って口説けば効果的なのか」と考えを巡らせつつ、リヴァイは朝日とその背中を追って、ゆっくりと歩き出したのだった。
〈了〉
(初出 19/12/22)