彼女の愛は彼しか知らない
彼女の愛は彼しか知らない
彼がくれる痛みを、どうして愛さずにいられるというのだろう。
リヴァイの手が自身以外の他所に与えるのは、いつも『終わり』だった。
しなる刃が皮膚に食い込んだら、巨人は空気に溶けて消えた。
力強い指が震える手を掴んだら、兵士は幸福に息を引き取った。
拳を振るえば、揉めごとはなくなった。
箒を握れば、塵は消し飛んだ。
リヴァイの手は何も残さなかった。残って汚すものを許さなかった。
残すとすれば自分の中にだけで、それを周りに分け与えることは一度もなかったのだ。
──パチッ
「っ……!」
熱い掌が尻たぶを弾き、その衝撃ごと皮膚に食い込んだ瞬間、ハンジは歓喜に貫かれた。
向かい合って抱いていたリヴァイ汗に濡れた黒髪を掻きまわし、彼の脳に直接自分の快感を伝えるかのように、つむじの付近で荒い息を吐く。
「っぐ……」
ぎゅう、と狭まって震える胎内で、リヴァイの男根がその窮屈さに身じろいだ。
彼はハンジについていかず、解放を先延ばしにしたらしい。肉体を走る拷問めいた劣情を誤魔化すためか、今しがた叩いたばかりの肉をこねまわしている。
その手指の感触さえ、ハンジの奥を轟かせた。
「だめっ……リヴァ、わたし イっ……」
「……辛いか?」
胸のあいだから問われ、ハンジは虚ろな目でリヴァイを見下ろした。
いつのまに吸い付かれたのか、乳房の山の至るところに月明かりでもわかるほどの鬱血が散らばっている。
覚束ない思考が異様な光景に引っ張られて、ひとつ、ふたつ、とそれらを数え始めると、リヴァイが乳首を唇で噛んだ。神経を直接刺激されるような軽い痛みに、ハンジの意識は引き戻される。
「あう、やだ……」
「ほら、ハンジ……こっちむけ。次はどうやってイきたいんだ?」
腰を掴まれ、ゆるりと回される。それは「優しく連れていってやる」という意思の表れだった。
どうしても力の入らない腕を動かし、ハンジはリヴァイの額に張りつく髪をゆっくりと避けた。
肌を濡らすリヴァイなど、この世に生きる大勢は雨に降られた時くらいしか見ることができない。
ハンジだけが、まったきリヴァイから染み出したものを、その湿潤を感じることができるのだ。
「うしろ」
目を瞑って、囁く。
それでも、リヴァイが眉をひそめるのがわかった。
「うしろから、してよ。好きに、叩いていいから……」
「──わかった」
ずる、と退いていく熱がハンジの中に快感しか残さなくなったのは、身体を重ねて何度目の時からだっただろう。
少ない経験を時間の彼方に置き去っていたハンジは、初めの頃こそ、リヴァイの侵入に痛みを覚えて泣いた。
痛みが心地よくて泣いたのだ。
くたりと寝かされた身体をどうにかうつ伏せにして、のろのろと膝をつく。焦らしているつもりがないのはリヴァイもわかっているのだろう。彼は急かすことをしなかった。
しかし、手伝うこともしなかった。
戸惑いを消せないまま、ハンジの背後で沈黙していた。
「……きて。リヴァイ」
尻を高々と掲げ、片腕を伸ばし、自らめちゃくちゃに濡れた穴を拡げてみせる。
どうすればリヴァイの理性が焼き切れるのか、ハンジにはわからなかった。
この関係の初まりさえ、ハンジが乞わなければ始まることもなかっただろうと思っていた。
彼はきっと自分の中になにがしかをしまい込んで、それで終わらせていたのだろう、と。
そういう確信があった。
「……入るぞ」
「ん……」
ひどく淫らな音を立てて、性器同士が触れ合う。ゆっくりと入り込んでくる熱に、姿勢を保つために伸び縮みする筋肉に、ハンジの脳は勘違いをしてしまう。
勝手に期待するのだ──リヴァイが与える痛みを。
「……ハンジっ」
「ああっ」
左右の腸骨を両手でそれぞれに包むと、リヴァイはいきなり腰を打ち付け始めた。
ねばつく体液をあいだにして二人の皮膚がぶつかり、男根が膣の奥に入り込むたびに、ぱちゅ、ぱち、と音を立てる。
その音群れのなかに乱れた吐息を見つけると、ハンジの体は打たれたように喜んだ。
普段は足元さえ抜けてずっとずっと下に埋まっているリヴァイの雄が、埋めているリヴァイ自身によって慎重に掘り起こされていっているのだ。
背筋が震える。
どこもかしこも熱い。
けれど、足りない。
ハンジは、あちこち温度を上げる馬鹿な身体に教えて欲しかった。リヴァイが与えるものの確かさを刻んで欲しかった。
彼の掌で、痛みの形で。
「リヴァ、……たたい、て……」
「っ!」
兵服を纏うハンジには、あんなに与えてくれていたじゃないか。
責める色さえ乗せて乞うと、背後の動きがますます強くなる。ふ、ふ、と声の混じる息が聞こえ、リヴァイが歯を噛み締めているのがわかった。なにも我慢することなどないのに。
「……おねがい」
──バチッ!
囁くのと同時に、リヴァイの掌がハンジの尻を打っていた。触れ合った刹那に生まれた痛みがハンジの身体を駆け抜ける。
「ああぁっ!」
ハンジは喉で啼いた。掠れてなお高いその声に、リヴァイがまた手を振るう。
──バチン バシッッ
「ふぅ、う、 ん、リヴァイ、」
「ああ……クソッ」
打たれれば打たれるだけ、ハンジの中は悦んで締まった。リヴァイの都合も知らず、求めるだけ食い締めた。
表面で弾けて、骨に達する時にはもう次の痛みがやってくる。その攻めに喘ぐ。口端から声とともに唾液が溢れる。
好き勝手に轟く隘路を何度も何度も開きながら、リヴァイの喉もぜいぜいと鳴った。
「ハンジ……ハンジ、」
聞こえてるよ、と返事をしたかったのに、その願いは音になる前に嬌声になって消えてしまった。
ハンジの顔が見えないままに尻を打つ時、リヴァイは必ず、確かめるようにハンジの名前を呼ぶのだ。
自分が痛めつけているのはハンジなのだと誰かに主張するように。
(大丈夫、なんだけど、な)
リヴァイが抱える懸念に、ハンジは気づいていた。
きっかけがどうであれ、躾としてハンジに触れることしか自分に許さなかった男だ。
女は、ハンジは、リヴァイが満足するための都合のいい道具などではない。
彼はその言葉を、重たく、何重にも自分に課しているのだ。
「ぐっ……!」
リヴァイが呻いて、ハンジの尻を勢いよく掴んで腰を引いた。加減を忘れた掌に肌を打ち据えられ、突然の大きな痛みがハンジを最後まで突き上げる。
「ひっ、──!」
「っ」
シーツに倒れた下半身に向かって熱い粘液が飛ぶ。ハンジにはもう顔を上げる気力もなかった。目を閉じながら、ぶるぶると震える脚や、ジン、と痺れる臀部に、今まさに注がれているリヴァイの白濁を想像する。
じきに正気を取り戻した彼の手が、ハンジの上の残滓を取り除くだろう。跡形もなく。
呼吸も心拍数も正常に戻って、シーツによった皺は包んで、隠されて、洗浄される。彼の手によって。
ハンジがなにも知らなかったなら、きっと、無に還るリヴァイとの情交をなんとも思わなかっただろう。
終わりがいつだって彼に施されることさえ、気づかなかっただろう。
「……リヴァイ」
ハンジが呼ぶと、息を荒げたままのリヴァイが顔を近づけてきた。口を開ければ舌が潜り込んでくる。唾液と吐息をかき混ぜながら、灰色の正円は溶けきったハンジの瞳を熱心に見つめ続けた。
離れる時に頬を撫でた手は、二人だけの夜の終わりを示していた。
「おや、折檻されている」
斜め後ろでモブリットが挙げた声に、ハンジは視線だけでその対象を探した。大通りを並ぶ商店の脇で、女性の膝に乗せられた子どもが尻を打たれている。
泣きながら謝っているところをよく聴くと、どうやら母子のようだった。
「俺も子供の頃は、随分とあれをやられたなぁ」
「ええ? 君も?」
「意外と悪童だったんですよ」
ふ、と笑んだ口元に反して、彼の顔は幼き日の痛みを思い出しているのか微かに歪んでいる。
恥じらいとも、懐かしさともとれる温かさを湛えて。
「"君も"、ということは、ハンジさんもですね?」
「……まぁね。鮮明に覚えてるよ」
まだ残っているからね、"ここ"に。
口の中だけで呟いて、ハンジは笑った。
断ち切ることしかできない男の手が、この世で唯一、ハンジの体の上で生み、ハンジの体にのみ残しつづけるもの。
それを愛と言わないのなら、ハンジは愛について何も知らないことになる。そう断言できた。
ハンジはリヴァイの愛しか知らなかった。彼の愛し方しか知らなかった。
何も知らない彼が、早くそれをわかってくれますように。
痛みを伴うほどに、ハンジはそう願っているのだ。
〈了〉
(初出 18/03/29)
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