少年の熱夢、少女の花夢
夢を見る少年少女の話
少年の熱夢、少女の花夢
夢を見る少年少女の話
両腕を伸ばしても足りないほど幅広い窓から、群青の肌に真白の帽子を被った大山を臨む。
勢いよく末に広がるその姿は、まさしく富士山。
リヴァイは窓の前に佇みながら、日本一の山を縁取るその輪郭がなぜか妙に太く、遠目にも山の表面がのっぺりしていることに首を傾げた。
ふいに、視界を鋭く横切る黒い影。
鷹だ。と思いながらその影を追ったところ、丸くて大きな目に半開きの黄色い嘴、箒のような羽根をバタバタと動かして旋回するアホみたいな鳥を見とめ、
(──なんだ夢か)
リヴァイは脱力した。
少年の熱夢
一月一日、正月だろうが世紀末だろうが決まった時間に布団に入るリヴァイは、その夜も九時きっかりに目を閉じた。
そして気がついたらここにいた。
目線を落とした足下が艶々と輝く畳であることに気付き、ぐるりと周りを見渡す。そこは寮の自室よりもいくらか広い豪奢な造りの和室だった。
豪奢とは言っても、天井には一面朱の布が貼ってあって落ち着かないし、欄間の模様はモジャモジャと意味のない毛の塊のようだし、窓以外の三面を占める煌びやかな襖の絵は、松梅桜に菖蒲、桐、紅葉に……花札の柄だろうか? とにかくセンスの感じられないもので、埃一つ落ちていない清潔さだけが救いだった。
こんな夢、過去に一度も見たことがない。いつもはもっと現実に即した夢だ。
夢の中で「これが夢だ」と気づくことは何度かあったが、今日の場合、場所はどこだかわからないし、なんとなく己の美術的センスが突きつけられる舞台だし、ここから何が起こるかもさっぱりわからないし、リヴァイは「気づいたところで何になるのか」という思いだった。
突然、右手の襖の向こうから騒がしい音が聞こえてきた。耳を澄ますと、笛や太鼓、呂律の回らない歌、要領を得ない合いの手、ドタドタと響く足音、怒声の融合だとわかった。
(うるせえ)
夢の中で自身を苛むだと?
リヴァイは腹立ちまぎれに襖に近づき、スパン! と音がする強さでそれを開け放った。
──地獄絵図だった。
リヴァイの二、三倍はあろうかという大きさの巨人が身体をくねらせながら笛を吹き、そいつより少しだけ小さい別の巨人がひきりなしに和太鼓を叩き、また別の巨人が扇子を振り回しながら解読不明な言語で歌をうたっている。
そして一番目を引くのが、首を曲げてどうにか部屋に収まった様子の十メートル級巨人だった。そいつは口にデカイ煙草を咥えながら、ニタニタ笑いで畳の上で手を泳がせている。
巨人だけなら「まあ、意味がわからなくてもしょうがないだろう」と割り切れたのだが、巨人らに囲まれて男が一人、ネクタイのようなもので目隠しをしながら、巨人が遊ばせる手を必死に追いかけていた。
「待て! 待たんかこのッ!」
ここでリヴァイは襖を閉めた。
珍しく全身からどっと汗が吹き出す。意味がわからなかったからだ。
わからないなりに心地の良いものならまだしも、よくもあれだけ不快なものを揃えたものだ。不快のおせち料理だ。
しかし、手を追いかけていた男。目を隠しているので正確にはわからないがどこかで会ったことがある。あの声、あの台詞、そしてあのつるっと毛のない頭。目隠ししたハゲ……。
そこで、ふ、と別の思いつきが頭に浮かぶ。
富士山、鷹、煙草に扇子、剃髪した盲人…座頭か。
初夢で見ると縁起のいいとされているものばかりではないか。まさかそれらを揃えるために、リヴァイは自分で自分を意味不明な夢に放り込んだというのか。縁起を担ぐようなタチでもなかっただろうに、新年からヤキがまわっている。
リヴァイはため息をつきながらエセ富士を眺めた。
一富士、二鷹、三茄子、四扇、五煙草、六座頭…。
(? 茄子は……?)
リヴァイが『欠け』に思い当たった時、トチ狂った宴会会場とは反対側の襖がスルスルと開いた。
はっ、と目をやった先に思いがけない人物がいた。
「ハンジ……!?」
そこにいたのは、リヴァイの隣人の女子中学生、ハンジ・ゾエだった。ハンジは正座で三つ指などをついて、リヴァイにむかってこうべを垂れている。
顔が見えなくとも、その後ろでくくったボサボサ頭と下を向いていることで垂れ下がる形になったダサい眼鏡ですぐにわかる。
ハンジがよく着ている半纏が黄色地に毒々しい紫の茄子が散る柄のものに変わっていて、「お前が茄子かよ」とリヴァイは呆れた。
「おいハンジ、お前何やって……」
よりによって、ハンジが夢に出てきた。嫌な予感がする。
悪寒にリヴァイが身震いした次の瞬間、先程まで襖の外側にいたハンジが、いつの間にかリヴァイの目前に迫っていた。
「……っ!?」
「リヴァイ」
正面から対峙することになったその顔は、見たことがないほど真剣味を帯びていた。磨いた林檎のように赤く上気した頬に、眼鏡のフレームの影が薄っすらと落ちている。濃い蜂蜜のような色の目ん玉には、呆気にとられたリヴァイが囚われていた。
リヴァイは、ポカンと口を半開きにし、突然間近に迫ったハンジに動きを止めていた。
ハンジは出会ってから一年にも満たない期間の中でリヴァイと一番親しくしていた少女ではあるが、それでもこんなに距離を詰めたことはなかった。
薄く開いた唇から漏れた息が、リヴァイの顔をわずかに温める。
ドクリ。強靭な心臓が、蹴り上げられたように跳ねた。
リヴァイが動揺する間に、ハンジの丸々と見開いていた目は瞼を半分下ろし、その視線は熱を持ってトロリとしたものに変わっていく。
(こいつ……睫毛ながいな……)
「ねえ、リヴァイ。抱きしめていい……?」
「──は!?」
一般的な少女にしては低めなハンジの声が、砂糖をまとったような甘さで惚けていたリヴァイの頭をガツンと殴った。
「な、に言ってんだ、お前」
「いやかな……? じゃあ触るだけは……?」
すい、と二人のあいだに現れた指が、リヴァイのセーターに埋まる。冬服の何層もの厚さを通じてもどかしく伝わってきた感触に、リヴァイの背を駆け上がるものがあった。
「ばっ……やめろ!」
「やっぱり嫌? 気持ち悪い……?」
「気持ち悪いとか、そういう話じゃなくて、」
「そういう話じゃないなら、触ってもいいかな……? 触りたいんだ、わたし、」
──リヴァイに。
熱のこもった囁きが耳から脳に侵食し、グルグルとリヴァイの身体の中で回りだす。熱の渦の中心ではリヴァイの心臓が制御できないほど暴れていて、翻弄されているうちにハンジによって畳に押し倒されていた。
背景の朱色と、紫と黄色の仰天な色が覆いかぶさるハンジを縁取っている。視覚の暴力すぎてもういっそリヴァイにはハンジ以外目に入らなくなるレベルだった。
両脚を跨る形で拘束され、リヴァイは咄嗟にハンジの肩を掴んだ。が、驚くほど抑止にならない。むしろ万が一にも離れていく可能性を潰したがっているように見える。
ハンジは片手をリヴァイの顔の横に着くと、もう片方の手でリヴァイの耳を撫で始めた。
何かが体の芯を這うような感覚が、耳から広がっていく。
「は、ハンジ……ダメだ」
「どうして……?」
「どう、って……こ、校則に違反……!」
とっさに出るのが校則かよ、とは自分でも思うリヴァイだが、止められるなら何でもいい。
「ふうん、校則違反になるような触り方があるんだ……?」
リヴァイの顔がカッと熱くなる。自分の浅ましい欲望を言い当てられた気がした。
いや、事実そうだった。
「どんな触り方? 教えて? しないようにするから」
「なっ、できるわけないだろ!」
「じゃあ、私が触るから、ダメかダメじゃないかで教えてね?」
ハンジがリヴァイの言葉など聞きもしないのはいつものことだが、今日はその小さな手指すらも聞きわけがない。
リヴァイの胸の上で、人差し指が意味のない文字を書き、ハンジの意思を伝えてくる。そのうち指は三本になり、掌全体になった。
ハンジの手は鈍感で、リヴァイの胸で尖る"そこ"を微かに撫でると、またそっけなく離れていく。
「そっ……」
「うん? ここ?」
「っやめ、」
「ダメ……? ダメなら触らないから」
「……」
「リヴァイ、リヴァイ……ダメ? イヤ? 気持ち悪い? お願い、教えて……」
言えるわけない。
リヴァイの本音なんて。容赦なくあちこちを動く手に唇を噛みながら、リヴァイは「もっと触れてくれ」という声を必死に耐える。ハンジ相手に仕舞い込むのが慣れきっているはずのリヴァイの本心を、今日はハンジ自身が「聞きたい」とねだってくる。
他でもない、ハンジが願っている。
ハンジの指す『ダメ』が、『校則だから』から『リヴァイにとって』にすり変わっていることに気付けないほど、というかそもそもこれが夢であることを忘れるほど、リヴァイの頭は過去最高に茹だっていた。
脇腹やへそ周りをさする手は慎重で、それゆえ切実さを伝えてくる。リヴァイはその手が残す快感に身を投げ出したくてしょうがない。
だって、あのハンジが。
人のことを財布としか思ってなさそうなハンジが、数分だってリヴァイの前で落ち着いていないハンジが、たまに世話を焼いてやったってそんなこと少しも覚えていないハンジが、リヴァイを見つめながら、リヴァイに触れたいと言っているのだ。
「リヴァイ……ダメかどうか教えて。どこでもいいから、あなたに触りたい」
「く、ぅっ」
言いながら、ハンジがリヴァイのスラックス越しに太腿を引っ掻かいた。両脚が跳ねるのを抑えられない。
「下も……触っていい?」
「……!」
これにも沈黙で返したリヴァイを、ハンジは悲しそうな目で見下ろした。
「……リヴァイ、あなたは優しいから、わたしのことが嫌でも嫌って言わないのかな。優しいから、できる力があるのに私を押し退けないの?」
「!? ちがう……!」
「じゃあ、嫌じゃない? 触られようがどうでもいい?」
「ど、どうでもいいわけじゃ」
「じゃあ……好き……?」
ゴクリ。
上下した喉の音が答えのようなものだった。目をそらすリヴァイに、ハンジは微笑んで上体を起こす。
「もういいよ、リヴァイ。大丈夫。それだけで十分」
「ハンジ……!?」
聞きようによっては突き放すような言葉に慌てるリヴァイの唇を、ハンジは指先でそっと抑える。閉じられたそこから離した指の腹で、今度は自分の唇をゆっくり撫でた。
「じっとしててね。手以外でも触ってあげる」
(手、以外……)
少年の妄想が羽ばたくより先に、細い肩を半纏が滑り落ちた。襟のよれたトレーナーから覗く、未熟で悩ましい鎖骨。ハンジは腰で留まった半纏を掴み、二人の視界の外に投げ捨てた。
そしてゆっくりと、その瞳を唇を、リヴァイへと落としてくる。
(ああ……『茄子』は俺の足の間のかもしれない……)
沸騰しすぎた頭で年始初のクソ下らないことを考えるリヴァイに、ハンジが嬉しそうに言った。
「リヴァイは悪くないからね。わたしが触りたいって迫ったんだから」
「え……」
「あなたは優しいから、わたしにヒドイことしたくないんだもんね。何もしなくていいから、ね」
「……ハンジ」
「リヴァイはなんにも悪くないよ……わたしが悪いんだ」
(違う)
どっちが悪いとかじゃない。リヴァイとハンジの二人でしかできないことは、二人の意思のものだ。この先に行くなら、そこにはリヴァイの願いも確かにあるのだ。
言わなければ。
ハンジを止めるために動かした手が、いざその腕に触れた時、
スパアァン!
空気を切り裂く音とともに、二人の頭の上に空間が開いた。
──あの、狂宴の間の、である。
「何をしている貴様らッ……!」
そしてリヴァイは思い出した。
ハンジの思考を奪うという意味で、リヴァイが勝てない存在のことを。
「キっ、キース先生!」
キース・シャーディス。
リヴァイとハンジの学校で教師をしている人物だ。ハンジがうろたえ始めたのを見てリヴァイは思わず歯噛みした。入学早々、実験で制服を燃やすというとんでも行動を起こしたハンジを、真正面から頭突きで叱り飛ばしたのがこの教師である。
それ以来、ハンジの奇行をきちんと捕まえて制裁するキースに対し、なぜかハンジは尊敬ともいえる眼差しを向けている節があった。
「ゾエ! アッカーマン! 何をしていると聞いているのだ!」
「あ、いや、違うんです! えーっと、対人格闘を!」
じわじわとリヴァイ以外の男せいで首までピンクに染まるハンジに、リヴァイはブチ切れそうになる。
「……ただ触ってただけだが」
「リヴァイ!?」
「なんだと?」
夢を抜ければ学校では比較的品行方正なリヴァイだが、夢の中なので軽率に噛み付いた。
「校則で『触ってはいけません』って禁止してるのか。されてないなら問題ないだろ」
「ぬっ……!?」
少年の一大決心を邪魔した罪は重い。おろおろするハンジの腕をぎゅっと握ると、ハンジは驚いた様子でリヴァイを見た。
(そうだ、お前は俺を見てろ)
リヴァイは意識して眼光を鋭くしキースを睨みつけた。寝たままなので威力はないが。
(だいたいなんだ。よく考えればコイツさっき目隠しして追いかけっこに夢中になってたじゃないか。いつかのケニーみてえなことしてやがって、胸糞悪りぃ。座頭ってお前かよふざけんな)
肥え太った個人的な怒りがリヴァイの身体を震わせていると、キースはふむ、と頷きながら言った。
「確かに校則違反ではないな! イッてよし!」
まだイかないし、行くのはお前だ。そう叫びそうになるのを抑え、キースが踵を返すのを待つ。が、リヴァイの願いは聞き入れられなかった。
二人に背を向けたキースが突然、横目で"ソレ"を見つけて大声をあげたからだ。
「ハンジ・ゾエッ!」
「は、はいぃ!」
「その半纏の"ほつれ"は何だァ!?」
「えっ!?」
「はっ?」
ほつれ?
二人が同時に目を向けた先で、ハンジが勢いよく投げ捨てた半纏が重たく横たわっていた。よくよく目を凝らせば、確かに袖部分の縫い目から糸が飛び出ている。
「校則にあるだろうがっ! 学生は常に身なりを整え、中学生らしい格好をしていること!」
言いきるや否や、リヴァイに跨っていたハンジの頭を、キースがむんずと掴んだ。──そして止める間もなく、脳天に頭突き一発。
ゴチン!
「ぴえええ痛いいぃ!」
「当たり前だ! お前という奴はいつもいつも…! 罰として室内五十周ッ!」
悶絶するハンジが浴びた言葉に焦ったのはリヴァイだ。めちゃくちゃな理不尽に付き合わされては堪らない。
すわ逃げるかとハンジを見ると、
「えっ……巨人……っ!?」
キラキラとした目で、キースの背後に熱視線を送っていた。その向こうにいるのは、宴の参加者。すなわち、イかれた和風バンドの巨人たちである。
リヴァイは再び思い出した。
ハンジが夢中になるものという意味で、リヴァイが勝てない存在を。
「五十周したら、彼らとお話ししてもいいですか!?」
「!? 待て! ハンジっ!」
頭突きのダメージなど雲散したか、ハンジはリヴァイの元からバッと立ち上がると、振り返らずに駆け出した。
伸ばした手は届かない。
たった数枚の畳の距離のはずなのに、キースや巨人たちのいる部屋が急激に小さくなった。リヴァイ以外の全て…ハンジの背中も含めて、全てが遠ざかっていく。
「なっ……!」
そしてリヴァイは闇に落ちた。底の無い暗闇をひたすら落下していく。
(せめて……)
せめて本音で向き合えていれば、あるいはその視線を、もう少し独占できたかもしれないのに。
痛みのない衝撃をうけて、リヴァイは目を閉じた。
**
覚醒後のリヴァイの混乱はしばらく治らなかった。汗びっしょりで目覚め、被っていた布団をいそいそと四つ折りにし、また広げる。勢いよく部屋を横切って流しに行き、蛇口をひねってまた閉める。
(落ち着け……落ち着け)
ひどい夢だった。本当にひどい夢だった。
なんでもない日に見るのでも相当のダメージを食らう類なのに、初夢、新年最初に見た夢である。やってられない。無理矢理にでもいいほうに考えないとリヴァイは憤死しそうであった。
コップに水を入れて一気飲みをし、汗やら何やらが冷えていく身体を放って、考える。
まず、"縁起の良い物"が出てきた。しかもフルコンプだ。これはいい。幸先バッチリだ。
次に、キースと巨人どもだ。目下リヴァイにとってちょっと邪魔だな……レベルの認識だった彼らがあんな役回りで出てくるとは。知らず憎しみを貯めていたのかもしれない。敗因は、ほつれだ。アレさえなければ、もしかしたらリヴァイは夢のハンジ相手でも決意の言葉を言えたかもしれないのに。
ほつれ。ハンジの衣服のほつれ。ハンジの身なり、ひいては生活態度自体について気をつけるべきだ、という暗示か。
リヴァイの潜在的オカンの炎に、また薪がくべられた。
そして、ハンジ。
正直にいうと、以前も夢にハンジが出てきたことはある。それこそ、出会ってから何度もだ。
ただ、それらはいわゆる淫夢ではなかった。いつもどおり無茶苦茶をやらかすハンジに振り回されてリヴァイが尻拭いをして、「ごめんね、ありがとう」とハンジが(じぃっと、リヴァイを見つめながら)笑って終わる。今日のように生々しい感覚で出現するハンジは初めてで……まあ、これも悪くない。
問題はハンジの言動だ。
夢の中のハンジは、リヴァイの迷いの先回りをして「悪いのは私だから」とすべての行動の責任をかぶりながら、けれど何も言わないリヴァイの欲望に沿おうとした。
──そんなの、ただのロボットと一緒だ。
夢から覚めて一番、胸が痛んだ。
ハンジは、俺も少し非常識だな、と自覚するリヴァイの斜め上をいく破天荒な少女である。四月に寮の部屋が隣同士になってからこっち、一年もない時間で痛いほどわかった。
夢中になればどこにでも飛んでいくし、意地汚いし、風呂に入らないこともあるし、だいたいリヴァイ頼みで何か言い出すし……、たまに歪むが友達想いだし、機微に敏感だし、純粋だし、知識に貪欲だし、誰の目も気にしない強さを持っている。
一緒にいて何度も迷惑を被らなければ、わからない部分ではあったが。
それでも、そんなハンジのそばにいるのは、ハンジをそばにいさせるのは、リヴァイの意思だ。
周りが頼むからとか、仕方なくとか、最初はそうだったかもしれないが、少なくとも今リヴァイをハンジの元に拘束するのは、リヴァイ自身の気持ちだった。
夢の中のハンジの言葉は、リヴァイがひた隠しにしていたズルい心を暴いた。ハンジが自分と同じ気持ちじゃなかった時「お前と一緒にいるのは仕方なくだ」と言って自分を守るために、自分からは何も言わない。何も求めない。
傷つくのを恐れて、必死で隠していた本音。
けれどその本音でぶつからないと、ハンジはいつか離れていく。
目と手が届く範囲でハンジの世話を焼くのは、確かにリヴァイの意思。リヴァイの願い。
惨めに傷つく未来が待っていたとしても、見たい物を見据えて手を伸ばさなければ、結局リヴァイの元には何も残らない。
リヴァイに背を向けて駆けて行くハンジの、その首根っこを掴むためには、地獄みたいな夢を抜けた覚悟が必要だったのだ。
「──よし」
鼓動にはもう、少しも乱れたところはなかった。
リヴァイの憂慮すべきは体液まみれの寝間着だけになった。
現在、午前六時。
あと二時間もすれば、図々しい隣人がお節料理の余りを貪りにくるだろう。
カーテンを開け、一皮むけた顔でリヴァイは朝を眺めた。広がるのは富士山なんかではなくぼんやり目覚める街並みだったが、充分引き締まる思いだった。
そして清々しい風の吹く胸の中で、思う。
(次は絶対に)
絶対に、俺がハンジに迫る夢を見る。
──現実の少女とどうにかなる考えが浮かばない程度には、リヴァイはやはり、まだ少し混乱しているようだった。
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