ソルトブルーム
チョコレートよろしく溶けて固まる二人の話
ソルトブルーム
チョコレートよろしく溶けて固まる二人の話
「チョコレートってさ、結晶なんだよ」
ちらちらと空から舞う、それこそ雪の結晶を捌くように歩きながら、ハンジが唐突に言った。
「職人の技術の、って意味か?」
「それもある、……いや上手いこと言うねリヴァイ、そうだ、それもあるよ!」
興奮に赤らむ両頬がパッとこちらを向くそのタイミングで、リヴァイはハンジに留めていた視線を静かに逸らした。どうせかち合ったところでハンジは気にもしないだろうが、前途も疎かによそ見をしながら話し続ける姿が容易に想像できたので、これはリヴァイなりの気遣いだった。
「自分ばかりが好きだ」という思いが自嘲から少し落ち着いて、しんと積もる白のように生活のあちこちに腰を下ろすようになったのはここ一年ほどのこと。
惚れた女からことあるごとに『一番の仲良し』と謳われ、何かと連れ立つ相手として選ばれる立場の自分を、存外悪くない、と今のリヴァイは思っている。恋人の束縛でハンジの脚を絡めとることもなく、友人の中のちょっとばかし頭が飛び出た一等としてその人生に干渉ができる。少しだけ塩からい隙間風を見栄で塞いで、十分だろうが、と嘯ける程度。
「ええと、なんの話だっけ、そうそう結晶ね。チョコレートの原料になるカカオは知ってるだろう? あれにはココアバターという油脂が約50%も含まれているんだけど、」
息継ぎの途中でデパートの入口に辿り着いた。リヴァイが手を伸ばすより早くハンジが取っ手を掴み、並の女よりは軽々と重たいガラス戸を開けてみせる。さっさと中に入っていく背後で閉まりかけるガラスを抑えながら、そういうところも好きだ、と思う。重症の自覚はあった。
「この油脂が溶けてから固まる時、つまり結晶化する時の温度によって、固まった後のチョコレートの食感に大きく差が出てくるんだ。一番美味しくなる温度は決まってるんだよ」
「……じゃああれか、売ってるチョコ一旦溶かしてまた冷やしても美味くねぇのは、その温度が違うのか」
「そのとおり!」
「お前が熱心に話してたチョコラティーかなんかは、そこらへんの調整もプロってことか」
「ショコラティエね。でもさすがだねリヴァイ、理解が早い」
必死にお前の話を聞いてるからな、と返したら、ハンジはどんな反応をするだろうか。ふと喉まで出しかけた想像は、しかしリヴァイの中に蓄積した他でもないハンジのデータによってすぐに正解の蓋をされた。そんなの、素直に喜ぶに決まってる。喜んでまた『一番の仲良し』が先鋭化していく。それで終わり。
五年十年前は「好きな男にチョコレートを贈る日」と挙げられていた二月十四日は、食のこととなると狂いがちな性質を持つこの国の人間によって今では「好きなチョコレートを舌と脳と腹に贈る日」となった。そうして世に名高いチョコレートを手に入れんとする情熱が世界中から集まって固まった結果、バレンタインデーを臨む一ヶ月はあちこちでチョコレートの祭典が勃発するまでになっている。
チョコを買い求める人間もさまざまなら、それを実際に口に入れる人間もさまざまで、買い求めてから口に入れる道程も多種多様。実際、リヴァイたちが訪れた最上階の特別催事場には老若男女が入り乱れ、めいめいがショーケースに並ぶチョコレートの数々に目を輝かせていた。
一旦先導してフロアの隅に移動したハンジは、人でごった返す全景を右から左に浚い、最後に隣にいるリヴァイを見る。こういう時ばかり申し訳なさそうに眉を下げて、溌剌の角を柔く削りながら笑いかけてくるものだから、その口が何か言う前にリヴァイはもう「コイツ本当にタチが悪いな」と許すしかない。惚れた弱みどころかもはや急所だった。
「付き合わせてごめんね。リヴァイだけ別のフロアを回っててもいいけど……」
「バカ言え。お前一人をここに放流したら二度と帰ってこねぇだろうが」
「その自信はある」
「言いきるな。……特選のチョコレートで許してやる」
人混みに紛れるか否かの囁きだったにもかかわらず、ハンジはきちんと聞き取ったらしい。パッと口角をあげて、欲目抜きでも心底嬉しそうに笑みを作る。
「もちろん、足が潰れたって選ぶよ! あっ、紅茶フレーバーのチョコで美味しそうなのがあったんだ。まずそこに行ってみよう!」
逸る心を表すように踊った手が、当然のようにリヴァイの腕をとった。コートの上から感じる手のひらに脳の一部を撃ち抜れたリヴァイは、かろうじて「わかったから足は潰すな」と口にしながらハンジに従った。
ハンジが選んだのは紅茶葉のパウダーを溶かし込んだチョコレートだった。フレーバーは四種類あり、それぞれに合うティーバッグもセットでついている。試食として出されたチョコレートと紅茶に「一緒に食べるとこんなに美味しいもんなんだね!」とハンジが感動し、その感動ぶりに店員の商品説明にも熱が入り、感化された客の購入が続き、この店の商品はリヴァイたちが買ったすぐ後に完売になっていた。ハンジにも給料をやっていいんじゃないか、と内心で思ったリヴァイである。
「全部食べて感想聞かせてよ、来年私も買うからさ」
「一緒に食えばいいだろ」
「おっ、食べていいなら遠慮はしないよ! じゃあリヴァイの部屋に行ってもいい? 地下でお惣菜買っていこうよ。で、〝これ〟も一緒に食べよう」
ハンジが掲げた小さなショッパーには、リヴァイが選んで買ったチョコレートが入っている。豆粒程度の大きさに作ったチョコレートをつなげて手のひらに乗るくらいの球体にしたもので、リヴァイは何が何だかよくわからなかったが、ハンジが「フラーレンだ!」と感動してへばりついていたので特に迷うことなく決めることができた。
相手のためにチョコレートを買い、本人の目の前で梱包してもらい、贈り合い、共に食べる。世間の恋人同士だってなかなかしないようなことをしているんじゃないかとリヴァイは思うが、何の躊躇もなく部屋に来ようとするところを含めて、ハンジにとっては特別なことでもないのだろう。その証拠に、
「あ、でもエルヴィンにもチョコレート買ったんだった! 今から行っていいか訊いてみようか?」
二人きりという状況をこうもあっさりと脱していくのは、いつもハンジのほうだった。
**
「いや驚いたな……死ぬかと思ったよ」
「こっちの台詞なんだが……」
エルヴィンが住むマンションに着いたのは昼飯時を一時間は過ぎたころだった。規則正しい、また満腹になるほどの食事にそれほどこだわりもないリヴァイとハンジは、借りたキッチンで買ってきた食材を適当に調理して軽めの昼食を作り、すっかり冷めたコーヒーを飲むエルヴィンの横でなんやかんや言い合いながら詰め込んだ。なんといってもメインはデザートである。
「じゃーん! これはエルヴィン宛のチョコレート! リヴァイと二人で選んだんだ」
「嬉しいな、ありがとう。開けてもいいか?」
「いいよ。コーヒー淹れてくるね」
開封、華美、感動。ここまではよかった。ハンジがこのチョコレートの仕様を説明する前にキッチンに行ってしまったこと、リヴァイがこのチョコレートの仕様を説明するカードをテーブルの下に落としてしまったことが重なったせいで、エルヴィンを不幸が襲った。彼は赤く艶々とコーティングされた丸いチョコの一つを摘まんで持ち上げ、何の疑いもなく口に入れた。そして、十個のうちのたった一個、タバスコが練りこまれたアタリを引いてしまった。ルーレットを楽しむ、そういうチョコレートだったのだ。
「驚いて叫ぶまではまだわかるが、なんで舌焼かれて笑ってんだお前は」
「想定外のことが起こると、どうもな」
「気持ちわりぃな……」
さらに不幸は続く。常ならぬエルヴィンの大声に驚いたハンジがコーヒーメーカーに入れる前の水を持ったままリビングに飛び込んできて、逆に水を飲ませようとキッチンに駆け込みかけたリヴァイとぶつかった。質量お化けの体に衝突して勝てるはずもなく、一人尻もちを搗いたハンジは頭から水を被って濡れ鼠になった。目下、バスルームでドライヤーを使って髪と服を乾かしているところである。
雑巾で濡れた床を拭きながら、リヴァイは「風邪なんかひきやしねぇだろうな」と気が気でない。一応は迷惑をかけられた部屋主であるエルヴィンはそれを見下ろしつつ、ふむ、と訳知り顔で頷く。
「相変わらず、当人のいないところばかりで姿を追っているな」
「……テメェこそ、ハンジにその気持ち悪ぃ笑い方見せてやれよ」
「俺はいいんだよ、自分が格好つけて得た結果を受け入れている」
「俺は違うとでも?」
「俺がそう言ったか?」
床に跪いたまま睨み上げて反論しようとしたリヴァイは、けれど結局やめてしまった。万が一にもエルヴィンを論破できたとして、現状は何も変わりやしないのだ。
日はすっかり傾いていた。フローリングに映えていた雪雲の影も、エルヴィンが点けた灯りのなかに消えてしまい、対して窓の外は急速に光を失っていく。
昏い青の上から下に、小さな雪粒が落ちていく。幻覚だったかもしれない。
「チョコレートの結晶は」
「うん?」
「温度が重要なんだとよ。一番美味くなる温度で溶かして固めなきゃ、どんなに美味いチョコが材料でも、不味くなっちまうんだと」
チョコに限らず、なんにでもそういう基準があるものだとリヴァイは思う。美味くなる温度、上手くいくタイミング。リヴァイは、その正解を知らない。
「なんだ、お前は知らないのか」
ぼけっと吐き出したリヴァイの声に反して、返ってきたエルヴィンの声は明朗としていた。頭のいい奴が何か思いついたときの音の輪郭だと、それに散々付き合わされているリヴァイはすぐに気が付く。
九個が残ったチョコレートの箱を持ってエルヴィンが立ちあがる。リヴァイを見下ろして目だけで笑い、言葉を拒むように足早にキッチンのほうへと消えていった。すれ違うようにハンジが戻ってくる。
「ああごめんよリヴァイ、床を拭いてくれたんだね」
「俺がぶちまけさせたようなもんだからな。……オイ、まだ髪が濡れてるぞ。やっぱりシャワー借りたほうがいいんじゃねぇのか」
ほどいた髪がところどころ束になって肩の上で揺れるのを、まなざしに必要以上の熱が乗らないようにしながら指摘する。が、ハンジは困ったように頭をかくだけだ。
「うーん、人の家のバスルーム濡らすのってなんか遠慮しちゃってさ」
「俺の部屋では入るだろうが」
「ん? なんか甘い匂いしない? というかエルヴィンは?」
ハンジの頭と意識が、ぐりん、と違和のほうへ向かう。こうなるとリヴァイの声は耳に入らなくなるのだ。「帰りがけに使い捨てカイロでもエルヴィンからかっぱらうか」と溜息をついたところで、見越したようにキッチンから声がかかる。
「ハンジ、リヴァイ。すまないがこっちに取りに来てくれ」
呼ばれるままキッチンエリアに足を踏み入れると、ハンジが言ったとおり、むわりと甘い匂いが鼻をついた。正体はすぐにわかった。鍋に煮溶かされたチョコレートだ。エルヴィンは茶色くとろけたその液体をスプーンですくってマグカップに入れ、リヴァイとハンジそれぞれに渡した。
「俺からのバレンタインだ。ホットチョコレートだよ」
「わあ、ありがとう! 体があったまるよ」
「お前、これさっきの……」
俺たちが買ったやつか、と言いかけたリヴァイの口を、エルヴィンが首を振って押し留める。
大人三人が立つには微妙に狭い空間でなぜか顔を突き合わせながら、三者三様のやり方でチョコレートを啜る。
「ハンジ、ホットチョコレートの作り方は知ってるか?」
「? うん、ミルクを温めてチョコを溶かすんだよね」
「そうだ。リヴァイ、このチョコは固まっているか?」
「あ? 何言ってんだ、見りゃわかる、……」
意味を解した途端、ぎ、と鋭くなった視線をなんなく交わして、エルヴィンはやはり明らかな声で言った。
「チョコレートは固めなくても美味しい。そして固まらないようにするために、植物性油脂と相反するミルク、すなわち動物性油脂を加える必要がある」
このときばかりは普段エルヴィンの発言をいの一番に理解するハンジも「?」を飛ばしていた。リヴァイも前半は辛うじて分かったものの後半に至ってはまったくもって理解不能だった。なのに発言した本人だけは納得した顔で、「これ飲んだら二人とも帰ってくれ」とチョコの最後のひと啜りを飲み込むのだった。
**
「じゃあ……」
ハンジがホームの反対側に向かおうとする。その腕を引き、驚いて振り向く顔にリヴァイは言った。
「来ねぇのか、ウチ」
「あー…」
「俺たちの分は食ってねぇだろ」
手に持つ本命を掲げてみせると、レンズ越しの大きな眼に気まずそうな感情が浮く。
「でもほら……、服とかまだ微妙に濡れてるし」
「尚更寄って行けよ。シャワーも浴びろ」
少し語気を強くして言うと、ハンジはようやく頷いた。エルヴィンの部屋を出てからどこか様子がおかしいことには気づいていたが、何を隠そう、リヴァイも少しだけ態度がぎこちなくなっている自覚があるので突っ込むこともできない。ハンジと直接何かあったわけではない。エルヴィンの謎めいた言葉が、遅効性の毒のように今さらじわじわと効いてきたのだ。
『チョコレートは固めなくても美味しい』
今のままでも美味くなれる。上手くいく、かもしれない。
『そして固まらないようにするためには、』
ミルク――ではなくて、〝相反するもの〟を加えなくてはならない。この関係に。
エルヴィンお得意の詭弁だと言ってしまえばそれまでだが、リヴァイの内心の乱が落ちつくまでの三年、そして落ち着いてからの一年を、その内心を知りながら見守っていた男の言葉でもあるのだ。「もういい加減うっせえから一回アドバイスどおりにしてみろよ」という激励かもしれないと思う反面、奴がそう背中を押すくらいだから、自分にだってまだ見込みがあるんじゃないか、などと浅ましいことを考えてしまう。
電車に乗って駅について歩いてマンションの前に着いて、さて部屋に帰ったらまずはハンジを風呂にぶち込んで、と考えていたリヴァイは、エレベーターの中で裾を引かれて何気なく振り返った先で、ハンジに爆弾を落とされた。
「リヴァイ、私とセックスしない?」
「……………」
リヴァイは、思わず手を出していた。嫌らしいほうの意味じゃなく痛いほうの意味でだ。わりと手加減がされてない加減で、その頭にげんこつを落としたのだ。
「いっっってええ! 何すんだよ!」
「こっちの台詞だこのクソメガネ……! こんな場所で何を、」
エレベーターの到着を告げる音が鳴り、もどかしいほどの速度で扉が開く。誰もいなかったのは幸いだった。リヴァイが引きずるようにハンジを部屋まで連れ込む暴虐を目撃する者がいれば、おそらく警察に通報されていただろう。
バスルームにハンジを押し込んで十五分、悶々と部屋の中を歩き回っていたリヴァイの耳に引き戸の開く音が聞こえてきて、それきり沈黙。リヴァイは溜息をひとつつき、大股でハンジがいるであろう洗面所の前までやってくると、自身も何も言わずにそこに陣取る。こうなったら根競べだ。
「……さっきも聞いたけど、セックスしてくれないかな、私と」
リヴァイは勝負を一瞬で放棄した。閉ざされていた扉を勢いよく開け、仰天するハンジの頭をタオルごと抱え込む。
「あだだだだ! いだい!」
「いい加減にしろ、このクソクソメガネが! どういう了見でそんなクソみたいなこと言い出してんだ」
「く、クソじゃないよ! だってエルヴィンが言ってただろ!」
「ぁあ!? エルヴィンがお前に何をほざいたってんだ!? アイツ……!」
「いやだから君も聞いてただろ! ミルクだよ!」
「は、」
まともじゃない発言を聞いて以降、リヴァイはようやくまともにハンジの顔を見た。肌という肌を風呂上がりというには過分なほどピンクに染めて、泣きそうなほど目元を歪めて、水よりもずっと粘性の何かでびっしょりと瞳を濡らしている。
リヴァイの喉が、ぎゅ、と狭まった。頭に流れていた血が行き場をなくしたように血管を膨らませ、どく、どくとこめかみにドスを打つ。
「なん、だ、ミルクって」
混乱が伝播する。ハンジはほとんど半狂乱のようになりながら着衣もそこそこの格好でリヴァイにすがりついた。身長が若干上なので頬と頬が触れて、胸とか腹とかも触れて、甘い匂いが鼻ごと脳を殴ってきて、もう軽率に背中に腕を回しそうになる。耳元で掠れた声が訴える。
「こんな、ほとんど恋人みたいなことしてるのに……恋人になれないのって、私たちがセックスしてないからじゃないのかな? ねぇ、一度やってみたら気持ちが変わるかもしれないよ? 私のこと、そういう目で見られるようになるかもしれないだろ。だからお願い、私にチャンスをくれないかな……?」
身体中の血が沸騰する。乱れるハンジに合わせて、リヴァイもほとんど獣になりかけていた。獣、そう、動物だ。動物のミルク——ハンジもそう言っている。自分を抱け、と。
転がり落ちる理性を引き止めたのは、口では大層なことを言いながら、その実ぶるぶると震えているハンジの体だった。リヴァイはその背中を力いっぱい抱きしめ、そして離した。
「寒いのか?」
「違う……」
「ならなんで震えてんだ……オイ、お前がいつものニコニコヘラヘラ顔で『抱いて』なんて言ってりゃあ、俺は今ごろテメェを抱き潰してたぞ」
視線を嫌がるように俯いていた顔が、ば、と持ち上がる。頬や額は一層赤いのに、唇は青く固まっている。これのどこが『一番の仲良し』と連れ立とうとする女の顔なのか。
「リヴァイ……」
「大体なんだお前、チャンス?……ぁあ? なんで俺が与える立場なんだ。逆だろうが……」
「……逆?」
首を傾げる動作が、髪の先から水滴を落とす。リヴァイはそれに目ざとく気づき、被せていたタオルで改めてハンジを包んだ。とりあえずリビングのソファまで移動させて、よく見れば着替えとしてちゃっかりリヴァイの部屋着をまとうハンジに内心動揺しながら髪を乾かす。ドライヤーまでかけてやったところで、二人はさすがに落ち着いていた。
「あの、ごめん。暴走した」
「……ああ」
ソファの上で向き合って頭を下げるハンジの襟ぐりから胸のふもとが見えそうになって、リヴァイも危うく暴走しかける。
「まず訊くが……お前、俺を恋人にしたいのか」
「ぅうう……」
この唸りはもはや勝利宣言と同じだったが、ガッツポーズをするのは我慢した。ハンジの憂いを取り除いて、純度100%の気持ちを聞きたい。そして、伝えたい。メガネのフレームを越して、上目遣いがちらりとリヴァイを見る。
「そうだよ。今日もだけど……誕生日とか、新年とか……君に恋人ができないようにって、連れ回してた……ごめん」
その意図も察せず「恋人みてぇだな」などと嬉々として乗っていたリヴァイはもはや阿呆ではなかろうか。
「ならそれが、……まあお前目線で上手くいかなかったとして、なんでセッ……クスが出てくるんだ」
「……エルヴィンにはずっとバレてたんだよ、私の気持ち。だから今日も、ああいう台詞で焚きつけられたんだ、って思って」
エルヴィンは知っていたのだ。リヴァイの気持ちも。ハンジの気持ちも。から回る二人のことも。それを引っ掻き回して楽しむまでの悪辣さはさすがに持たない男だ。なんとかして二人を一つの結論におさめようと意味深な言葉を放ったのではないだろうか。
「私は、この関係を固めたかったんだ。でも上手くいかなくて……エルヴィンが言ってただろう、相反するものを加えたら固まらないって」
ハンジはあの台詞を「結晶化させたい」という観点から見て、ホットチョコレートからミルクを取り除くという方向に舵を切ったのだ。恋人−肉体関係=今のリヴァイとハンジ、肉体関係を反対側に移行して恋人=今のリヴァイとハンジ+肉体関係、なるほど、突飛が過ぎるように思うが、要は逆だったのか、と納得する。
「リヴァイは、さっきの……逆、って?」
恐る恐る、といった調子で窺ってくる目に、いつものお前であってくれよ、と胸が苦しくなる。と同時に、そんな表情をさせている自分に怒りで頭が熱くなる。決まりきった腹が背を伸ばし、リヴァイは、気づけばまっすぐに内心を伝えていた。
「結婚してくれ、と言うつもりだった」
「うえっ?」
途端に丸くなる目に、まだだ、と追撃する。
「溶けたままでいい、と俺は思った。下手に形を変えようとして不味くなっちまうくらいなら、アイツが言うように、このままお前と二人で、……なんの型にも嵌めず、溶かした状態で上手くやっていきゃいいんだ、と」
ハンジの恋情の枠には入れられなくとも、そのすぐ外側に自分だけがいれば良いのだ、と。
「そのために要るのが相反するものだっていうなら……結婚しかねぇだろうが」
「えっ、そ、そうかな!?」
言葉の方程式に一瞬意識を持っていかれそうになるも、そこはさすがハンジというべきか、本質という真ん中が隠されたままなことにすぐに気づいたらしい。
ぐ、と距離を詰めてきて、縮まった距離に相応しく、「ねぇ」と声を潜める。
「つまりリヴァイは……私と、どうなりたいんだい?」
どうなりたい。改めて問われると端的な正解を出すのは難しかった。ハンジと共にいて、これをしたい、あれをしてやりたい、これはさせたくない、あれはしてほしくない、そんな粒のような願いを抱いては潰すことに何の疑問も持たなくなっていたからだ。なら、まずはここからだと一点を指す。
「……言いたいことを言っても、許される関係になりたい」
「言いたいことって?」
「好きだ。たった一人の女として」
飛びついてきた体の勢いを殺しきれず、リヴァイは後ろに倒れた。後頭部を肘置きにしたたかにぶつけて、痛みで沸きった頭の熱を覚まし、至極冷静にハンジの服の下に手を差し込んだ。
「リヴァイ、リヴァイ、私も好き……お願い、抱いて……!」
熱に浮かされたハンジの体を抱え込み、座面に押し付け、服を脱がすのもそこそこに湿った下生えに鼻を埋めるまで五秒。そういやここもチョコレート色だな、などと考えたのはハンジが何度か口だけで気をやった後のこと。啜り泣くような哀願に応えて棚の奥から取り出してきたスキンを挟みつつ手を握りながら繋がり、揺さぶり、大変下品だがミルクを吐き出し、へろへろのハンジが財布から取り出したスキンその2にタガが外れ、ベッドと風呂場を行き来して激しく溶かし合い、最後にもう一度ソファでして、二人が目を瞑ったのはとっくに日付を超えたころだった。
チョコレートのことはすっかり忘れていたが、翌日ちゃんと味わった。「試食の時より美味い」とリヴァイがハンジに言うと、何かキラキラとしたものの結晶を散らすように、まぶしく甘く笑っていた。
〈了〉
(初出 24/02/14)