たやすく踊れ、この箱で
四畳半の部屋で友達じゃなくなる二人の話
たやすく踊れ、この箱で
四畳半の部屋で友達じゃなくなる二人の話
リヴァイが無骨な手で引きずり出した鍵には、大ぶりのキーホルダーがぶら下がっていた。揺れる赤と白には見覚えがある。筋肉組織むきだしでつぶらな瞳をした『巨人くん』なるキャラクターのそれは、確かハンジが一昨日、駅前のゲームセンターで手に入れたものだ。気まぐれに押し付けた物がこんなところに。ハンジは少し驚いた。
こういう、息を吸ってから吐くまでのようなふとした瞬間にリヴァイの律儀さを見つけては、「逆立ちしたって真似できないな」といつも思う。
鍵はごく軽い動作で宙に放られ、リヴァイとハンジが作る距離を、弧を描いて飛んだ。ハンジは浮かしかけていた片足をしっかりと地につけ、無理な体勢を整えてから手を伸ばす。サンダルのヒールがカン、と鉄階段を鳴らした。片手で受けた小さな金属の塊は見た目より重かった。
「肉と野菜、すぐ冷蔵庫に入れろよ」
頷いて返す。ハンジの持つビニル袋には夕食の材料が入っていた。対してリヴァイの買い物袋にはアルコール飲料やフルーツ、リヴァイが進んで口にすることのない食料品がわんさと詰め込まれている。そのほとんどはハンジのためのものだ。さぞや重たかろう。けれど、綺麗な筋が浮かぶ左腕はここまで文句の一つもなくそれを運んできた。
ハンジでさえ知らない『ハンジの好きなもの』が増えていくことを、リヴァイはどこか喜んでいる節がある。
受け取った鍵を握りなおし、階段に向き直る。
西から雨の気配が迫るこの時期、建物の古さもあるのだろう、閉め切った部屋はすぐに暑さを溜め込んでしまう。リヴァイは湿気が苦手だった。湿気からくる暑さにはもっと弱かった。
どんな意地でか決してハンジの前でだらしない格好はしないが、熱を逃せず膿んだようになる肌を素知らぬ顔で隠すリヴァイが、ハンジはあまり好きではない。
部屋に走り、窓を開けて、換気扇を回す。リヴァイがたどり着くまでのたった十数秒でも、外の風を招けば少しは過ごしやすくなるだろう。ハンジは階段の終わりを目指し、ぐ、と脚に力を入れた。
はずだった。
「ーーねえ」
違和感が、ハンジを引き止める。
鍵を頂戴よ、と先を歩いてから受け取るまでの一瞬、背後で呟かれた言葉は、ひと気のない狭い通りでどこにも行かずにハンジに届いていた。
確かに、まっすぐと。
だから、問い返してしまったのだ。
「さっきなんて言ったの?」
ハンジがそう問わなければ。
ハンジのその問いに、リヴァイが「だから肉と野菜は」と返していたならば。
二人は、二人で引いてきた友達の線をはみ出すことなどなかったのだろうか。
ハンジの中の何かが警鐘を鳴らす前に、リヴァイが口を開いた。
「関係を変えねぇか、俺たち」
所々に黒いシミが落ち、角も欠けた灰色コンクリートに、ハンジは築十五年アパートの歴史を思う。いくらリヴァイが神経質に掃き清めたところで、風雨や日光はあざ笑うようにその上を過ぎていく。
凶悪な顔で玄関前の通路を掃く彼に、一度だけ「もっと手を抜いてもいいんじゃない?」と声をかけたことがある。意味がないんだから、と。からかいを含んだそれは無言で退けられた。ハンジはそれ以降、リヴァイの掃除について口を出したことはない。
彼は他人の言葉を聞かない奴ではない。一度言ってまだ続けるなら、それはリヴァイの確固たる意思なのだ。
「おいクソメガネ。お前いつからコンクリとダチになったんだ」
「今かな……」
「そうか。なあ、こっち向けよ」
声に引かれ、ハンジは地面に這わせていた目をゆっくりとリヴァイに戻す。
出会った時からそうだった。
かけられる言葉にわずかにでも懇願の色を出されると、ハンジはもう彼に逆らえなくなる。その願いを叶えなければいけない気持ちになるのだ。それはハンジ自身にも不可解な衝動だった。
果たして、再びリヴァイと見つめ合う。
常に濃い影が落ちる彼の目元は、昼から続く曇天の下でさらに暗さを増している。
そこにあってなお、二つの瞳は光を湛えてハンジを見ていた。ハンジの応えを待っていた。
「てめえ、聞かれて答えたらシカトこかれた俺に何か言うことはないのか?」
「必要なシカトだったんだよ……」
リヴァイの質問の意味も、彼が求める答えも、答えること自体を求めていることさえも。今この場でリヴァイが望むことについて、ハンジはよくわかっていた。
「……リヴァイの、さっきのそれって……"そういう意味"で間違いない?」
「ああ」
リヴァイは躊躇なく頷いた。躊躇なく頷いた彼に、ハンジの身の内で熱い歓びが爆ぜた。自身でも驚くほど、本当に容易く爆ぜた。
──嬉しい。すごく嬉しい。
その感情は、ハンジの肌を、声を、湿った心を、ひたすらリヴァイに向かわせようとする。
「で、答えは?」
なのに。
「ちょっと……待って」
震えた喉から音を伴って出てきたのは、怯えだった。
はあ、とため息が聞こえる。彼は整えずともさらりと流れる黒髪をかき混ぜて目を伏せた。そこに失望が見えやしないかと、ハンジの怯えはさらに酷くなる。
「待たねぇ」
「え?」
「待つ義理はない。お前は聞き直した。自分で選んだんだぞ」
乾いた言葉が、縮こまった体をピシャリと叩く。自分から聞いておいて逃げるのか、と。リヴァイはハンジを責めているのだ。
「答えろ」
「答え……」
「そうだ。答えねえなら、」
一度切れた台詞が、ハンジの視線を捉えて逃さない。真っ黒な髪の毛と色素沈着した隈に挟まれたあいだから、夏の氷とも冬の雪とも違う冷たさの瞳が、ハンジをじっと見つめていた。
「もうあの部屋には入れねぇからな」
**
部屋の真ん中にぶら下がる電灯のスイッチ紐は、やはり『巨人くん』マスコットを括り付けて持ち手にしたものだった。ハンジはそれを、いつものように掴んで引こうとした。
けれど、叶わなかった。
バンッ、と音が響く。驚いて見やった先で小さなちゃぶ台が壁際に追いやられていた。リヴァイを振り向こうとしたハンジは背後から抱き込まれ、次いで畳の上に引き倒された。
衝撃に固まるハンジの顔の前で眼鏡を外す手だけがとても丁寧に動き、自分のものではない吐息が迫り、
……あとはもう、声もなかった。
熱くて厚くて柔いリヴァイの舌がハンジの口内を埋め尽くしたからだ。
突然の暴力にも似たそれに縮こまるハンジの舌を、リヴァイは己のもので掬って、絡めて、甘噛みして、しゃぶって。歯の裏やら粘膜までなぞって、唇全体で愛撫するように動いていく。
なんだこれは。なんだこれは。
混乱に浮かぶ疑問に答えたのは、リヴァイではなくハンジの脳だった。
キスだ。舌を入れるキス。
リヴァイと、どころかリヴァイ以外の他人とさえ一度もしたことがないもの。唇のあいだを抜けた口内で、ハンジのものではない、そして誰のものでもないリヴァイの舌が動き回っているのだと理解した瞬間、ハンジはまるで訓練されていたかのように力を抜いた。
それが一番イイようになるのだと、現在進行形でわかっていく。
そうして鼻から恥ずかしい声がひきりなしに抜けるようになった頃、リヴァイは少しだけ顔を離し、
「っぷ……」
「飲め」
そう言った。喉奥に溜まった二人分の唾液を、飲み込めと。疑問に思うでもなく、ハンジもそれに従う。
「んっ……く」
「よし」
いたく満足気に茶色の髪を掻き回した手が、そのまま頬へとすべる。その五指はハンジが知るリヴァイのどんな手よりも優しくて、だからこそ怯えを生んだ。
逃れるように横に流した視線の先で、窓の外の街灯の白を受けてビニル袋が光っていた。大人二人も立てない狭さの三和土でひっくり返ったスニーカーとサンダル、その上に、ぐしゃりと歪んだスーパーのロゴ。
「リヴァイ……お肉が……」
「後にしろ」
応えはハンジの胸の上からだった。
「ッーー!?」
リヴァイの掌が許可も得ないままハンジのTシャツを捲り上げ、下着をずり下ろし、乳房を甚振り始めた。
慎ましやかな二つの膨らみが、痛みを感じる直前のような加減で捏ねくりまわされる。一心不乱に手を動かすリヴァイの眼がなぜか鋭さを増していく。
「リヴァ……ちょっと、いた、ぃ」
「悪い」
「んんっ?」
謝罪から一息もつかぬうち、リヴァイは胸の片方の頂点を口の中に隠してしまった。そうしてじゅぶじゅぶと音を立てながら味わい出す。
俄かには信じられない光景だった。
小言ばかりを吐き、ご飯だって少量ずつをもそもそとしか食べられないリヴァイの口が、今はおっぱいを喰らおうと精一杯動いている。
ハンジの肉は夏の常温で傷んでいく豚コマよりも優先すべき物だとでもいうのだろうか。
そんなわけないのに。
「ん、ん、ぁ……」
見えずとも舌で可愛がられている左と、短い爪の指で弄られる右に我慢ができず、ハンジは胸で遊ぶリヴァイの頭をぎゅっと抱え込んだ。
当然、身体が密着する。
途端に感じる重量を逃そうと身をよじった時、ハンジはそれに──脚と脚の間に擦りつけられる硬さに気づいた。気づいてしまった。
夢中で胸を吸いながら、リヴァイの腰は巧みにハンジの中心を探り当て暴こうとしていた。ハンジはそのとき初めて、自覚できるほどに赤面した。
布越しに溝に埋まり込んだそれは、下から上へ抉るような動きをしては、何も言わないリヴァイの欲求を簡潔に強く訴えてくる。
ここに入りたい。入れてくれ、と。
「ぅぁ、あっ」
温かい何かが、ぬるりと体の中を滑り落ちてくる。明らかな快感を連れて。
ハンジはそれでも怖かった。初めてを散らす恐怖ではない。そんなことはあまり重要ではなかった。
だって、これを受け入れてしまったら。
リヴァイとハンジの世界は、終わってしまう。
狭くて暖かくて清潔で楽しくていい匂いがして、ただひたすらに居心地の良い四畳半は、きっと艶めいて湿って気持ち良くて濃い匂いがして、そしていつか終わる箱になってしまう。
「いやだ……」
それは確信だった。
「やだ……リヴァイ、やめろ」
「……どうした」
拒絶の言葉を受けたリヴァイの顔は変わらず興奮に彩られていて、ハンジは肩に縋りながら必死に懇願した。
「私、私は、あなたとずっと一緒にいたい、んだよ……」
「ハンジ」
「怖い……変わりたくない、離れてしまう……」
ハンジが見てきた男と女はいつも、他の誰も立ち入れない二人だけの強固な世界を創り上げ、次第に憎み合い、呪詛を吐きあい、傷つけ合い、その世界を内側から壊していった。
そうだ、壊れていく。いつか必ず。結んだ絆が硬ければ硬いほどヒビが入る余地を許してしまう、そういう矛盾が生まれる。
そんなものが、周囲にはたくさんあったから。
リヴァイとハンジの今のままの関係が、どれだけ側にいられる期間を保証するものか、わからないことだってわかっている。
それでも、"男と女"よりはきっとマシだった。
リヴァイだってハンジと同じ恐怖の前に立っているはずだ。だからこそ、何もない関係がずっと二人の間に横たわっていたのだ。
リヴァイとハンジでそうやって、ずっと並び立ってきた。
だから──、
「まあ、なんとかなるだろ」
「ーーは?」
あっけらかんと言い放ち、間を置かず「暑いな」と呟いたリヴァイは、汗で張り付いた黒のTシャツを脱ぎ捨てた。
くっきりとした筋の隆起を刻む肉体が曝け出され、ハンジは二年のあいだ一度もリヴァイの裸体を見たことがなかったことに気付く。
半裸の男はそのまま、手を伸ばしてガラス窓の鍵を開けた。ガラガラと聞き慣れた音を立てて開かれたそこから、網戸ごしの風が流れ込んでハンジに触れる。ぬるい。
「は? え?」
「おら、尻あげろ」
一瞬のうちにズルリと引き抜かれ放られたものを見れば、ハンジの下肢によく馴染むので好んで履いていた短パンとショーツがくしゃりと丸まっている。
裸の尻に、畳の感触。
「え? リヴァイ?」
困惑して起き上がったハンジを一瞥し、リヴァイはボトムスを脱いだ。
下着も、もちろん躊躇なく。
満を持して現れたのはリヴァイの欲望の象徴だった。
薄闇の中のぼやけた視界で、堂々と天を向く、ソレ。リヴァイが膝立ちするお陰で、ハンジの目線近くで揺れる、ソレ。
呆然とするハンジの右手を優しく掴んだリヴァイは、硬くなったソレを当たり前のように握らせた。
「ーー‼︎⁉︎」
「おい待て、でけえ声出すなよ。近所迷惑になる」
でけえもん出すなよ、ハンジ迷惑になるだろ。
ハンジはそう叫びたかった。
けれどお隣に住む人の良さそうな長身の学生のことを思ってすんでで耐える。
なんてことしやがるこの男。
自慢ではないがハンジは未経験だ。二年も親密な付き合いをしているリヴァイがそれを察していないとは思わない。察していながらいきなり処女にブツを握らせる神経をハンジは本気で疑った。
が、「今すぐあらゆる罵倒を浴びせてやりたい」と身悶えるハンジを気にもとめず、なんとリヴァイは重ねた掌で己の逸物を擦り始めたではないか。
ハンジはますます言葉を失くした。
掌と指で感じる、初めての硬さ。手触り。大きさ。熱。湿り気。ハンジの手の中で形を持って息づく、リヴァイの雄の性。
「ひっ……」
「っ……無理だろ」
「えっ!? う、うんムリ、」
「コレこのままにして、『変わりたくない』は、無理だろ」
そっちか。そっちは無理、じゃない。
おっ勃ててるのは、リヴァイ、あなた一人じゃないか。
「くっ……」
そう言い返したいのに、リヴァイの低く漏れた声に何も言えなくなる。ハンジの手指に感じ入ったようなそれは、耳から入り込んで心臓の鐘を喧しく打ち鳴らした。
リヴァイに触れている掌から凶暴な熱が射し込んでくる。その熱はハンジの脳を焼いた後、さらさらと腰に流れてしつこくそこに留まっていく。
思っていたよりも強い力で扱き続けるリヴァイは、扱き扱かれるそこを食い入るように見つめ、陶然としたものを滲ませた、見たことのない表情をしていた。
(……気持ちいいんだ……)
そのこと自体は、胸の中に歓びを生んだ。
ハンジがリヴァイに施せる幸せなんてあんまりないからだ。残念なことに。
手が上下するたびに男根は戦慄いて、先端に粘着質な液を滲ませながら体積と硬度を増していく。掌に滑り込んだ粘液がぐちぐちと音をならし、リヴァイの呻きがそれに重なり、ハンジの喉をゴクリと動かした。
「ハンジ」
リヴァイに引き寄せられ、二人はまた唇を合わせた。
ハンジより背の足りないリヴァイの顔が、今は上方にある。首を後ろに曲げて受ける二度目のキスは、それはそれはもう、際限なく気持ちがいい。
だんだんと熱に侵されていくハンジはリヴァイがいつのまにか手を離していたことに気づかなかった。構わず扱き続ける自分の手になどなおさら気づかない。
手淫とキスに溺れるハンジの吹き込まれる男の喘ぎを懸命に飲み込むとろけた顔を見ながら、リヴァイはその揺れる腰の奥、脚の付け根に賢しい指をそっと潜り込ませた。
「ん、ぅっ!?ーーぷはっ!」
「オイ……ぐちゃぐちゃじゃねえか」
「なん、な、ちょ」
リヴァイの言うとおり、ハンジの股の間はぐちゃぐちゃな状態だった。仰るとおりではあるが、好き勝手するのは違う。
ハンジは慌ててリヴァイの腕を抑えた。
「リヴァイっ、リヴァイやめよ? こんなの友達の域を超えてる……」
「人の股間はいじくっといて何言ってんだ」
「冤罪だ!」
好きで手を伸ばしたわけじゃないのになんて言い草だ!
そう言い募ろうとするハンジを置いて、リヴァイの指は止まるどころか、ハンジの未熟な合間に二本の指を添えて優しく揺らし始めた。
くちゃり。
二人の思い出を重ねた部屋に、卑猥な水音が響く。
「あ、だめ、あ ぁっ……」
ハンジの敏感な部分から緩やかな快感がじわん、じわんと立ち上る。それらが全身の神経を開いていく。近づいたリヴァイの舌が同時に片耳を可愛がるものだから、骨も溶けたようにくにゃくにゃと体から力が抜けた。
気持ちいい。ハンジに触れているのはリヴァイだ。不快になることなど絶対にありえない。けれどこんなに気持ちいいのもおかしい。
「んっ、ぁ、ぁ……」
「どこがイイんだ……言えよ」
「ぅ、いや、ちょっと、全体的すぎて……」
わかりかねる、と答えると吐息だけの笑みが返ってくる。そしてまた耳朶を食まれた。
気持ちいい。指や舌が、凄く気持ちいい。
──けど、もどかしい。
(もっと……)
目を閉じてその正体を追うハンジの耳元で、リヴァイがどこか苦しげに囁く。
「……ハンジ、見てもいいか」
「はぅ、あ、……ん?」
何を?と聞く前に、肩を抱いていた手が再びハンジを畳に転がし、両脚を押開いていた。ハンジが「えっなにやめて」と零すのとリヴァイの両手がそこを広げるのは同時だった。
「……処女でこんなに濡れるもんか」
「ばっ……! そこで喋るな!」
と、断りもなく内側に指を埋め込まれ、ハンジは突然の異物感に身体を強張らせる。浅い場所を蜜を掻き出すような動きで混ぜられ、腰がピクリと跳ねあがった。
「や、やだ……」
「痛いか?」
「痛くは、ない、けど」
行きつ戻りつする指をあらぬ場所で感じている事実に頭が追いつかない。リヴァイが嘆息する。
「お前の、畳に垂れちまいそうだな……」
誰のせいだとは言えない。ハンジにもわからないからだ。
リヴァイは自らの蹂躙で溢れだしたものを追って、ハンジの尻たぶや脚のつけ根を舐めだした。さらにぬめりの止まらない縦線の始まりを親指でくい、と抑え、ぽってりと充血した花芽を剝き出しにする。
「勃起してるな」とおそらくありのままを伝えられ、ハンジにはもう言い返す気力さえない。
ふ、ふ、と燃える息が尖って敏感になったそこに吹きかけられ、薄い唇が触れて、それから舌でこそぐように嬲られ、くっ、と軽く歯を立てられる。
「ぁ……ん! あっ、ーー!」
ハンジの全身がビリビリとした甘い痺れに突き上げられる。身体のそこかしこに力が入り、下半身がぶるぶると震えるのがわかった。脚の指が、きゅう、と丸まり、ハンジのそこに顔を埋めていたリヴァイの背にかかとを触れさせた。
ハンジの体に起きた一連を、リヴァイは見ていなかった。じゅぶ、じゅぷり、と下劣な音を立て、達したばかりの中にさらに指を進撃させようとする。
「いやぁ……りば、い。まって、」
下の毛を揺らす息がそのままリヴァイの興奮を表しているのだと気付くと、ハンジの中はさらに轟いていく。初めての快感に体が逃げを打つ。
芳しき香りの畳の上を無意識に後退していたハンジは、その天辺を何かにぶつけてしまった。
ゴツン。
「いてっ」
それまで夢中になっていた男が、その音にようやく顔を上げた。ハンジが頭をぶつけたのは、あまり多くはないリヴァイの私物が納められた二段タイプのカラーボックスだ。
「大丈夫か」
言葉こそ心配するものだったが、リヴァイの腕はハンジの上を通り越していく。恥で呻くハンジの耳になにかの袋を破るような音が聞こえてきた。
(あ…………コンドーム)
澄ました様子で取り出したそれを勃ち上がったものに被せるリヴァイに、ハンジの脳内が「?」で満たされる。
「持ってた、の……」
「当たり前だろ」
「なんで……?」
「使うためだろ」
「……誰に?」
「お前だろ」
暗闇の中でも当然のように、着々と挿入の準備を整えるリヴァイに、ハンジはいっそ感心した。
「じゃあ、挿れるぞ」
答えは聞いてないらしい。
リヴァイの顔越し、年季と手入れを感じさせる木目の天井に見知った者たちの顔が浮かぶ。ハイスクールからの付き合いで、同じように異国の大学に来たナナバ。ナナバと同ゼミのミケ。ミケの同郷で、この国で働くエルヴィン。授業で隣に座った国籍の違うリーネ。アルバイト先の後輩のミサカ。ハンジと同じゼミのマレーナ……
みんなハンジとリヴァイの友人だった。学校や学部やサークルやバイトや国籍が違っても、何かと集まって騒げる仲間たち。
リヴァイとハンジの出会いといえば、軽率にも怪しいサークルの新歓コンパに参加して泥酔したハンジを厳しい表情と声で助けてくれたのが当時居酒屋でバイトをしていた一年上のリヴァイだったことから始まる。
吐瀉物と涙まみれの介抱がキッカケだった、近くはあっても甘くはない日々。こんなに長い付き合いになるなんて。異国の地で暮らす者同士とはいえ、リヴァイもハンジも現地の友人はいたし、孤独感など感じることさえなかった。けれど、二人はいつも一緒にいた。
ヌルリ。
二年もの間、ハンジの外側で一番近しかった男が、ハンジ自身も触れたことのない場所に侵入する。
(ーー苦しい)
熱い。痛い。
ああ。
リヴァイとハンジが終わってしまう。男と女になってしまう。
サラリと乾いて平坦な、気のいい友人たちの点の集まりの只中で、リヴァイとハンジだけがねっとりといやらしい線で繋がれていく。
「……キツイ」
ハンジの胸中で吹き荒れる哀惜の嵐など、リヴァイは少しも感じていないようだった。呑気に眉根を寄せて息を整えている。
組しく女の心を置いてけぼりで事を進めているというのに、涙と近視でぼやけるその男をハンジはどうしても憎いと思えない。
「……痛いか」
「ふっ ……はぁ、ん、だいじょぶ」
懸命に息を吐き出し、なんとか腹の中の塊を馴染ませようと努めるハンジに、リヴァイが一気に腰を打ち付けた。
「い"っ……!」
開かれる衝撃のあと、凄まじい異物感。
「痛いか」
「ーーったいわ! 当たり前だろ! アホ!」
「そうか」
全身から汗が噴き出す。緊張しているのか弛緩しているのか、己の感覚すら曖昧になっていく。ぎゅうと目を瞑ったハンジの頬を撫でると、リヴァイは静かに言った。
「ちゃんと覚えとけよ」
そして容赦なく腰を振り始めた。
「ぁっ あ、あ! や、だめ……!」
暴れるハンジの体を抑え込むように、リヴァイがほとんど上から腰を打ち付ける。熱の塊が奥に入り込むたびに押し出されるように声が漏れる。
「おい、痛いか?」
「いっ、あっ ぁ、あ、わか、んなっ……」
こんなの同意といえるのだろうか。もしかして強姦じゃないんだろうか。
上がる声の隙間にふと差した思考を、リヴァイはどうしてか正確に察したらしい。頭を抱き締められ、密着した下半身に呻くハンジの耳元で言った。
「お前の、嫌がることなんて、したことなかっただろ?」
そうだけど。いやーーそうだ。
リヴァイはハンジの嫌がることなんてしたことがなかった。いつもハンジの心配をしてくれた。心配を押し付けることもなかった。
ハンジは、ハンジだって、リヴァイの嫌がることなんてしない。喜ぶことがしたい。喜んでほしい。
思考は切れ切れで、腹の中に男根が押し込まれるたびに二人の過ごした部屋に散らばって満ちていくようだ。
「リヴァイ、リヴァイ……!」
「……ああ、くそ……俺がどれだけここに、ぶち込みたくて、仕方がなかったか……!」
ハンジの持つ熱がカッ、と温度を上げた。じわりと滲んだ涙は、たぶん心から湧いたものだ。ハンジはリヴァイにしがみついた。
「ねえ……っ、リヴァイ、あなた……気持ちいい?」
「っーーそうだな」
動きが早くなる。二人の呼吸も、競い合うように走っていく。
「お前がよくなりゃ、俺もよくなる」
(……そっか)
ハンジも同じだった。
口内に溜まった唾液が、端から溢れようとする。
(……あ、垂れる……)
ぼんやりとしたまま口を閉じようとすると、熱い指が流れ落ちるものを拭い、そのまま下唇をなぞりはじめた。むにむにと遊ぶ指の持ち主は誰だろう。ハンジは目を閉じたまま問うてみた。
「……りあぃ……?」
目を開ければ、果たして窓の前に座るリヴァイだった。
「寝すぎだろ、お前」
「………」
畳の上にタオルケットが敷かれ、ハンジはそこに寝かされていた。固まった体を動かせば衣服の感覚がなかった。つまり全裸だ。ハンジはちょっと驚いた。
「銭湯終わっちまったぞ」
黙り込んだハンジに向かってリヴァイがそう言った。時計を探して首を巡らせると、見つける前に「二十三時半だ」と声がかかる。近所の銭湯は二十二時までだ。リヴァイの攻めるような言い方になんとなく不満が湧く。
「……好き勝手しやがったくせに」
「よがってただろ」
「痛がってんの見て興奮してたくせに!」
「最終的にあんあん喘いでただろうが」
「やめてって言ってもやめてくんなかったくせに!」
「啼き声で隣の奴追い出しちまったくせに」
「は!?」
ハンジは慌てて起き上がった。
「え、ちょっと待って、出てったの? いつ? わ、私らのせい?」
「突っ込んだ後、お前がでけえ声出し始めたところで」
「はっ!? だって……うわああっ! もう!」
信じられない。毎日顔をあわせるのに、明日から一体どんな表情で挨拶すればいいんだろう?
頭を抱えたハンジの前に、ぬっとグラスが差し出された。麦茶だ。反射で受け取るとほどよく冷えており、途端に喉の渇きを覚えたハンジは一気にそれを飲み干してしまった。
「まだあるから、ゆっくり飲め」
「、うん」
二、三回渡されては飲んでを繰り返す。
「ありがと、も、いい……。ってちょっと待て、一回はシちゃったけど問題は解決していないじゃないか!」
「なんだ。うるせえな」
「わた、私はあなたと、恋人にはなりたくない」
「……まだ言うか」
「まだって! 一度だって議論の俎上に載せられたかな!?」
「俺としてはきちんと検討の余地を与えたつもりだったが。……イク直前に腰に足絡めてきてキスまでねだったのは答えじゃねえのか?」
「うわああぁもう、あなた最低だな! おい、なに笑ってんだよ!」
くつくつと震える肩を叩くと、伏せられていた面が上がる。笑みの欠片もない涼しい顔だがハンジにはわかった。これは楽しんでいるときのそれだ。
リヴァイはなおも手を振り上げたハンジの腕を取ると、その胴体に素早く手のひらを滑らせた。
「あっ」
「火照ってんな……お前がこれからも"今までどおり"でいたいってんなら、俺はお前に二度と触らねえが……」
「うっ……」
背中に回った掌が真ん中の浅い溝をすうっと登っていく。それから項をやわく揉まれて、ハンジはいともたやすく甘い声をあげてしまった。
無理だ、今までどおりだなんて。
ハンジはリヴァイを知ってしまった。リヴァイの体から出たものを受け取るための、切ない締めつけを知ってしまった。結局は叶わなかったそのことさえふわふわと思考を冒していく。
「じっ……、じゃあ……セフ……」
喉が詰まる。
リヴァイが刃のような視線で斬りつけてきたからだ。それ以上言ったら削ぎ殺す、と如実に語る視線だった。
「セフレに拘束力はねえ」
「こっ拘束? 恋人同士にだって社会的な拘束力はないよ?」
「人道的にはあるだろ」
人道? もはや何の話をしているのかわからない。つまりあれか、ハンジに残された選択肢はもはやリヴァイの恋人になるしかないということか。
遠い目をするハンジにさらに残酷な宣告が重なる。
「残念だったなぁハンジ。俺はこれからお前と俺を知るあらゆる人間に『俺たちはセックスするような深い関係になった』と主張していくぞ。それもことあるごとに」
「え?」
「恋人のお前の行動は制限されるようになるな。例を挙げると、男と二人で食事に行けなくなる。男の混じった飲み会でハメ外すまで酔っ払えなくなる。美味いもん食ったら俺と食いたくなる。面白いもん見たら俺に見せたくなる。下着を買う時は第一に俺のことを考えるようになる。俺の部屋に来て泊まる時は『セックスできる日か、できる状態か』を考えてしまう……ようになるかも、しれねえ。帰国した時に母親に『いい加減あんたボーイフレンドとかいないの?』と聞かれて声を詰まらせる」
「やめて! もうやめろって!」
「いいぞ、だいたい挙げたしな」
「悪魔か!」
「ああ、大事なことを忘れていた」
まだあるのかと戦慄したハンジを捉え、リヴァイは真正面から最後の一つを告げた。とても恐ろしいことのように。そしてそれは、実のところ、本当にとても恐ろしいことだった。
「俺が離れていく日を、お前はなによりも怖がるようになる」
「……そんなの……」
ハンジの頭の中が、一瞬で真っ白になった。こんなところまで来て、ようやくわかったからだ。
「今までだって、そうだったよ……」
今までだって、この狭くて心地よい二人の空間を失くすことにどれだけの恐怖を覚えてきたことか。その恐怖は、引っ掛かりがあれば解かずにはいられないハンジに目を反らすことさえさせていたのだ。
結局何も変わらない。恋人だろうがセフレだろうが、それ以外だろうが。
呆然とするハンジの心中をリヴァイはやはり正しく察したようだった。「遅えんだよ」と吐き捨て、それからハンジを抱き締める。
二つの体温以外の何かが互いの肌に染み込んでいく錯覚を覚え、毒かもしれない、とハンジは思った。
「俺と一緒にいたいなら、頭を使え。省みろ。努力しろ」
途方もなく難しいことを簡単に言ってみせる。けれどそこに懇願を感じ取ったハンジは、やはり頷くしかなかった。
「俺はそうする」
「うん」
「……出会った日からずっと、そうしてきた」
「……うん」
ハンジも同じだった。
けれど遠回りをしたとは思わなかった。ハンジは離別への恐怖と、覚悟に足るだけのリヴァイとの記憶を同時に積んでいただけだった。
いや、それはこれからも同じようにハンジがーー二人が持ち続けるものなのだろう。
リヴァイとハンジの関係は日付が変わる頃、そうやって別のものになった。
部屋の隅に三つ折りで畳んでいた布団をリヴァイの手が引っ張ると、手早く広げられた白はあっという間に部屋の四分の一を覆ってしまった。促され、ハンジは夏用のメッシュ地シーツに背中をつける。
「寝るの?」
「いや……まあ、そうだな。膝が擦れて痛え」
「え?」
「次は死ぬほど優しくする」
**
翌朝の起床は、日の入りと重なった。
やはりリヴァイは先に目を覚ましていて、窓の桟に背を預け眠るハンジを眺めていた。瞬きを繰り返し、拭い去れない違和感にぼうっと頭を悩ませていたハンジは、眩しい光に目を焼かれてようやく気が付いた。
「……この部屋で朝日見るの、初めてだね」
「そうだな」
上半身を朝焼けに晒して、リヴァイが窓の外に目をやった。
肌と肌の摩擦は、どこか遠くに夢見ていたようなものではなかった。ハンジの知る男と女が秘して守りたがっていたのはこれなのだろうか。
熱くて、熱すぎて、ぬるついて引っかかって、馴染みのない匂いが遠慮もなく鼻から入り込んで、自分の制御が手元から永遠に失われていくような。
そんな心地がすべてなのだろうか。だとしたら、あまりにも肉体的で俗物的だ。
でもそれはハンジにとって、他でもないリヴァイとのものだった。
これがハンジの肌を離れて知らないところで生きていくなど考えられない。
許せる気がしない。
お互いを離れる自由は、常に二人の手の中にあった。そしてハンジは、とうとうそれを握りこんでしまった。
ハンジはこれから囚われるのだ。リヴァイの隣に。リヴァイを逃さないための箱を、その壁をせっせと塗り固めるために。
そう考えた瞬間、慣れた怯えとともに、怯えよりも強く湧き上がるものがある。
それを、彼に伝えたい。
ハンジはリヴァイに近づいた。そして朝日に目を奪われる体に、静かに額を押し付けたのだった。
〈了〉
(初出 19/03/07)